雑文の旅

猫爺の長編小説、短編小説、掌編小説、随筆、日記の投稿用ブログ

猫爺のエッセイ「幽霊、死神、貧乏神、鬼」

2015-12-15 | エッセイ
 猫爺が書くフィクションに登場する幽霊、死神、貧乏神、鬼などは、人を殺したり、人を怨んだりはしない。これは、意図したものでなく、気が付けばそうなっていたのだ。
 例えば、子鬼の阿羅斯であるが、節分の日に憤慨して下界に降りて来るが、女の子の病んだ心を治して帰って行く。(掌編小説・子鬼の阿羅斯)
 貧乏神は、ある貧乏な若い夫婦の家に棲み付くが、若い妻が産気づくと、福の神と共に何か手伝いをやれないものかと画策する。(短編小説・貧乏神)
 長編連続小説の能見数馬に始まって、佐貫三太郎、佐貫鷹之助、チビ三太ふざけ旅、江戸の辰吉などには、人情味に溢れる守護霊、その名を木曽の「中乗り新三」という幽霊が登場する。
死神は、死にかけた権爺の寿命を延ばしてやるが、その老いてますます盛んになった権爺が放蕩に走るという話になるが、死神は人間を黄泉の国へ引っ張り込んだりはしない。(掌編小説・死神と権爺)
反面、鬼退治の桃太郎が、桃太郎を拾って育てた欲深い老夫婦に洗脳されて平和な鬼ヶ島を衝撃する略奪者として描かれたりしている。(掌編パロディ小説・大きな桃)
へそ曲がりなのかな? 猫爺は‥…。



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