JR京都駅前地下街・ポルタギャラリー華での父子展。
左が父・康作品、右が子・琢郎作品
琢郎さんの作品には樹脂を使って盛り上げたりと立体的な部分があるのに対し、康さんの作品はすべてきっちり平面。ボードではなく額装されている。
また、琢郎さんが自分が見たもの、感じたもの、自分の想いを絵のモチーフにしているのに比べて、康さんの作品はもっと普遍的というか一般的というか、少し客観性のある視点から描いているような気がする。
こどもの着物の柄のようでもあるし、宇宙空間のようにも見える
右側は、地に根を張り空間に枝を伸ばし日月を戴く「生命の樹」。
同じモチーフで、満月や鳥の飛んでいる絵もあった。
葉っぱが揺れてチラチラする感じが箔での表現にぴったり。
背景の四角は箔で型を取ったもの。箔を貼って隙間に墨を流したあと、箔自体ははずしてしまうのだそう。
朱漆が印象的な作品。
お父さんは油絵を描いてたんですか、と在廊していた琢郎さんに訊いた。
「日本画はやってたけど油絵は描いてません。だからかえってこういう質感が新鮮で面白いんじゃないですか。僕は油絵を描いてたのでそんな意外性がないし、箔でこういうものを描きたいという気はしません」
西陣の箔屋野口は見学もできる町屋なのだが、そこに置かれている朱漆の力強い衝立も康さんの作品。
こういう絵、好きなのでもっとあるといいな、と言ったら、描くのに気合いがいると言ってました、とのこと。
↓衝立の写真を載せた記事。写真はぶれてます。
http://blog.goo.ne.jp/nifatadumi/e/9f15725f65c315117096a9f02bf8f4a1
左が父・康作品、右が子・琢郎作品
琢郎さんの作品には樹脂を使って盛り上げたりと立体的な部分があるのに対し、康さんの作品はすべてきっちり平面。ボードではなく額装されている。
また、琢郎さんが自分が見たもの、感じたもの、自分の想いを絵のモチーフにしているのに比べて、康さんの作品はもっと普遍的というか一般的というか、少し客観性のある視点から描いているような気がする。
こどもの着物の柄のようでもあるし、宇宙空間のようにも見える
右側は、地に根を張り空間に枝を伸ばし日月を戴く「生命の樹」。
同じモチーフで、満月や鳥の飛んでいる絵もあった。
葉っぱが揺れてチラチラする感じが箔での表現にぴったり。
背景の四角は箔で型を取ったもの。箔を貼って隙間に墨を流したあと、箔自体ははずしてしまうのだそう。
朱漆が印象的な作品。
お父さんは油絵を描いてたんですか、と在廊していた琢郎さんに訊いた。
「日本画はやってたけど油絵は描いてません。だからかえってこういう質感が新鮮で面白いんじゃないですか。僕は油絵を描いてたのでそんな意外性がないし、箔でこういうものを描きたいという気はしません」
西陣の箔屋野口は見学もできる町屋なのだが、そこに置かれている朱漆の力強い衝立も康さんの作品。
こういう絵、好きなのでもっとあるといいな、と言ったら、描くのに気合いがいると言ってました、とのこと。
↓衝立の写真を載せた記事。写真はぶれてます。
http://blog.goo.ne.jp/nifatadumi/e/9f15725f65c315117096a9f02bf8f4a1
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