雑文の旅

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第二十八回 頑張れ鷹之助

2014-02-07 | 長編小説
 佐貫三太郎と、福島屋亥之吉、鵜沼の卯之吉は、揚々と引き上げてきた。途中で、「せめて親分に逢って行ってくれ」という卯之吉の誘いを辞退して「親分に宜しくな」と、別れた。
 亥之吉のお店に戻ると、亥之吉の女房お絹と三四郎が、気も漫ろで待っていた。お絹は亭主の元気な顔を見て、ほっとしているようであった。
   「この人には、ハラハラさせられどうしです」
   「亥之吉さんは、大そう強いから大丈夫ですよ」
   「わては、そこが心配なのです、生兵法は大怪我のもとと言いますやろ」
   「亥之吉さんは、ただ強いだけではなく慎重な男です」
   「そうでしょうか」
   「安心なさい、無茶はしませんよ、この男」
 亥之吉の店でも、「急ぎの用があるから」と、三太郎はその日の内に三四郎を連れて立ち去った。途中、両替屋に立ち寄り、上方の義弟、鷹之助宛に為替を送った。

 伊東梅庵養生所へは、中岡慎衛門とお樹(しげ)夫婦に、将軍様よりの賜りものの切り餅(二十五両)を一つ届けて、再び正式に佐貫家の養子に入り、佐貫三太郎の名を緒方梅庵から貰ったことを伝えた。
 慎衛門と二人きりになったところで、三太郎は慎衛門に糺した。
   「慎衛門おじさん、これはおじさんと俺だけの話だが、緒方梅庵は、本当はおじさんの子供ではないのかい」
 慎衛門は、サッと顔色を変えた。
   「何を言っているのだ、そんな馬鹿なことはない」
   「おじさん、梅庵先生は、相当前から気付いていたみたいですよ」
 三太郎は、「俺も、梅庵先生も、口が裂けても漏らしはしない」からと、慎衛門に信じてほしいと話した。
   「そうか、梅庵は感付いていたのか」
 慎衛門は、決心したように少しずつ打ち明け始めた。慎衛門と梅庵の母上は、幼い頃からの友達で、十代前半のころにお互いの心に恋が芽生えた。だが、娘の両親のたっての願いで、佐貫慶次郎と祝言を挙げさせられたが、その時には既に梅庵を身篭っていたのだ。二人で死のうと申し合わせたがその期を逃し、梅庵が生まれてしまった。
 梅庵が四歳になったとき、ひょんな事から二人の姦通の噂を立てられ、怒った佐貫慶次郎は、妻を手打ちにしたが、慎衛門はどうしても打ち明けることが出来ずに江戸へ逃げてきてしまった。
 慶次郎は、親友の慎衛門が無実だと信じて江戸へ慎衛門を探しにきたが、慶次郎は銭のために関わったヤクザの喧嘩で、無実であったが人殺しの罪を着て島流しの刑になった。
   「おじさん、やはりそうだったのですね、打ち明けてくれて有難う」
   「梅庵先生にも打ち明けるべきだろうか」
   「今はまだ二人だけの秘密にしておきましょう、おじさんの胸の蟠りが、少しでも軽くなったらそれでいい」
   「三太、有難う」
   「三太郎です」


 上方の儒学塾である天満塾の程近くに、読み書き算盤と初歩の論語を教える鷹塾がある。生徒は、寺子屋には行けない庶民の十歳以下の子供たちだ。別段、庶民だけと決めている訳ではないが、侍の子は、まだ十代前半の先生が教える私塾など、馬鹿にして親が通わせないのである。

 謝儀(しゃぎ)と呼ばれる授業料はただで、月並銭(つきなみせん)と呼ばれる毎月収める参加料のようなものは、一応、二八蕎麦(にはちそば)一杯分の十六文としているが、それさえも納める事が出来ない子供には請求することはない。そのかわりと言って親が気遣って葱やホウレン草などを一握り、味噌や川で採ったお椀に一杯の蜆などを持たせてくれるのが有難い。鷹塾とは、佐貫慶次郎の実の息子、佐貫鷹之助の私塾である。

