毎度!ねずみだ。
先日、親父の墓に顔を出した時の事。
親父の墓には基本毎週顔を出している。お袋が世話になっている老人ホームに差し入れのプリンを持って行った帰りに寄るので、よほどの事が無い限り毎週のルーチンになっているのだ。
おそらく世界で最も墓参りを頻繁に行っている一人では、と自負している。
お盆の時期だったこともあって、墓苑内に並ぶ墓石にはどれも花が供えてあった。いつものように墓を洗って線香をあげ、しばし親父に話しかける。線香が燃えて煙が出ている間はその煙に乗ってあの世の親父に話が届くらしいので、ゆっくりと話ができる。他の人は頻繁に墓参りに来ないのか、めったに他人に会うことはないので気兼ねする必要がない。
しばし話した後、あまりに暑かったので、少し寺の中で涼んでから帰ることに。その寺は地下に永年供養用の位牌が大量に並んでおり、給湯機が供えられている。紙カップに冷たいお茶を注ぐと一休みさせてもらった。
ふと見ると郵便ポストが。あの古めかしい、赤くて丸いタイプのポストである。近寄ってみるととなりに机といすが。封筒と便箋まで用意してある。「亡くなったあの方に手紙を書いて送りましょう。」と書いてあり、どうやら坊さんが「お焚きあげ」してくれるようだ。
そこでボールペンをとり、「親父へ」と書き始めた。親父があの世に旅立ったあと、心身ともにからっぽになったお袋が骨折による入退院を繰り返した事、老人ホームにお世話になり始めた事、今では面会に行ってもほぼ反応が無くなった事、など。
普段墓に向かって話していることだが、親父は耳が遠かったのでもしかしたら聞こえてなかったかもしれぬ。あらためて手紙に書いたので、今度はちゃんと届くだろう。
そこまで書いて、ふと親父には手紙を書いたことがなかったのでは、と思い当たる。
幼稚園だったり学校だったりで親に感謝の手紙を書いたことがあったかもしれないが、自発的に親に、しかも親父には手紙などついぞ書いた事がなかったのでは。
世の中の多くの息子がそうであるように、男親とはあまり話さないものだ。(そんな事はないのか。)
不思議なもので、次からつぎへと親父に伝えたい事が溢れてきて、あっという間に便箋が一杯になってしまう。
最後に。飯と風呂の時間以外はほとんど眠っているお袋の夢の中に出てきて、お袋の話し相手になってやってくれ、と頼んだ。今では一切喋れなくなったお袋も自分の夢の中では相変わらずよく喋るのかもしれない。
少なくとも私の夢の中に出てくるお袋はまだ若く、そして元気である。「なんだ、お袋、元気になったのか!」と毎回夢の中で驚かされる。そして、たいてい親父はその隣でニコニコしているだけである。
おしゃべりが好きなお袋とは対照的にあまり喋る事のない親父だったが、せめておふくろの夢のなかでは饒舌であって欲しい。
じゃ、また。