雑文の旅

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 最終回 新三、上方へ

2014-02-24 | 長編小説
 藩士と共に松平兼重候の隠居庵を護り、大事には至らなかったものの、十人ばかりの盗賊を逃がした。賊たちは荒稼ぎをして江戸へでも紛れ込むつもりなのだろう。焦っているのが窺える。
 ここ二・三日の内に、盗賊たちは必ずどこかを襲うだろう。こんな時に新三郎が居てくれたら、賊の一人に憑依し次の襲撃の的を偵察してくれるのだが、暫くは戻らないだろう。いつまでも新三郎を頼りにしてはいられないのだ。
 上方は、池田の亥之吉のように、人情味にあふれる人が多いと思っていたが、あのような悪夢を見るのは、きっとそうではないに違いない。鷹之助が気にかかって仕方がない三太郎であった。
 その夜、思いがけなく新三郎が戻ってきた。
   「新さん、鷹之助は無事ですか 鷹之助が殺された夢を見たので心配していました」
   「へい、今は無事なのですが、危ういこともありました」
 こんな事を言えば、三太郎は心配するだろうとは思いながらも、鷹之助に起こった災難を全て話した。案の定、三太郎は「今から上方へ行く」と、言い出した。
   「ここ三ヶ月は大丈夫です」
 実の兄、緒方梅庵が上方に来ていて、鷹之助は梅庵が講師を務める診療院に居ることを伝えた
   「ところで、三太郎さんは何事も無かったのですかい」
   「こっちも、ご隠居庵が盗賊に襲われ、ゆっくりさせて貰えずじまいです」
   「あっしは、直ぐに鷹之助さんの所へ戻ってやらないといけないのですが…」
   「忝(かたじけな)い、そうしてやってください」
   「暫くは大丈夫です、お役に立つことが有ったら言ってくだせぇ」
 夜が明けたら、奉行所の牢に入っている怪我をした五人の盗賊仲間を治療に行く積りだが、その内の一人から、次に襲撃するお店(たな)か屋敷の名を新三郎に探って貰えば一網打尽に出来るのだがと、頼み込んだ。
  「わかりやした、行きましょう」
 奉行所では、例え死罪になる者であっても、怪我人を放置する訳にはいかない。お裁きが下るまでは容疑者であって咎人ではないのだから。
 とは言え、治療する医者が居なくて困っていたところへ三太郎が来たので、渡りに船であった。
   「お医者殿、よく来てくださった、腕を斬り落された男が、早く殺せと叫びどうしでござる」
   「つい力が入って、腕を切り落としてしまったのは拙者でござる」
   「貴殿が佐貫三太郎殿でしたか、これは御見逸れ致した」
   「蘭方の痛み止めの薬を持って参った、これで少しは静かになりましょう」
 消毒で、一頻り悲鳴をあげていた男であったが、痛み止めの薬が効いたのか、やがて男は眠りに就いてしまった。他の四人も、消毒で呻いたが、新しい絆創膏を貼って貰うと、直ぐに安らかな寝息をたてた。昨夜は、五人とも寝ていなかったのである。
 一人の男に、新三郎が憑依した。男の記憶を辿ってみると、隠居の庵を襲った後は、城下町の米問屋「越前屋」を襲撃すると、その男は記憶していた。
   「三太郎、ご苦労であった」
 出てきて労いの言葉を掛けたのは、佐貫慶次郎であった。
   「いえいえ、父上こそお疲れでございましょう」
   「何を申すか、拙者はまだ若い…と言いたいところじゃが、歳には勝てぬのう」
   「屋敷にお帰りになられましたら、お肩など揉み解しましょう」
   「そうか、頼むぞ」
 新三郎から得た盗賊の次の標的は、「御城下の米問屋越前屋のようです」と伝え、張り込みを頼んだ。
   「そうか、お奉行でも吐かせることが出来なかったのに、よくやった」
 早速、今日から店の内に役人たちを待機させると共に、近所にも隠れて待つことにすると慶次郎は勢いづいた。