 放置されて廃屋になっていたボロ家を借り受け、三太郎に貰ったお金で、何とか住めるくらいに修理して貰った鷹塾で、今日も昼下がりから算盤(そろばん)をはじく音がしている。年嵩(としかさ)の多い子供だろう、五人固まって大声で割り算の九九を唱えながらパチパチとやって、「御明算(ごめいさん)」などと、声を発している。割り算の九九とは、二の段なら「二・一天作(にいちてんさく)の五、二進の一十(いんじゅう)」。三の段なら「三・一、三十一、三・二、六十二、三進の一十(いんじゅう)」というもの。

 鷹之助先生はといえば、小さい子供に習字をさせている。算盤は鷹塾に五台しかないので、交代使用をしているのだ。

 子供たちは十七人居るが、その内に女の子は一人も居ない。「女に学問は要らない」という風潮の所為だろう。
   「鷹之助先生、太郎吉が紙の上に墨をこぼした」
   「紙は大切な物だから、捨ててはいけません、先生が小川で洗ってきます」
   「先生、わいの名前が書けました」
   「魚屋の太助か、みごとに漢字が書けましたね」
   「へえ、持って帰って、お父ぅと、お母あに見せてやります」
   「それが宜しいですね、ご両親は喜びますよ」
 そう言えば、大工の又八のお父さんが、「大工の小倅が、すらすらと字が書けるようになった」と、大そう喜んでいたことを鷹之助は思い出した。例え殆どがカナ文字であっても、自分の思いが文字で残せるのは、当の又八にとっても余程嬉しいのであろう。塾のある日は早くから来て、掃除などをしてくれ、鷹之助を兄のように慕っていた。

 鷹之助の一日は、早朝天満塾に登塾すると、掃除をして開講を待つ。午(うま)の刻半(12時)には講義が終わるので、他の塾生と共に掃除をして帰宅する。戻ると独りで食事を作り、食べ終わる頃には、鷹塾の塾生が来る。ここから一時(いっとき=2時間)教えて、遅くとも夕暮れの半時前には家に帰す。夜は、昼に作った食事の残りを食し、一時(いっとき)は塾で借りてきた本を読んでいる。鷹之助の至福のひとときである。

 その日の朝、鷹之助が天満塾に登塾すると、塾の管理人のおばさんに声をかけられた。
   「佐貫さん、お手紙が届いておりまっせ」
   「有難う御座います」
 受け取ってみると、差出人は佐貫三太郎になっていた。
   「はて、この三太郎は、兄の緒方梅庵なのだろうか」
 それとも、もと義兄の三太であろうか、思案しながら手紙を開くと、為替と書状が入っていて、「前略、吾は三太にて候、この度、晴れてそなたの義兄に返り咲き候、名は緒方梅庵師匠より佐貫三太郎の名を頂戴致し候」と、あった。「同封の為替は、ある事件の収拾に貢献した功により、将軍様より賜りましたものの一部、貴殿も上様に感謝して、心おきなくお使いくだされたく候…」
 為替の額面は二十五両であった。これを両替屋に持参すると、手数料は送り主が払っているので、額面どおりの一分銀百枚が受け取れる。鷹之助は、その場には居ない三太郎に深々とお辞儀をして、心の篭った励ましの書状と、為替を押し戴いた。


 帰途は、浩太の両親に金を届けるために、東海道回りをとった。三四郎を人買いに売り飛ばした叔父の家の傍を通るが、三四郎は叔父に逢いたくないと言った。殺されて肝を抜かれた筈の三四郎(当時は亀吉)には、当の叔父も逢いたくはないだろう。

