内閣改造で大変だった野田君、あんたはなぜしゃべらないんだ!
ミャンマーで今まさに、自由化が始まった。
私はこのニュースを知って大変うれしくなった。
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アウンサンスーチーは1988年4月、病気の母を看護するためロンドンからビルマに戻った。
一方、1987年9月の高額紙幣廃止令などをきっかけに、学生を中心に始まった反政府運動(8888民主化運動)は、デモ中の学生が虐殺された同年3月以降に激化した。同年7月には1962年の軍事クーデターより独裁政治を敷いていたネ・ウィン将軍・ビルマ社会主義計画党議長が辞任した。
戒厳令下では学生、市民らが大規模なデモを行った。
アウンサンスーチーは8月26日にシュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向け演説を行った。
9月18日には国軍がクーデターを起こし、ソウ・マウン議長を首班とする軍事政権(国家法秩序回復評議会、SLORC。のちのSPDC―国家平和発展評議会)が誕生した。
民主化運動は徹底的に弾圧され、数千人の犠牲者が出た。
アウンサンスーチーは9月に、翌1990年に予定された選挙への参加を目指し、国民民主連盟(NLD)の結党に参加する。全国遊説を行うが、1989年7月に自宅軟禁された。
国外退去を条件に自由を認めるともちかけられたが拒否したと言われる。
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23年もの間、自宅軟禁を余儀なくされたのだ。
しかし、時が総てを解決の方向に変えていった。
昨日は220人の政治犯が恩赦で釈放された。
当然、裏では米国がプレッシャーをかけていたのだろう。
このビルマの動きに、早速、大使館を置くという。
しかし、この重大なミャンマーの動きにわが野田君は何も言わない。
これが政治家であろうか?
野田君、君は政治家として自信を持って発言せよ。