   「では、私はご隠居様をお見舞申し上げて、先に屋敷に戻ります」
   「三太郎、ちょっと待ってくれ」
   「はい、何の御用でしょうか」
   「兄者から手紙が来ておったのを忘れるところであった」
   「緒方梅庵先生からですか」
   「そうじゃ」
 書簡の宛先名は、「佐貫慶次郎様」であったが、慶次郎へは挨拶と「鷹之助は元気で、勉学に励みおり候」程度の報告で、用件は三太郎へのものであった。
 長崎から上方に船で荷が着いて、「クロロ」という麻酔薬や、傷みの少ない消毒薬「ヨグリ」など、その他新薬も手に入ったとか。用法などを教えるから、三ヶ月以内に上方へ来ないかという誘いであった。
   「ご隠居様にお伺いをたて、お許しが出たら弟子を連れて行ってきます」
   「そうか」
   「お牢の怪我人のことも有りますので、発つのは一月程先になるかも知れません」
   「わかった」
 盗賊騒動は、佐貫慶次郎の手柄で、一網打尽になった。お裁きは、全員打ち首になり、その首は獄門台に晒された。
 弟子の佐助と三四郎は、上方へ行けるのを喜んだ。帰りは、背中に荷物を背負わされるとも知らずに。
 三太郎と佐助と三四郎の三人は、木曽の架け橋、大田の渡しを過ぎて美江寺に差し掛かった。佐助が草を食み、蛙を食って「美江寺の河童」と噂され、辛い日々を生き抜いた地である。その頃を思えば、佐貫の屋敷で佐貫慶次郎から剣を学び、何不自由なく楽しい旅が出来るのも、師佐貫三太郎のお陰である。
 後から、三太郎達を追ってくる男があった。
   「おーい佐助、待ってくれ」
 佐助を追い出した叔父であった。
   「佐助、いい身形をしているじゃないか」
 佐助は、三太郎にしがみ付いた。苛められた恐怖が蘇ったようだ。
   「佐助の叔父さんですか」三太郎が尋ねた。
   「そうです、佐助、お前を育ててやったおれを忘れたのか」
   「佐助は、そのほうに追い出されて、この地で死にかけていたのだ」
   「知らん、追い出した覚えはない」
   「よく言いますね、それで佐助に何の用ですか」
   「おれの倅が病気になって、朝鮮人参を飲ませないと死ぬと医者に言われたのだ」
   「拙者も医者だ、どんな具合なのだ」
   「へえ、両方の耳の下が腫れ上がって、お多福の面みたいになり、痛がっています」
   「それは流行り病だ、朝鮮人参で治る病ではないぞ」
   「先生、診察してやって貰えませんか」
   「断る! 拙者は二人の子供を連れておる、この子らに感染させられないのでな」
   「それでは、佐助を返してください」
   「それも断る、人買いに売って、朝鮮人参を買うのであろう」
   「出るところへ出て、子供が拐かされたと訴えます」
   「生憎だった、美濃の国大垣藩には、拙者の知り合いが多くてのう、拙者が子供を拐わかしたと言っても、取り上げてくれないただろう」
   「では、金を恵んでください、子供を死なせたくない」
   「わかった、それでは薬をやろう、これを飲ませて、腫れたところを冷やしてやってくれ、腫れが引けば命は助かる」
   「おありがとう御座います」
   「一両やろう、これで病人に粥や玉子を食べさせなさい、朝鮮人参を飲ませないと死ぬぞと言った医者は、食わせ者であるぞ、騙されるなよ」
   「よくわかりました、佐助、済まん事をした、許してくれ」
 佐助の叔父は、慌てて帰っていった。
   「あれは、お多福病と言って、子供が罹る流行り病だ、どんな薬を飲んで効かない、冷やして傷みを和らげ、安静にしておれば九分九厘は治る、治れば二度と罹らない病気だ」
 佐助と三四郎は、「うん、うん」と、頷きながら聞いていたが、どんな薬でも利かないのに、何の薬を渡したのか気になるらしい。
