名月を取ってくれろと泣く子かな (小林一茶)
今時の幼児は、スーパーのお菓子売り場で床に寝転がって「お菓子を取ってくれろ」とダダをこねている子はよく見かけるが 月を取ってくれと泣く子はまず居ない。 私はこの句を、実際に子供がダダをこねたのではなく一茶の発想だと思っている。 だがまてよ、江戸の昔と現代では状況が違っている。 空は冴えて空気も澄み渡り、あたり一面真っ暗な江戸時代の月は、手が届きそうな程身近かに見えたのかも知れない。
とんぼ釣り 今日はどこまで 行ったやら (加賀千代女}
「えっ! とんぼ釣り? とんぼ捕りじゃないの?」 魚じゃないのに「釣り」とはおかしいと思う人もいるかも知れないが、私も子供の頃は「とんぼ釣り」をしたものだ。 「とんぼ捕り」で捕まえるのはメス、「とんぼ釣り」で釣るのはオスのとんぼと決まっている。 その訳は、メスのとんぼに糸をつけて竿につなぎ、竿を振ってオスのとんぼを誘き寄せるとオスが来て交尾をする。 地上に落ちてもメスを離さない「エッチでしつこい」オスを網で捕まえるのだ。
雪とけて 村一ぱいの 子どもかな (小林一茶)
長い冬が終わり、子供たちの待ちかねた春が訪れると、村の方々から子供たちが出てきて遊びまわる。 と言った光景はを関西育ちの私は見たことがない。 雪が積もれば、私たちは童謡「雪」の犬みたいなもの。 校庭でどろんこ雪だるま作りに雪合戦。 雪だるまはコロコロ転がしている内に、少ない積雪のためすぐ土に達して泥まみれになる。 雪合戦では、雪玉の中に故意に土を入れたとか入れないとか口合戦に移行する。
われと来て 遊べや親の ないすずめ (小林一茶)
この間、テレビを見ていて驚いたことがある。 雀がガラス窓に体当たりをしているのだ。 これに気付いたこの家の主がガラス戸を開けると、数羽の雀が転がり込むように部屋に入り込み、人の手から餌を啄んでいた。 自然界で得られる餌が少なくなっているのだろう。 雀たちが見出した苦肉の策かもしれない。 もっと以前に、雛の内から人間に育てられた雀が、手乗り文鳥のように人に懐いているのを見たことがあるが、文鳥よりもすごいのが、人の肩にとまってそのままスーパーに買い物に付いて行き、スーパーの外の高い木の枝で飼い主を待っていて、飼い主が出て来るとまた肩にとまり一緒に帰っていった。 文鳥ならどんなに懐いていても、どこかへ飛んで行ってとまうに違いないが…。 多分この二つの動画は、YouTubeにあると思う。
温故知新「徒然なるままに」2012/04/19
温故知新「祇園精舎の鐘のこえ」2012/04/15
温故知新「土佐日記」2012-04-12
温故知新「太田道灌」2012/03/28
温故知新「国木田独歩の運命論者」2012/05/06
温故知新「南方熊楠」2012/07/24
温故知新「ジョン万次郎」2012/07/22
温故知新「杉原千畝」2012/07/24
温故知新「自殺のすすめ・渡辺淳一著」2012/10/15
温故知新「播州皿屋敷」2012/09/13
温故知新「平将門の怨霊」2012/09/12
温故知新「死者の奢り」2012-12-06
温故知新「琴、花、酒のあるものを」2013/02/20
温故知新「二宮金次郎」2013/04/17