「奥様、おいら仕事が見つかりました」
耕太が喜んで飛び出してきた。その後を、奥方が追って出てきた。
「どのようなお仕事ですの?」
「お客様の相手をすればよいのだそうです」
弥生は、首を傾げた。
「いったい、何を商うお店(たな)でしょうね」
「まだお店に行っていないのでわかりませんが、道で男の人に声をかけられたのです」
「それで、いつお店に紹介して貰えるのですか?」
「明日の朝です、五年先までのお給金を前借りできるそうです」
弥生は、怪しいと話だと確信した。
「今夜、旦那様がお帰りになったら相談してください、全てお話しするのですよ」
「はい」
弥生は会津の出である。江戸のことはよく分からないのだが、十三歳の駿平にとって、こんなにも都合のよい話があるものだろうかと疑問を抱いた。
「耕太喜べ、おっかちゃんを取り戻せるかもしれないぞ」
「本当かい、嬉しい」
無邪気にはしゃぐ子供たちを眺めながら、不安に駆り立てられる弥生であった。
「旦那様、お帰りなさいまし」
駿平たちを喜ばすような良い情報が無かったのであろう。こころなしか格之進の表情は曇っていた。
「あなた、駿平さんが仕事を見付けてきたのですって、何だか怪しいお話しなのでよく訊いてあげてくださいな」
「怪しい?」
「どこの誰だかわからない男の人に、誘われたそうです」
「わかった、聞きだしてみよう」
夕餉を終えたあと、格之進は兄弟を呼んだ。
「駿平、それでどのような仕事か教えて貰えなかったのか?」
「はい、でも働くところは陰間茶屋と言っていました」
格之進は驚いた。この男は、巧言で女や男の子を騙して、遊里や富豪の男色家に売りつける人攫いの類に違いない。
「それで、その男と何か約束したのか?」
「いいえ、お世話になっているお屋敷の方々にご挨拶してから行くので、明朝待ち合わせということにしました」
「よくやった、そのままついて行っておれば、母親の二の舞になるところだった」
「おいら、売られるところだったのですか?」
「そうだ、お給金の前払いなど真っ赤な嘘で、その男が全額受け取ってとんずらされるところだったのだ」
「なんだ」
駿平は、がっかりした。
翌日、格之進は手下二名を駿平につけることにして、それを伝えに下男を番屋に走らせた。男が怪しい素振りをしたら捕えてふん縛るもくろみである。
早朝、格之進の屋敷に、伝吉と平次という目明しが来た。格之進は、二人に小声で何事か指示して声高に「抜かるではないぞ」と言い放った。
駿平が男に指定された場所で待っていると、ひょいひょいと男が姿を現した。
「待たせたな、では行こうか」
「はい」
道のりは、可成り遠かった。朝でかけて、昼前に郊外のとある屋敷に到着した。
「茶屋ではないのですね」
駿平は、男に尋ねてみた。
「そうだ、今日からお前はここで働くのだ」
「お金は、いつ貰えるのですか?」
「お屋敷の主がお前の働きを見て、気に入れば渡してくれるのだ」
男は駿平を屋敷の戸口に待たせると、中へ入って行った。そこへ伝吉が来て、駿平の口を人差し指で封じて見せた。この時は、既に平次の姿は消えていた。
伝吉は、屋敷内の様子を窺っている。中では、なにやら交渉している様子である。
「小僧、入って来なさい」
駿平が屋敷内に入ると、五十絡みの主(あるじ)らしき男が駿平の頭から足の先まで舐め回すように見ている。
「ご主人さまだ」
男が主を紹介した。
「この子かい駿平というのは、わしの屋敷に奉公したいのか?」
「はい」
「歳はいくつだ」
「十三歳です」
屋敷の奥では、使用人らしき、いや用心棒かも知れぬ屈強な男達が棒立ちでこちらを見ている。主は、駿平を連れてきた男に、指を三本立て示した。
「そんな殺生な、こんな上玉ですぜ、せめてこれは戴かないと‥」
男は指五本を示した。
「素性は?」
「孤児でさぁ」
「よし、それで手を打とう」
使用人に五十両を持ってこさせて、人攫いに手渡し、男が懐に捻じ込んだところで、入り口の外で呼び子の笛が鳴った。
「子供の売り買いはご法度、まして男の子となれば重罪だ」
呼び子笛の合図で平次とともに駆けつけた同心が叫んだ。その後ろには、刺又、突棒、袖絡と十手を手にした捕り方が並ぶ。この屋敷の主は、以前から人買いの容疑で目を付けられていたのだ。