 これと言って変わったこともなく、腕白坊主の三四郎には、退屈な旅が続いた。箱根の宿で旅籠を取り、夜に外湯の硫黄温泉とやらに、三太郎は三四郎を連れて出かけてみた。いろいろ温泉の効能が記されていたが、特に眼の煩いには効くのだそうである。
 それは、眼が赤くなり目脂が瞼を塞いでしまうような、現在で言うトラコーマのような病気であったろう。湧き出た硫黄を含む鉱泉が、眼に感染した菌を抑えたに違いない。
 三四郎は、温泉は楽しいのだが、硫黄の臭いは好きになれないらしかった。
   「三四郎、足の傷にも良いらしいぞ」
 三四郎の足は、引っ掻き傷だらけである。
   「痛てぇー」
 どうやらこの温泉は、三四郎には苦手になったようである。ところがどうだろう。傷を負うと、すぐに膿んでいた三四郎だが、偶然なのかも知れないが、二日目の朝には、きれいに治っていた。

 草津の湯といえ、箱根の湯といえ、病気や膿んだ傷口を治す力を持っているようだ。いつだったか、以前に持ち帰った湯の華だ、この温泉で採取した硫黄を持ち帰って、試してみようと思う三太郎であった。
   「先生、子供の行き倒れが居ます」
 草叢に小便をしに行ってきた三四郎が告げた。三太郎が草叢に分け入ってみると、成程子供が倒れている。そっと近付いた三太郎が、「まだ息があるぞ」と、叫んだ。
 近くに使っていないらしい物置小屋があったので、子供を抱えて小屋に寝かせた。三太郎が子供の体を摩っている間に、命令した訳ではないが三四郎は三太郎の荷から火打石をだして貰い、手早く火を熾した。
 竹筒の水を火の傍に置いて、少し温まったくらいの湯を、子供に飲ませた。子供は、四・五歳の男の子で、三太郎が緒方梅庵と出会った自分と同じくらいであった。
   「親はどうしたのだろう」
 三太郎が小屋から出て、回りを探してみたが見つからなかった。
   「この子も捨て子だろうか」
 やがて子供の意識が戻ったので、三太郎はこの子を背負って旅籠に連れていった。粥を作って貰い啜らせると、驚くほどたくさん食べた。
   「お父っつぁんとおっ母さんは何処に居るの」
 落ち着いた子供に、三四郎が訊いた。ゆっくりだが、はきはきと喋る子供であった。
   「おっ母は死んだ、おっとぉは、でかけた」
 よく訊いてみると、父は山で薪を拾い集めて、旅籠などへ売り、食を繋いでいたらしい。その父が、「薪を売ってくる」と出かけたまま、もう二日も帰ってこないのだ。腹が減り、父親を求めて住処(すみか)を出て彷徨(うろ)ついているうちに、力尽きて意識をなくしてしまったらしい。
 さかんに周りを見て「おっ父ぉ」と叫ぶ子供を、思わず抱きしめて、「おっ父ぉは、おじさんが探してやる」と、励まし続けた。
   「おいら三四郎って言うのだ、お前の名前は」
   「新吉」
   「歳は」
 新吉は、右手の指を開いて三四郎に見た。
   「そうか、五歳か」
   「うん」

 三太郎は、新吉が倒れていた位置から新吉を背負って奥に入っていった。暫く歩くと掘建て小屋が丘の斜面に立っていた。新吉は指をさした。あの小屋に父と二人で暮らしていたらしい。
 小屋の中に入ってみると、物が乱雑に置いてあり、二尺高くなった板の間に煎餅布団が敷いてあった。
 父親が戻った気配はなく、食べ物は何もなかった。新吉はここでひもじい思いをしていたのだろう。
   「おっ父とぉを探しにいこう」
   「うん」

