靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

「聖地」への旅

2011-05-26 01:37:05 | 風景・散歩・旅
ヒマラヤを7日間歩いたことがある。20代初めのこと。

大学の春休み、ネパールあたりに行きたいと調べていて、ムクティナートについて知った。チベット仏教とヒンズー教の聖地とされるムクティナート、トレッキングコースを歩いて7日間ほどとある。ここだ、と思い、翌週には一人で飛行機に乗っていた。

道中は盗賊が出るので、一人では絶対に歩かないようにとされている。途中の宿で出会ったバックパッカー達とグループになって進む。ほとんどが「巡礼者」という雰囲気はなく、トレッキングを楽しむ旅行者。ドイツ、イギリス、カナダ、オーストラリア様々な国の人々。わいわいと色々な言語の歌を教え合い、大声で歌いながら。確か「カエルの歌」の輪唱を皆が気に入ったのだった。壮大なヒマラヤの山々を背景に、「ケロケロケロケロクワックワックワッ」と時には明るい時にはつぶやくような様々なアクセントの声が響く。かなりのトランス体験。

一日8時間ほど歩いた。途中で引き返したり違う道へ分かれたりで、最後の宿に残ったのは私だけだった。最後の一日は一人で歩いた。それまでは人とすれ違うということもほとんどなかったのだけれど、聖地まで数時間の距離へは飛行機で乗りつけることができるため、道は巡礼者や身軽な旅行者で賑わう。

7日目にたどり着いた。足の裏は豆がつぶれて血だらけ、着いたとたん痛みでうまく歩けなくなった。帰りは数時間のところにある飛行場へ這うようにして。

なんであそこまでしたのか、自分でもよくわからない。(笑) チベット仏教徒でもヒンズー教徒でもないのに。


ただこの「聖地」を目指す「巡礼」という体験は、象徴的に今の自分のなかに根づいているように感じている。

「聖地」は人の中にある。

そして足裏を血だらけにしてたどり着こうとせずとも、常にその「聖地」と共にあることができる、はず。

「タラの芽」、感謝

2011-05-26 01:34:03 | 出来事や雑感や (子育て)
よし、今日は「タラの芽」パラダイスに! と思いきや。少し咳をして喉が痛いといっていた次女が昼過ぎから微熱を出す。

急遽友人に「行けなくなった」と告げると、エネルギー有り余る長男、長女、三女を連れて行ってくださると。

ありがたいです。

子供たちに「ちゃんと夕食を採取してくるように」と託し送り出す。

持ち帰ったのは両手の平にのる程の量。どうやら小川で遊んでいたらしい・・・。(笑)


友人がおすそ分けして下さった。こんなにたくさん。

何から何までありがとうございました。

天ぷらにしました。