雑文の旅

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猫爺の連載小説「幽霊新三、はぐれ旅」 第二十七回 十九歳の御老公

2014-02-03 | 長編小説
 水戸街道は日本晴れであった。 三太は、浩太と、亀吉を従えて、水戸のご隠居きどりである。
   「助さん、格さん、そろりと参りましょうか」
   「はぁ?」
   「風車の弥七、柘植の飛び猿、かげろうお銀、うっかり八兵衛も支度はよろしいかな」
   「それ、誰のことですか」
   「中乗り新三なら、これに控えておりますぜ」
   「がくっ」

 水戸と言えば、水戸の御老公、天下の副将軍、徳川光圀の諸国漫遊が有名だが、あれははっきり言って嘘である。 漫遊と言っても、水戸藩の領地内の農家とまりである。
 その漫遊中の御老公が、喉が渇いたので立ち寄った農家で、老婆に水を所望した。 待つ間にそこにあった米俵に腰を下ろしたところ、水を持って出て来た老婆に「ご領主さまか、もしかしたら将軍様が食されるかも知れぬ米の俵に腰掛けるとは何事か」と、叱られるという逸話があるが、これも作り話だろう。 例え気紛れな漫遊でも、家来の十人位は従えていただろうし、身形も普段着とは言え、葵の御紋が入った御大層なものであった筈だ。

   「これ浩太、この先の峠に茶店が見えよう、一休みして参ろうか」
   「はーい、団子、団子」
   「はーい、甘酒っ」
   「お前たちは、軽すぎていかん、御老公様それが宜しゅう御座いますと言いなさい」
 茶店の婆さんに、団子を三皿と甘酒三杯を注文しようとしたら、浩太が口を挟んだ。
   「御老公様、団子は五皿にしてください」
   「この大食いめ!」
 団子五皿が出て来て、三太が串団子を食べようとしたら、浩太がしゃしゃり出た。
   「ご隠居様、私がお毒見をしますので、お待ちください」
 一皿に団子を三個刺した櫛が二本乗っている。 その一本の櫛から、三太の団子が一個ぱくりと浩太に食べられた。
 二本目を食べようとしたら、今度は亀吉が、
   「ご隠居さま、お毒見です」と、またひとつはくりとやられた。
   「こらっ、この欲張りめ!」
 御老公ごっこなんか、するのじゃなかったと思う三太であった。

   「なあ、浩太、水戸へいったら、兄上の梅庵先生に就いて医者の修業に専念し、立派な医者になるか、俺に就いて、武芸を習いつつ、藪医者になるか、決めているかい」
   「三太先生は、藪医者じゃないよ」
   「じゃあ。俺に就くか」
   「いいえ、梅庵先生に師事します」
   「がくっ」
 亀吉はどうするか尋ねてみた。
   「三太さんに師事して、藪医者になります」
   「がくっ」