「駿平、焦るな、お前たちのことはこのわしが悪いようにはしない」
その夕刻、奉行所の勤めを終えて屋敷に戻った格之進が駿平兄弟に言った。慰めだけではなく、母親お由の行く方も、ほぼ掴めたようである。
「最近、千住に会津出身の女が来たようで、名前はお由という」
「おっかちゃんだ」
耕太が叫んだ。格之進は気を使って「千住」としか言わなかったが、駿平は「千住遊郭」だと分かっていた。
「駿平は侍になる気はないか?」
「なれるのですか?」
「一応、わしの義弟として、子供が生まれない同心夫婦の養子になるのだ」
「なりますが、耕太はどうなるのですか?」
「耕太は江戸の大店、津野国屋が引き受けてくれるそうだ、丁稚だが年季奉公ではないぞ、お給金の前借ということで、三十両渡して貰える、保証人はわしだ」
「はい、一生懸命つとめます」
明日、双方へ連れて行って、承諾を得るのだと格之進は言った。明後日は、高崎格之進独りで千住へ確認するために行くという。
「高崎様、おいら達も連れて行ってください」
「おっかちゃんに会いたいです」
連れて行っても、子供は遊郭へは入れない。
「お前たちのお母さんが居るところに、子供は入れないのだ」
「会えずとも構いません、少しでもおふくろの近くに行きたいのです」
「そうか、では行こう」
子供の居ない同心は、一番目の妻との間に子供に恵まれず離縁し、二番目の妻との間にも生まれずに離縁した。現在は、三番目に貰った妻と三年添ったが、未だ子宝に恵まれず四十路を迎えてしまったのだという。賢そうな駿平を見て、高崎格之進様の義理の弟君であれば申し分ないと、是非とも養子になってほしいと望まれた。
津野国屋でも、高崎格之進様の後ろ盾があるなら是非にも奉公して貰いたいと、揉み手で受け入れてくれた。
日本橋から日光街道に行く手をとり、最初の宿場町が千住であった。その中で江戸の街中よりも人通りがある色街と呼ばれる郭で兄弟の母親は働いているのだそうである。
「おっかちゃんに、会いたいなぁ」
耕太が呟いた。
「我慢をしようよ、いつかきっと会えるのだから」
駿平は、兄として耕太を宥めたが、駿平もまた母親に会いたい気持ちは耕太以上であった。遊郭から少し離れた橋の上で兄弟は待ち、格之進一人が遊郭の中へ消えていった。それから半刻(一時間)ほどして、格之進は兄弟のもとへ戻って来た。
「喜べ、お前たちの母親に違いなかったぞ」
お由に、駿平と耕太が千住まで来ていることを伝えると、大泣きをして息子たちに詫びていたそうである。駿平と耕太の行く末を話し、一年もすれば兄弟で見受けしてくれるぞと話すと、悲しみの涙は喜びの涙に代わり「母は頑張ります」と、伝えて欲しいと、笑顔さえも見せたそうである。
それからの兄弟は、強く明るくよく働いた。駿平は、同心の家へ養子に入ったものの、養子では義父の跡目を継ぐことは出来ないかも知れないと知らされても平然として、使用人以上に働き、親孝行につとめるのであった。
耕太は、先輩丁稚のいうことをよく聞き、小さいながらも一生懸命に働いた。その甲斐があり格之進の補充も入れて、見受け料の六十五両の金繰りが出来た。
丁度一年後に、兄弟は格之進に連れられて千住にでかけ、兄弟は母親のお由会えた。
「おっかちゃん、会いたかったよ」
八歳になっていた耕太が、母親の胸に飛び込んだ。抱き合う二人に駿平はそっと近寄り、二人を抱きしめた。
「ところで、お由さんの身の振り方だが‥」
格之進の言葉が終わらないうちに、お由が言った。
「お江戸で子供たちの世話になることは出来ませんので、私は会津へ戻ります」
会津で一人生きているか、死んでしまったかわからない亭主のもとに戻るのだという。
「お由どの、またしても借金の肩に身売りということにならないだろうか」
「子供たちのように、私も働きます」
亭主が病んでいれば、生涯働きながら面倒を看たい。死んでいれば、自分の生涯をかけて弔ってやりたいと言う。
「千住で地獄を見てきました、もう弱いお由ではありません」
そして、お由は付け加えた。
「亭主は、親孝行者の駿平と耕太の実の父親ですもの」 -終-
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耕太が喜んで飛び出してきた。その後を、奥方が追って出てきた。