   「それは、甘藷の粉だ、甘いから子供は喜んで飲むだろう」
   「効きますか」
   「病気には効かん」
 幾泊かして、三人は上方に着いた。佐助も三四郎も、まるで他所の国へでも来たかのように、見るもの全てが珍しいようであった。緒方梅庵が講師を務める診療院に着いたが、洋館の建物が気味悪いようで、佐助も三四郎も、三太郎から離れようとはしなかった。
   「緒方梅庵先生にお逢いしたい」
 三太郎が窓口から係りの者に声を掛けると、梅庵から聞いていたらしく、快く部屋に通してくれた。
   「先生、お手紙有難う御座いました」
   「おお、三太来たか、二人の弟子も一緒だな」
   「はい、佐助は先生にお会いするのは初めてですので、連れて参りました」
   「佐助です、よろしくお願いします」
   「行儀がいいですね、緒方梅庵です、よろしく」
   「三太、この子らを食堂へ連れて行ってあげなさい、カステーラが用意してあります」
   「わーい、カステーラ、カステーラ」
   「カステーラって、何ですか」
 三太郎は、梅庵に尋ねた。
   「先生、鷹之助はどうしています」
   「鷹之助は元気ですよ、今、屈強な用心棒と天満塾へ行っています」
   「用心棒って、新三郎さんのことですよね」
   「そう、新さんが憑いていれば安心です」

 午後になって、鷹之助が帰ってきた。
   「先生、三太郎兄上が来てくれたのですか」
   「そうだよ、今、食堂に居ます」
 「どたどたどた」と足音がして、食堂の戸が開いた。
   「兄上、会いたかった」
 鷹之助は大きいなりをして、三太郎に抱きついた。
   「兄上、新さんに来て戴いて、どんなに心丈夫か知れません」
   「そうだね、これからずーっと、新さんに護って貰いなさい」
   「兄上は、護って貰わなくてもいいのですか」
   「私は大人ですから、自分で自分を護れます」
 新三郎が、三太郎に移り語りかけた。
   「三太郎さん、今度は本当にお別れでござんす、お達者でいてくだせぇ」
   「新さん、いろいろ有難う、鷹之助を宜しくお願いします」
   「はい、任せてくだせぇ
   「新さんと一緒に居て、楽しかった」
   「あっしもです」
 佐助は、三太郎が黙り込んでしまい、目が潤んでいるのに気付いた。
   「先生、鷹之助さんも弟子にしてください、ずっと一緒に居らます」
   「鷹之助は孔子が開いた『儒学』という学問の道を選んだのだから、医者の弟子にはならないよ」
   「ふーん」
 三太郎は、梅庵から新薬の調合を教わり、弟子達にも持てるだけの薬品を背負わせて信州の屋敷に持ち帰ることになった。三人揃って、まるで「富山の薬売り」のようである。
 ご隠居の庵(いおり)の程近くに、三太郎は小さい診療院を建てた。診療院の横には馬屋と馬の世話人の宿舎を立て、箱根で知り合った男、久作とその子、新吉を住まわせた。
 めったに患者が来ない場所なので、三太郎と弟子一人が馬に乗り、往診専門の診療院であったが、よく治してくれると評判がたち、患者は増えていった。
 三太郎が手すきの時は、裏の空き地で師弟そろって木刀を振り回していた。二人の弟子は、医者の腕も、剣の腕も、そして馬術の腕もメキメキ上げていった。時には佐貫の屋敷に赴いて慶次郎から剣を教わることもあった。
 五日に一度は、ご隠居を見舞うことも忘れなかった。三太郎は嫁を娶り、上田藩士となり、藩医に推される。弟子たちは三太郎の養子となり、藩に仕えて三太郎の助手として活躍した後、それぞれ町に出て診療院を開くことになるのだが、それはずーっと後のこと。ここからは舞台を上方に移し、佐貫鷹之助と新三郎の物語になる。
  第回 新三、上方へ(最終回) -物語は次シリーズに続く- (原稿用紙15枚)


   「佐貫鷹之助」第一回思春期へ