毎度!ねずみだ。
「ねずみ-ホ-57号通信」から始めて20年くらいの時間が過ぎた。たしか2001年の1月くらいに始めたはずだ。もうすぐNHKから取材が来てもおかしくないが、おかしいのは私の脳みそかもしれない。のうみそみそみそみそしれり。
友人でもある読者の一人に「1,001回まで続けるからね。」と約束したのだが、一向に1,001回に届かないまま20年経ってしまった。その友人が亡くなったのはもうかれこれ14年以上前になろうか。彼女は41歳で亡くなったので今でも41歳だ。当時の彼女の写真は今でも残っており、花に囲まれて同じ笑顔のままでいる。当時39歳だったか40歳だったかの私はすでに54歳。彼女よりずっと年上になってしまった。
月日というのは目の前を過ぎ去った瞬間に物凄い勢いで遠ざかってしまう。滝から落ちるように。記憶もしっかりと捕まえておかないとどんどん朧(おぼろ)になる。そうして私は記憶がおぼろになっても良いようにネットに記憶を刻み続ける。
さて、旅行などの個人的娯楽のためにはほとんど会社を休まない私であるが、ここ何年かは亡くなった親父の件だったり、病院への入退院、施設への入所出所を繰り返すお袋の関連でしょっちゅう休んでいるような気がする。仕事が忙しい中で病院や施設に呼び出されるのは正直厳しいが、後で後悔するのも嫌なので前日に仕事をやっつけて「明日休みなので探さないでください。」と周囲にメッセージを残す。
時々正直「面倒だ」と思う事もあるが、そんな時は必ず自分の母親に照らし合わせて考えてみる。
私と兄がまだ幼かったころの話。兄は体が弱く、お袋はさらに幼かった私を近くに住む自分の姉(私にとってはおばさんにあたる)に預けて、何度もなんども病院に足を運んだそうだ。
その度にお袋は「面倒だ。」などと一度でも思ったろうか。そんな事を考える余裕もなくただ自分の息子を抱きかかえて病院に向かっただろう。あとになってお袋と思い出話をすると彼女は決まって「弱い体に産んで申し訳なかった。」と自分を責めるばかりであった。
そう考えると私自身にだって思い当たることがある。家から歩いて30分程度の小学校に通っていた時期、忘れ物をすると先生に頼んで家に電話してもらい、届けてもらった事が何度かあった。片道30分の距離を彼女は息子の忘れ物を抱えて学校まで来てくれたのだが、当時の私はちゃんと「ありがとう。」と言えただろうか。忘れ物を頼んでおいて恥ずかしさのあまりつっけんどんに対応してはいなかったか。いつかお袋に聞いてみたい。そして遅まきながら謝りたい。
先般お袋が足の骨を折って再入院、治療が終わりリハビリ病院に移った。入院後の初回カンファレンスだというので会社を休み病院に赴く。一週間ぶりに私の顔を見たお袋の目には光が無かった。私が話しかけるとやっと自分の息子だと認識したようだ。
看護婦が耳元で「誰だか分かりますか?」と聞くとかすれた声で、しかしはっきりと「むすこ。」と答える。3週間の治療と1週間の入院でさらに背中が曲がり、一気にまた年をとったようだ。
コロナの影響で面会が出来ないのもあって、ベッドの上で空虚な天井を眺めるだけの孤独の時間が、残酷にも彼女の心の中から大切な記憶を奪い去っていってしまうのかもしれない。
すでに先ほど食事をしたかどうかさえ忘れているようだ、という医師の話に「そんな事は大した事ではありません。自分の息子や楽しかった記憶が心の中に残っていればそれでじゅうぶんです。」と答える。せめて少しの時間だけでも毎週面会できませんかね、と聞くも返ってきた答えは半ば予想した通り「コロナですので」。全国の何十万人もの息子や娘が何万人もの医者に同じことを問うているだろう。そして同じように「コロナだから。」の一言に失望させられているだろう。
病院なので何かあった時にもすぐに対応してくれる、そう思って諦めるしかない。