鼠丼

神の言葉を鼠が語る

<785> 230101 ピザパイの歌

2023-01-01 14:59:39 | 日記
 毎度!ねずみだ。

 新年が明けた。

 ということで昔の話を。

 私が小学校四年になるタイミングで、親父が愛知県から東京に転勤になった。転入生には往々にして2種類あり、ちやほやされる者といじめられる者に分けられる。私は後者だった。愛知の田舎から出てきたこともあり「言葉」が汚かったのが原因。
 田舎では明るかった私は口数の少ない少年に、目立たない少年になった。

 国語の時間、教科書の教材の一つに「ピザパイの歌」というのがあった。田舎の爺さんと婆さんが都会に出てきて、美味いものを食べようということになってピザ屋に入る。初めて食べたピザに魅了された爺さんが店で働かせてもらうことに。
 ある日店長は店の材料の減りが速いのに気づき夜こっそりと店の厨房を覗く。すると爺さんが歌いながらピザを焼いている。あまりに美味しそうなので店長はそのピザを食べさせてもらう。店のピザより美味かったため店長は爺さんに店でピザを焼いてもらうようにお願いするが、爺さんは断り田舎に帰る、という内容。
 爺さんが空中に放り投げる丸い生地の絵が挿絵として書かれていた。

 一読後、先生が「ここまでで何か質問がありますか?」と聞く。

 一番前に座っていた私は、よせばいいのに手を挙げる。「ピザってなんですか?」
 田舎から出てきたばかりで「ピザ」の存在を知らなかったのだ。一瞬教室は静まり返る。その瞬間私は「しまった!やっちゃった!」と気づいた。
 時すでに遅く、クラスは大爆笑の渦に。ここかしこから「えー?ピザ知らないの?」「あいつ、田舎者だからピザ知らないんだ。」という声が聞こえる。耳がカーっと熱くなるのが分かった。拳をぎゅっと握りしめて唇を噛む。絶対に涙を流さないように。泣いたら余計に笑われる。

 放課後、下を向いて帰る私の横をクラスの連中が「今日、ウチに来いよ。ピザ食べようぜ。」と声高に話しながら通りすぎる。自然と早足になり、家に近くなると走り出した。
 家のドアを開けるや否や、ほとんど叫び声にちかい声とともに涙が次から次へと流れ出た。驚いてお袋が「どうしたの!?」と声をかける。私は「い、田舎者だから、ピ、ピ、ピザ知らないって。」と言うのがやっとだった。悔し涙は一向に止まらなかった。私は話す代わりに教科書の「ピザパイの歌」の部分をお袋に見せる。お袋はすぐに理解し、私を抱きしめると「ごめんね、ピザなんて知らないよね。田舎にはなかったもんね。」と言った。
 しばらくしてようやく私が泣き止むと、お袋はエプロンをはずし、サンダルをつっかけ何も言わずに近所の小さな個人商店に走った。ピザを買いに行ったのだ。ただ残念ながら個人商店の品数には限界があり、教科書の挿絵にあるようなりっぱな丸いピザは置いてなかったようだ。玄関で立ち尽くしていた私の目の前に差し出された貧相なピザは、お世辞にもピザとは言えないようなものだった。

 こともあろうか、私は「こんなのピザじゃない!」と言ってしまった。当時の個人商店に、今ではどこのスーパーでも見かけるようなピザが置いてある訳がなく、辛うじてパッケージのラベルに「ピザ」と読める程度の、それでも私と同じくピザを見たことがない母親がなんとか手に入れてきたものに対して、「こんなのピザじゃない!」と言ってしまったのである。

 今度はお袋が泣く番だった。「ごめんね、ごめんね。」お袋も私同様に悔しかったのだろう。何度も「ごめんね。」を繰り返した。

 その後、お袋が買ってきたピザをトースターで温めて二人でもしゃもしゃと食べる事に。
 私はお袋に謝る気持ちでいっぱいだったので、なんとか「これが東京の味なんだね。」とだけ言った。そうしてまた私は泣いた。お袋も泣いた。

 それから何十年も経つ。実家に立ち寄る際にピザを買っていく度、この話をする。お袋も憶えていて、「そうね、あの時は参ったね。ピザなんて知らなかったからね。」と笑う。「あれだけ悔し涙を流したのは後にも先にも無いよ。悔し涙を流しながらピザ食べるなんてね。」と。

 だが、お袋、違うんだよ。初めの涙は確かに悔し涙だったけど、ピザを食べながら流した涙はお袋への感謝の涙だったんだ。とても大切な思い出なんだ。本当に、ほんとうにありがとう、と伝えたかったんだ。

 私はよく冗談でお袋に「お袋の通夜にはみんなにこの話するからね。」と言ったものだ。お袋も「そうだね、良い思い出だね。」と笑った。

 そうして12月の30日。暮れも押し詰まった寒い日。私は葬儀に集まった親類縁者に、お袋との約束通りにこの話をした。12月29日、お袋は先に亡くなった親父の待つ天国に旅立ったのだ。眠るように、本当に静かに息を引き取った。

 これが私の「ピザパイの歌」