「どのようなお仕事ですの?」
「お客様の相手をすればよいのだそうです」
弥生は、首を傾げた。
「いったい、何を商うお店(たな)でしょうね」
「まだお店に行っていないのでわかりませんが、道で男の人に声をかけられたのです」
「それで、いつお店に紹介して貰えるのですか?」
「明日の朝です、五年先までのお給金を前借りできるそうです」
弥生は、怪しいと話だと確信した。
「今夜、旦那様がお帰りになったら相談してください、全てお話しするのですよ」
「はい」
弥生は会津の出である。江戸のことはよく分からないのだが、十三歳の駿平にとって、こんなにも都合のよい話があるものだろうかと疑問を抱いた。
「耕太喜べ、おっかちゃんを取り戻せるかもしれないぞ」
「本当かい、嬉しい」
無邪気にはしゃぐ子供たちを眺めながら、不安に駆り立てられる弥生であった。
「旦那様、お帰りなさいまし」
駿平たちを喜ばすような良い情報が無かったのであろう。こころなしか格之進の表情は曇っていた。
「あなた、駿平さんが仕事を見付けてきたのですって、何だか怪しいお話しなのでよく訊いてあげてくださいな」
「怪しい?」
「どこの誰だかわからない男の人に、誘われたそうです」
「わかった、聞きだしてみよう」
夕餉を終えたあと、格之進は兄弟を呼んだ。
「駿平、それでどのような仕事か教えて貰えなかったのか?」
「はい、でも働くところは陰間茶屋と言っていました」
格之進は驚いた。この男は、巧言で女や男の子を騙して、遊里や富豪の男色家に売りつける人攫いの類に違いない。
「それで、その男と何か約束したのか?」
「いいえ、お世話になっているお屋敷の方々にご挨拶してから行くので、明朝待ち合わせということにしました」
「よくやった、そのままついて行っておれば、母親の二の舞になるところだった」
「おいら、売られるところだったのですか?」
「そうだ、お給金の前払いなど真っ赤な嘘で、その男が全額受け取ってとんずらされるところだったのだ」
「なんだ」
駿平は、がっかりした。
翌日、格之進は手下二名を駿平につけることにして、それを伝えに下男を番屋に走らせた。男が怪しい素振りをしたら捕えてふん縛るもくろみである。
早朝、格之進の屋敷に、伝吉と平次という目明しが来た。格之進は、二人に小声で何事か指示して声高に「抜かるではないぞ」と言い放った。
駿平が男に指定された場所で待っていると、ひょいひょいと男が姿を現した。
「待たせたな、では行こうか」
「はい」
道のりは、可成り遠かった。朝でかけて、昼前に郊外のとある屋敷に到着した。
「茶屋ではないのですね」
駿平は、男に尋ねてみた。
「そうだ、今日からお前はここで働くのだ」
「お金は、いつ貰えるのですか?」
「お屋敷の主がお前の働きを見て、気に入れば渡してくれるのだ」
男は駿平を屋敷の戸口に待たせると、中へ入って行った。そこへ伝吉が来て、駿平の口を人差し指で封じて見せた。この時は、既に平次の姿は消えていた。
伝吉は、屋敷内の様子を窺っている。中では、なにやら交渉している様子である。
「小僧、入って来なさい」
駿平が屋敷内に入ると、五十絡みの主(あるじ)らしき男が駿平の頭から足の先まで舐め回すように見ている。
「ご主人さまだ」
男が主を紹介した。
「この子かい駿平というのは、わしの屋敷に奉公したいのか?」
「はい」
「歳はいくつだ」
「十三歳です」
屋敷の奥では、使用人らしき、いや用心棒かも知れぬ屈強な男達が棒立ちでこちらを見ている。主は、駿平を連れてきた男に、指を三本立て示した。
「そんな殺生な、こんな上玉ですぜ、せめてこれは戴かないと‥」
男は指五本を示した。
「素性は?」
「孤児でさぁ」
「よし、それで手を打とう」
使用人に五十両を持ってこさせて、人攫いに手渡し、男が懐に捻じ込んだところで、入り口の外で呼び子の笛が鳴った。
「子供の売り買いはご法度、まして男の子となれば重罪だ」
呼び子笛の合図で平次とともに駆けつけた同心が叫んだ。その後ろには、刺又、突棒、袖絡と十手を手にした捕り方が並ぶ。この屋敷の主は、以前から人買いの容疑で目を付けられていたのだ。
