にわたずみ

松岡永子
日々のことなど

『二つの世界のはざまで』 ~『ディブック』とユダヤ文化ルネサンス

2015-11-20 14:18:22 | 舞台
10月2日(金)16:30 大阪大学21世紀懐徳堂スタジオ

ネットでたまたま見つけた催し。
ポーランド文学古典叢書第5巻『ディブック/イヴォナ』刊行記念の企画で、『ディブック~二つの世界のはざまで』を朗読劇として上演する。
何に惹かれたかというと、この詩句。

なにゆえに、なにゆえに
魂は
天の高みから
奈落の底に落ちるのか?
転落はそのうちに
飛翔の芽を宿すがゆえに

ハシディズム(ユダヤ教の神秘主義思想…という説明ではたぶんずれている。講演の中で説明されたが、基礎知識がないのでよくわからない)で歌われる旋律の歌詞だそうで、『ディブック』の冒頭でも演奏される。

わたしはイディッシュにもユダヤ教にも特別な関心はない。ただ、神秘主義思想一般には興味がある。そういう者にとってもなかなか面白い公演だった。

第一部は講演「S・アン=スキ『ディブック』とユダヤ文化ルネサンス」
二部は演奏会(クラリネットとアコーディオン)
ハシディズムの音楽といっても、わたしにはよくわからない。トルコとかスーフィと(あれはイスラムか)と似た響きがするなあ、と思う部分があるくらい。耳のある人が聴けばいろいろと面白いのだろうが。
そのあと休憩を挟んで朗読劇『ディブック――二つの世界のはざまで』
第一部で講演、第二部で歌を歌った赤尾光春氏(出版された本の訳者でもある)は、芝居で一番の汚れ役を務める。なんだかすごく楽しそう。

ブリニツの町一番の金持ち・センデルの娘レアは、美しく性格も良いのになかなか縁談がまとまらない。レアは神学院の学生・ホネンと密かに想い合っている(たぶん財産のないホネンはセンデルに申し込みができないのだろう)。だが、とうとうセンデルがレアの結婚を決めてきた。その知らせに、ホネンは心破れて死ぬ。一方、花婿と対面したレアは男の声で喋り、罵る。ホネンのディブック(悪霊)に憑かれたのだ(エクソシストで同じようなシーンを見たことありますよね)。
悪霊払いを依頼されたアズリエル師のもとに、夢を通じて死者から異議申し立てが入る。それは早くに亡くなったホネンの父親からで、もともと友人だった自分とセンデルは子ども同士を結婚させる約束をしていたのに、センデルがそれを反故にしたのだという。
死者と生者を同席させての法廷が開かれ、判事役のアズリエル師は、ホネンの父親の主張を正当と認め、センデルに財産の半分の喜捨とホネン一族を祀ることを言い渡す。
センデルは判決を受け容れる。が、死者は納得していないようだ。
とにかく用意は調った。ディブックはレアの中から追い出され、人々は花婿を迎えにゆく。

最後は、法より愛よね、といった感じのラスト。
このお話がとても人気があったというのはわかる気がする。ロマンチックだから。日本でもうけるんじゃないだろうか(めんどくさい宗教的台詞をなんとか処理できれば)。

キリスト教みたいな一神教では(だからユダヤ教でも)輪廻転生は認められないのだと思っていた。だからこの話にでてくる民俗が、馴染み深いものだったのが意外だった。
横死した者は地上を彷徨い、生者に取り憑いたり害をなしたりする、とか草木に生まれ変わることもある、とか(植物になると行動できないので成仏できない、という点はかなり違うと思うが)。
一族の後継者を殺すことは生まれてくるはずだった子孫すべてを殺すこと、という考え方は『子不語』あたりで読んだ気がする。儒教思想だったろうか。

生と死が地続きで、生者と死者が裁判に同席する、というのが「二つの世界のはざまで」というサブタイトルの由来だろう(もともとはこちらのほうがタイトルだったらしい)。
リーディング公演ということで最低限の装置と衣装(一人何役もするが、主要人物のときは一定の衣装を着る・または羽織る)だが、入退場があり、動きもある。
見ごたえあったが、予定よりかなりの時間オーバー。翌日は二回公演だったようだが、大丈夫だったろうか。

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