 次の日も、水戸街道は晴天だった。 いよいよ常陸(ひたち)の国へ入る御一行であった。


   「梅庵先生、三太只今戻りました」
   「これっ、ここでは三太ではないだろう」
   「あ、はい、数馬只今戻りました」
   「随分長い旅だったが、どこへ寄り道していた」
   「あっち、こっちです」
   「早く、この二人を紹介しないか」
   「あ、はい、大きい方が浩太で、小さい方が亀吉です」
   「浩太です」
   「亀吉です」
   「緒方梅庵です、よろしく、それで」
   「それでって」
   「それでは、どういう人なのか分からないじゃないですか」
 浩太は親に見世物小屋へ売られて、全身鱗の入れ墨をされた経緯を、亀吉は叔父に売られて胆を取られるところを助けた経緯を義兄に話した。
   「まだ子供なのに、辛い思いをしたのですね」
 三太は、義兄の梅庵に「二つお願いがあります」と、切り出した。
   「一つは、この浩太を弟子にしてやってください」
   「わかりました、浩太のことは私に任せなさい」
   「それからもう一つ、佐貫の父上が、私を佐貫の養子に戻したがっています」
 これは、佐貫の父上が、能見の父上に宛てた書状ですと、懐から取り出して義兄に渡した。
   「能見の父上より先に、わたしが読んでも構わないのですか」
   「はい、是非お願いします」
 梅庵は、しばらく黙して書状を読んでいたが、納得したようであった。
   「そうか、弟の鷹之助も、佐貫家の後継者になる気がないのか」
   「兄上に似ているのですよ」
   「武士が嫌いなところか」
   「頭が良いところもです」
   「数馬は世辞も言えるようになったのですね」
   「世辞ではありません、本心です」
 梅庵は、何か言いたげであったが、思い留まって口を噤んだ。 自分が佐貫慶次郎の子ではなく、中岡慎衛門の子供だと疑っていることを言いたかったのだろう。
   「わかった、私から能見篤之進殿にお願いしてみよう」
 梅庵は、「ふっ」と、思い付いたように亀吉を見た。
   「亀吉は、どうするのかね」
   「わたしの弟子になるそうです」
   「そうか、数馬も中々のものだ、きっと良い医者に育ててくれるでしょう」

 能見篤之進は、快く承諾してくれた。
   「わしの後は、長男の篤馬が継いでくれたし、この三太郎(梅庵)もわしの息子のようなものだ」
 梅庵は数馬よりも、もっと自分の息子に近い存在であろう。 なにしろ、亡くした次男能見数馬の記憶を引き継いでいるのだから。

   「分かり申した、数馬(三太)はお返ししましょう」
 しかも、
   「佐貫殿の書状に、承諾の暁には、三太では武士の名として相応しくないので、わしに名を付けて欲しいと書いてある」
 篤之進は暫く考えていたが、やはり「三太郎」が宜しかろうと呟いた。 三太郎は緒方梅庵の元の名前であるが、その継承者であるから、三太郎が尤も相応しいだろうとの結論であった。
 そこで問題は、三太郎の実の母、お民さんである。 三太郎に付いて信濃の国へ行ってくれるだろうか。 母お民に尋ねると、
   「三太、いや三太郎、わたしは能見様の屋敷に置いてもらいます」
 能見夫妻も、緒方梅庵も、お民に優しくしてくれる。 もう、これ以上遠くへは行きたくない様子であった。

   「これ三太郎、父上に孝行しなさいよ」梅庵は寂しさを堪えていった。
   「はい、鷹之助が儒学を納めて佐貫に戻るまで、しっかり忠義と、考行を尽くします」
   「三太郎、お民さんのことは、私に任せて置きなさい、佐貫の父上のことは確と頼みますぞ」
 緒方梅庵は、三太郎が頼もしかった。 やはり、武芸にかけては三太郎には敵わないと思う梅庵であった。
   「はい兄上、どうぞご安心ください」
   「弟子は、如何する」
   「わたしの弟として、佐貫の屋敷に居て貰います」
   「名前は、三四郎にするか、それとも佐助か」
   「あのー、小さい頃の鶏に拘っていませんか」
   「拘っている」
   「そうだ、もう一人の弟師が佐貫の屋敷に居たのだ、それが佐助です」
   「では、三四郎に決まりですな、おい亀吉、お前は今日から佐貫三四郎です」
   「まだ、父上の承諾を得ていませんよ」
 三太郎は、佐助と三四郎の名が、気に入っているようであった。

 これは、大きな事件を未然に防ぐことに助力して、将軍様に賜ったもののお裾分けですと、切り餅(二十五両)を篤之進に差し出すと、ことの他喜んで受け取ってくれた。 将軍様からの賜りものだと言うのが嬉しかったようだ。 篤之進は、早速神棚に捧げて、柏手をひとつ打った。

