毎度、ねずみだ。
4/1は親父の誕生日だった。生きていれば85歳になる。もう鬼籍に入って1年と3ヵ月である。相続手続き、お袋の入退院やら老人ホーム入所やらで、本当にバタバタしていて、最近ようやく一息つけた感がある。
先日親父の墓前で「いんやー、本当に大変な一年だったよ。」と話す。
この年になると、私の周囲でも何人も亡くなってあの世に行ってしまっている。忙殺される日々の中で時折思い出すことはあっても、だんだんその頻度が減っているのも事実。
私がよく引き合いに出すこんな話が。昔に見た夢だったかもしれない。
私はどこかの競技場のトラックを回りながらゆっくり走っている。遠くに日が落ちかかってぼんやり暗くなっているところを見るとどうやら夕暮れ時のようだ。暖かくも寒くもなく心地よい微風を頬に感じる。
一周回ってくると一つ歳をとる。もう何週走った事だろう。確か54回目だ。
向こうに手を振っている人がいる。夕暮れの薄暗さも手伝って遠くからだと良く見えないが、その人の前までくると顔がはっきりと分かる。41歳の若さで亡くなった友人だ。私が39歳の夏に膠原病がもとで亡くなってから、彼女はずっと41歳。相変わらず控えめな彼女がトラックの脇に佇み微笑んでいる。
すぐに彼女の歳を追い越してしまい、トラックを回って彼女の前を走りすぎているうちに彼女はずいぶん年下になってしまった。「相変わらず若いままだね。」と言葉をかける。
「もう私の事なんか忘れてしまったでしょう。」「いや、忘れることはないよ。」
亡くなった叔父や叔母の顔も見えてきた。彼らの前に差し掛かると「元気でやっているか?仕事は慣れたか?」と声をかけられる。「何を言っているんですか叔父さん。私はもう54歳になりますよ。」と返す。
その横に昔飼っていた柴犬と一緒に親父が立っている。細い眼をさらに細くして「色々と世話になったな、元気でやっているか」と声をかけてくるので、しばし足を止め話す。お袋を老人ホームに入れたことを詫びると、「しょうがないことだ。気にするな。」と頷いてくれる。「金がかかるだろう。いざとなったら家と土地を売れば良い。」と言うので「ありがとう、親父。そうさせてもらうよ。」と返した。
そうこうしているうちに、さらに日が落ちてくる。名残惜しいが私は再び走り始める。
怒涛のような毎日に流されないように、私は再び走り始めなければならない。生きていく限り走り続けなければならない。
一年かけてトラックを一回りして、また彼らの顔を思い出す。