「駿平、焦るな、お前たちのことはこのわしが悪いようにはしない」
その夕刻、奉行所の勤めを終えて屋敷に戻った格之進が駿平兄弟に言った。慰めだけではなく、母親お由の行く方も、ほぼ掴めたようである。
「最近、千住に会津出身の女が来たようで、名前はお由という」
「おっかちゃんだ」
耕太が叫んだ。格之進は気を使って「千住」としか言わなかったが、駿平は「千住遊郭」だと分かっていた。
「駿平は侍になる気はないか?」
「なれるのですか?」
「一応、わしの義弟として、子供が生まれない同心夫婦の養子になるのだ」
「なりますが、耕太はどうなるのですか?」
「耕太は江戸の大店、津野国屋が引き受けてくれるそうだ、丁稚だが年季奉公ではないぞ、お給金の前借ということで、三十両渡して貰える、保証人はわしだ」
「はい、一生懸命つとめます」
明日、双方へ連れて行って、承諾を得るのだと格之進は言った。明後日は、高崎格之進独りで千住へ確認するために行くという。
「高崎様、おいら達も連れて行ってください」
「おっかちゃんに会いたいです」
連れて行っても、子供は遊郭へは入れない。
「お前たちのお母さんが居るところに、子供は入れないのだ」
「会えずとも構いません、少しでもおふくろの近くに行きたいのです」
「そうか、では行こう」
子供の居ない同心は、一番目の妻との間に子供に恵まれず離縁し、二番目の妻との間にも生まれずに離縁した。現在は、三番目に貰った妻と三年添ったが、未だ子宝に恵まれず四十路を迎えてしまったのだという。賢そうな駿平を見て、高崎格之進様の義理の弟君であれば申し分ないと、是非とも養子になってほしいと望まれた。
津野国屋でも、高崎格之進様の後ろ盾があるなら是非にも奉公して貰いたいと、揉み手で受け入れてくれた。
日本橋から日光街道に行く手をとり、最初の宿場町が千住であった。その中で江戸の街中よりも人通りがある色街と呼ばれる郭で兄弟の母親は働いているのだそうである。
「おっかちゃんに、会いたいなぁ」
耕太が呟いた。
「我慢をしようよ、いつかきっと会えるのだから」
駿平は、兄として耕太を宥めたが、駿平もまた母親に会いたい気持ちは耕太以上であった。遊郭から少し離れた橋の上で兄弟は待ち、格之進一人が遊郭の中へ消えていった。それから半刻(一時間)ほどして、格之進は兄弟のもとへ戻って来た。
「喜べ、お前たちの母親に違いなかったぞ」
お由に、駿平と耕太が千住まで来ていることを伝えると、大泣きをして息子たちに詫びていたそうである。駿平と耕太の行く末を話し、一年もすれば兄弟で見受けしてくれるぞと話すと、悲しみの涙は喜びの涙に代わり「母は頑張ります」と、伝えて欲しいと、笑顔さえも見せたそうである。
それからの兄弟は、強く明るくよく働いた。駿平は、同心の家へ養子に入ったものの、養子では義父の跡目を継ぐことは出来ないかも知れないと知らされても平然として、使用人以上に働き、親孝行につとめるのであった。
耕太は、先輩丁稚のいうことをよく聞き、小さいながらも一生懸命に働いた。その甲斐があり格之進の補充も入れて、見受け料の六十五両の金繰りが出来た。
丁度一年後に、兄弟は格之進に連れられて千住にでかけ、兄弟は母親のお由会えた。
「おっかちゃん、会いたかったよ」
八歳になっていた耕太が、母親の胸に飛び込んだ。抱き合う二人に駿平はそっと近寄り、二人を抱きしめた。
「ところで、お由さんの身の振り方だが‥」
格之進の言葉が終わらないうちに、お由が言った。
「お江戸で子供たちの世話になることは出来ませんので、私は会津へ戻ります」
会津で一人生きているか、死んでしまったかわからない亭主のもとに戻るのだという。
「お由どの、またしても借金の肩に身売りということにならないだろうか」
「子供たちのように、私も働きます」
亭主が病んでいれば、生涯働きながら面倒を看たい。死んでいれば、自分の生涯をかけて弔ってやりたいと言う。
「千住で地獄を見てきました、もう弱いお由ではありません」
そして、お由は付け加えた。
「亭主は、親孝行者の駿平と耕太の実の父親ですもの」 -終-
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