 浩太にも、切り餅を見せて、「これは、通称切り餅と言って、一分銀が百枚包んである、二十五両だ、これを浩太の実家に届けてやろう」と、三太郎が言うと、浩太は涙を流して喜んだ。 母と姉のお加代のことが気掛かりなのだろう。

 浩太は、その日のうちに緒方梅庵に付いて診療院へ行き、三太郎と三四郎は、三日間能見の隠居所に泊って帰っていった。 気丈に振舞っていたお民も、そっと袖で涙を隠して見送った。

 その数日後に、水戸藩から能見数馬(三太郎)に、使いが来た。 将軍様から水戸藩主に、三太郎が関わった事件の功績を知らせられたのだ。
 お使者に一部始終を打ち明け、三太郎は信州の上田藩士の養子になったことを告げると、お使者は大いに躊躇したが、残念そうに戻っていった。


 江戸に着くと、三太郎は亥之吉のお店(たな)福島屋に顔を出したくなった。 虫の知らせというものであろうか、店から亥之吉の女房お絹が、血相を変えて裸足で飛び出してきた。
   「お絹さん、どうしたのですか」
   「あれ先生、亭主が…」
 訴えようとするのだが、声が掠れて声にならない。
   「お絹さん、落ち着いて話してください」
 その様子を見ていた店の使用人が、店に入り水を持って出てきた。
   「おかみさん、お水をお持ちしました」
 お絹は、黙って受け取ると、一気に水を飲んだ。
   「先生、たった今、うちの人が天秤棒を持って、大江戸一家へ行きました」
 訊けば、地回りのやくざが、大江戸一家に殴り込みをかけるとの情報が入り、「あんたは堅気なのだから行ってはいけない」と、お絹が止めたのに、お絹の隙を見て飛び出して行ったと、語ってくれた。
   「よし、私に任せて置きなさい、必ず亥之吉は護ります」
 三四郎を福島屋に預け、三太郎は大江戸一家の場所を聞き、駆けて行った。

   「亥之吉さん、亥之吉さんは居ますか」
 大江戸一家のかどで三太郎が叫ぶと、若い衆が一人出て来た。
   「あんさん、どなたですか」
   「さっき、亥之吉さんがここへ来た筈です、佐貫三太郎が来たと伝えてください」
   「亥之吉さんとは、福島屋さんの事ですか」
   「そうです、福島屋亥之吉さんです」
 若い衆は奥に消えると、すぐに亥之吉と、卯之吉が顔をだした。
   「三太さんじゃないですか、どうしてここへ」
   「お絹さんに聞いてきたのですよ」
   「ちっ、お絹のヤツ」
   「お絹のヤツじゃないでしょうが」
 どんな事情があるか知らないが、堅気の亥之吉が、やくざの喧嘩に加担するとは、どういう了見だと、三太郎は亥之吉を叱った。
   「大江戸一家には、困った時に助けてもらいましたんや、それに…」
   「それに何ですか」
   「ここに世話になっている卯之吉は、わいの弟みたいなものですわ」
   「そうか、それは分かった、だが恩返しと、卯之吉さんを護るために亥之吉さんが喧嘩に加わるのは合点がいかない」
   「先生、わいはどうすれば良いのですか」
 そこへ、大江戸一家の親分が顔をだした。
   「先生、福島屋さんの用心棒ですかい」
   「いいえ、亥之吉さんの友人で、佐貫三太郎と申す医者です」
   「そうでしたか、今、亥之吉さんに手出しをしないでくれとお願いしていたところです」
   「わかりました、そう言うことでしたら、拙者が一肌脱いでこの喧嘩を止めましょう」
   「お独りで、ですか」
   「いえ、それでは恩返しをしたい亥之吉さんの立場がないでしょう」
   「亥之吉さんと二人で、ですか」
   「あと、卯之助さんをお借りしましょう」
   「三人で、逆殴り込みをかける気ですか」
   「そうです、事情は、道々卯之吉さんから訊きましょう」