 薪を拾いに行くといったのならば、ここから奥の山に向かったのだろうが、薪を売りに行くと小屋を出たのであるから、旅籠や店が並ぶ人家の多いところに向かったのであろう。三太郎は再び新吉を背負って、父親を探しに出かけた。人家を回り、薪売りの男のことを尋ねると、誰もが知っていたが、ここ二・三日は見かけていないとのことであった。
 それでも、旅籠の使用人や、店主に尋ねまわること半時、消息を知る者が現れた。
   「その男なら、縄で縛られて役人に連れて行かれるのを見た」
 よく訊いてみると、薪が売れずに困り果て、八百屋の店先の芋を持って逃げようとしたところ、八百屋の店主に見つかり取り押さえられ、役人に引き渡されたそうだ。
   「代官所へ行ってみよう」
 代官所では門前払いを食わされ、新吉の父親がここへ来ているかどうかも教えてくれず、途方に暮れているところへ、以前、上方の診療所に入所していた患者が声をかけてくれた。
   「三太先生では御座らぬか」
   「あっ、あなたは矢川千之助どの」
   「その節は、大変お世話になり申した」
   「傷の痛みはとれましたか」
   「先生の蘭方医学のお陰で一命を取り留め、痛みも無くなり申した」
   「それは良かった」
   「ところで先生、代官所に御用向きでも」
   「旅の途中で、倒れているこの子を見つけまして…」
 三太郎が知り得たこの子の父親らしい男が、芋を盗んで二日も捕らえられているらしいと話した。
   「この子の名は」
   「新吉といいます」
   「父親の名は」
 子供に尋ねたが、「おっとお」としか呼んだことがないらしく、いくら尋ねても「おっとお」と、答えるばかりであった。

   「三太先生、ちょっとここでお待ちくだされ」
 矢川は、潜り戸を開けさせ、中へ消えた。
   「お待たせした、どうぞお入りくだされ」

 新吉の父親は、無宿人であることと、引受人が居ないことで放免されなかったそうであった。
   「拙者が引受人になりましょう」
   「宜しいのですか、まだ逢った事もない無宿人を信じて…」
   「この子は、父親が戻らないので命を落としかけたのです、この子の為です」
   「わかりました、お代官にお会いくだされ」

 三太郎と三四郎、そして新吉は取調べの場に導かれた。新吉は父親の顔を見て喜んだ。
   「わたしは信濃の国は上田藩士、佐貫慶次郎が一子、佐貫三太郎と申します」
   「おお、上田藩の佐貫殿のご子息か、存じておるぞ」と、お代官。
   「恐れ入ります」
   「そなたがこの者の引受人になると申すか」
   「はい、身柄をお引き受け致しましょう」
   「分かり申した、そなたに引渡す、されど罪は罪、一両の科料を納めて貰うところだが、その責は免じよう。
   「有難う御座います」
 矢川千之助が男に「良かったのう」と、肩を叩きお縄を解いてやった。
   「新吉の命を救って頂き、見ず知らずのわしにもお情けを、有難う御座いました」と、男は三太郎に深々と頭を下げた。

   「ところで、まだそなたの名前を聞いていなかったが…」
   「久作と申します」
   「久作さん、これからどうされますかな」
   「この罪が知れ渡ったら、もう薪は買ってくれません、他の土地へ移ります」
   「久作さん、馬は扱ったことがありますか」
   「はい、子供の頃に馬子をやっておりまして、馬の扱いは慣れております」
   「そうですか、私は信濃の国は上田藩の佐貫慶次郎の倅で、三太郎と申す、この子は三四郎で、私の弟子です」
   「いずれはお医者様になられるのですね」
   「はい、さらに私が独り立ちしましたら、私の養子にする積りです」
   「宜しゅう御座いますね、三四郎さま」
 三四郎は、もう新吉と仲良くなったみたいで、大人の話など聞いていなかった。
   「久作さん、信州の私の屋敷に来て、馬の世話をしてくれませんか」
   「えっ、宜しいのですか こんな泥棒がお屋敷に行って」
   「泥棒などと、もう口にしないでください、腹を空かせた新吉さんの為に、つい出来心でやってしまったのでしょうから…」
   「有難う御座います、親子共々お世話に成りとう御座います」
   「三四郎、たった今から新吉さんはお前の弟だぞ」
 三太郎の言葉に、三四郎は満面の笑みを浮かべて「はいっ」と、弾んだ声で答えた。いつもなら、「うん」なのに…。

 三太郎、三四郎、久作、新吉の四人連れの一行は、信濃の国を目指して旅立った。
   「よーし、母上の土産にと思った二十五両で、馬を買おう」
 母上への土産は、近江の町で反物を買って帰ろうと思う三太郎であった。

  第二十八回 頑張れ鷹之助  -続く-  (原稿用紙20枚)

   「第二十九回 暫しの別れ」へ


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