奈良へ移動。奈良線には103系が走っており、ウグイス色がほとんどであるが、乗ったのはスカイブルー色でラッキーだった。
バスで平城宮跡へ。土休日には観光ポイントを結ぶ運賃の安いバスが走っているが、今日は平日なので残念。バス停を降りてすぐの「遺構展示館」に入った。発掘された地面の様子が見れる。希望すれば無料でボランティアの人からガイドが受けられる。
宮内省跡。
第二次大極(だいごく)殿跡は普通の平地となっている。ただ、円柱の木々がたくさんあった。柱を模しているのか?
平城宮跡はだだっ広く、巡るのが楽しかった。そして、復原された第一次大極殿へ。権力を誇示するため、デカくて豪華な建物である。空の様子が調和していて、今日行って正解だった。タイムスリップしたかの様。「大極」とは宇宙の根源で、古代中国の天文思想では北極星を指すそうである。大極殿は天皇が様々な国家儀式を行う施設だったそうである。
まだ発掘調査は続いており、幢旗(どうき)遺構の調査中とのこと。
欄干の珠が豪華さを表しているなあ。
天皇の玉座。
平城宮跡の中を走る近鉄を撮影したけど、線路近くの草にほとんど車体が隠れてしまった。
各見学ポイントは午後4時までしか入れず、4時半には閉めてしまう。ちょっと早いよなあ。急いで「平城宮跡資料館」に向かった。ここは奈良文化財研究所も併設されている。
年表を見て驚いたのは、近鉄の車両基地が平城宮跡内に造られる計画があったらしい。近くの大和西大寺駅はターミナル駅だからなあ。
発掘された土器。
再現された宮廷料理。アワビや車エビとか、贅沢な食材が使われていたそう。
ありがたいことに、これまで見学したところ全て料金無料である。ただし、時間の都合で行かなかった「平城京歴史館」は有料である。
さて、ここからは撮り鉄を。やはり、大極殿側から線路越しに朱雀門を入れての撮影は草に邪魔された。
反対の大極殿を線路越しにしての撮影はまあまあいいかな。
閉まってしまって近付けなかったけど、朱雀門。
今日は天気が良いから東大寺二月堂からの夕焼けが良いだろうが、もう暮れはじめたので帰路に就くことにした。夜勤明けでも観光中は眠気はそう無かったけど、列車に乗った途端に眠ってしまった。2回目も良い天気となります様に。暮れるのが早くなる8月中旬以降を予定している。
以前「ぶっちゃけ寺」という番組で、アニメ「一休さん」の一休さんが晩年を過ごした酬恩庵(通称「一休寺」)が取りあげられた。京都府京田辺市にある。一休さんは実在したお坊さんがモデルになっており、一休宗純という人である。一休さんが実在したというのは知っていたが、「アニメの安国寺って本当にあったのかなあ?」くらいしか思わなかった。なお、安国寺は本当にあったそうで、京都にあったけど「応仁の乱」で焼失したそうである。夏恒例の「青春18きっぷ」の旅で行こうと思った。
あわせて、京都か奈良を観光しようと思った。京都は小学校の修学旅行で行ったところ以外をいくつか観光したことあるけど、奈良は修学旅行以来観光していないので、奈良に行くことにした。そんな計画中に「ブラタモリ」で奈良が取りあげられ、その中で平城宮跡に興味を持った。なんと、平城宮跡の中を堂々と近鉄が走っている。撮り鉄もできるだろうなあ。僕の旅はテレビ番組に影響されやすい(笑) また、大人になってから修学旅行で行ったところを再訪するのもいいと思った。夕暮れ以降は観光客も少なくなるというし、東大寺の二月堂から見る夕焼けがきれいだという。修学旅行で行かなかった唐招提寺にも行ってみたい。しかし、日帰りで行きたいところ全て廻るのは無理である。宿泊するとお金をさらに遣うことになるし、「青春18きっぷ」も計5回分あるから、2回に分けて古都の旅をすることにした。
今日は仕事が休みである。とはいっても夜勤明けであるが。平日は観光客少ないだろうし、「青春18きっぷ」で移動する人も少ないだろうから、今日1回目で行ってきた。名古屋圏と関西圏は通勤のピークを避けられ、ずっと座れた。大垣~米原 は4両編成で混んでいたけど。奈良線は乗客の半分位が外国人だった。
まずは酬恩庵へ。片町線(学研都市線)京田辺駅から徒歩15分位かかった。途中、電柱毎に一休さんについての話が貼られていた。蜷川新右衛門も実在した人物だそうで、物部親当というそうである。ただ、親当が仕えたのは足利義満ではなくて義教で、一休さんと関わりがあったのも大人になってからだそうである。
酬恩庵に到着。立派なお寺の風格。
紅葉がいいだろうね。
一休さんは後小松天皇の子という説が有力で、一休さんが眠っている建物の敷地は宮内庁管轄である。敷地の右手には枯山水の庭園がある。
枯山水の方丈庭園に通じる「舎裏」という建物に入った。お土産を売っており、名物の「一休寺納豆」を試食した。味噌を一粒食べる様な感じだった。お酒のつまみにと購入した。
とんち話の1つである虎の屏風。この話はつくり話だそうで、ネタとして屏風が置いてある。
一休さんは別に大徳寺の住職にもなり、御輿で大徳寺まで通ったそうである。
一休さんの木像。重要文化財だから近くには行けなかった。弟子に等身大の木造を作らせ、自らの髪とひげを植え付けたそうである。
南庭の縁側に座り、心落ち着く庭園を鑑賞した。暑い中、心の内から涼しくなった。観光客が少ないので、しばしのんびりした。
北庭は庭師が手入れ中で、訪問が重なって残念。でも、手入れがあるから景観が保たれるわけだし。
本堂。
宝物殿へ。僕はこの話の記憶が無いが、正月に浮かれている民衆の中を一休さんがどくろ面の付いた杖を持って「ご用心ご用心」と言いながら歩いたという話が本当のものだそうで、そのどくろが展示されていた。「1年が過ぎたということはそれ分死に近付いたのだから、あまり浮かれ過ぎずに気を引き締めなさい」という諭しであろう。
「このはしわたるべからず」もつくり話だそうで、これもネタで橋が作られた。もちろん、真ん中を歩いた(笑)
一休さんは漢詩の才能があったり、数々の教えの言葉を残しており頭が良く、それがアニメ「一休さん」の元であろう。しかし、奇人でもあり、僧侶でも酒を飲み、肉を食べ、性欲も封じなかったそうである。一休さんについて全然まだ理解していないけど、物事に疑問を持ち、形にとらわれず、権力に媚びず、先述のどくろの話や、信者にめでたい言葉を授けて欲しいと頼まれたら「親死 子死 孫死」と書いたというエピソードから、お坊さんだから当然なのかもしれないけど死生観はしっかりした考えを持っていたのであろう。
そこにまつわる人物を思いながら訪ねる、庭園等景観が素晴らしい寺・酬恩庵、穴場の観光スポットとしてオススメである。
これまではいくら長文になっても1つの日記にしていたけど、今回から適度に分割してみる。とはいってもまだ長いけど(苦笑)