 卯之吉の案内で、地回りの一家へ向った。 道すがら卯之吉に事情を訊くと、地回りが縄張りを広げる為に、いちゃもんをつけては、喧嘩を仕掛けてくるらしい。

   「そうか、卯之吉さんを信じよう」
   「亥之吉さん、棒を振り回したいのは分かるが、今回は拙者が合図するまでは手を出さないでください」
   「先生独りで大丈夫ですか」
   「大丈夫ですから、まあ任せなさい、卯之吉さんにも手伝って貰いますよ」

 ごろつき共は、鉢巻、襷、草鞋の紐を締めている者、長ドス抜いて、刀身に水を掛けている者、血に飢えた猛獣のような奴ばかりだった。
 三太郎は、少々揶揄(やゆ)ぎみに声をかけた。
   「たのもうー」
   「へっ 何者だ」
   「たのもうと申しておる」
   「兄貴、変なヤツが来ましたぜ」
   「大江戸一家が送り込んで来たのだろう」
   「お前ら、馬鹿か、たのもうと言ったら、親分に通すのだ」
 兄貴とよばれた男が三太郎の前に立った。
   「何をしに来た」
   「大江戸一家との喧嘩を止めに来た」
 親分らしいのが出て来た。
   「ちっ、大江戸一家のやつ、こんなケチな男を送り込みやがって…」
   「ケチなやつではない、佐貫三太郎という医者だ」
 親分らしいのは、三太郎を放り出すよう子分に命じていた。 二人の男が三太郎の両肩を掴みに来たが、三太郎に峰で打たれて、二人同時に倒れ込んだ。
   「やりやがったな」
 子分どもが三太郎を囲んだが、なお三太郎の素早い峰打ちで、子分どもは、バッタ、バッタと倒れていった。
   「人の話も聞かないで、まだ掛かってくるのですか」
 それでも、まだ性懲りもなく三太郎を囲む。
   「大江戸一家には、拙者より強いのがまだおりますぞ」
 三太郎の呼び声で、外に控えていた亥之吉と、卯之吉が入って来た。
   「こちらの天秤棒を持った男と小手調べしてみますか」
 木の棒ならたいしたことはないと侮ったのか、三人の男が亥之吉に掛かっていった。 亥之吉とても、三人や四人の敵ぐらいは「おちゃのこさいさい」で倒す。
   「亥之吉さん、仕方がありません、聞き分けのないこいつらを懲らしめてやりなさい」
 三太郎の口調で、水戸の御老公の真似をしているのが亥之吉には分かったらしい。
   「ははあ」
 バタバタバタと、あっと言う間に、三人の男が倒れた。
   「わかりましたか それともまだ懲りませんか」
 それでも、親分らしき男は、「やめい」とは言わない。
   「大江戸一家で、一番恐ろしい男が控えておりますぞ」
 三太郎は卯之吉を指したが、実は新三郎のことを言ったのだ。 卯之吉は、何をするのか分からないが、三太郎の真似をして印を結ぶと、一人の男が倒れた。 卯之吉が別の男に向かって印を結ぶと、またしてもその男が倒れる。 面白がってやっていると、親分らしき男以外は全部倒れた。 残るは一人である。
   「そなたが親分ですかな」おもむろに三太郎が言った。
 男は唖然として口も利けない。
   「さあ、殴り込みをかけるなら、拙者に付いてきなさい」
 残った親分らしき男も、その場にへたりこんでしまった。 もう、全員立ち上がろうとも、長ドスを掴もうともしなくなった。
   「大江戸一家を侮(あなど)ってはいけませんよ、分かりましたか」と、三太郎が諭すと、亥之吉が声を張り上げて言った。
   「ええい、この馬鹿者ども、こちらのお方を何と心得る、畏れ多くも…」
   「亥のさん、もういいでしょう」

   第二十七回 十九歳の御老公  -続く-  (原稿用紙21枚)

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