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「これっ定吉、ちょっとおいなはれ(来なさい)」
お家はん(店の主人の妻)の呼ぶ声に、蔵の荷物整理を手伝っていた丁稚定吉は、ピクンと反応して飛び出してきた。
「お家はん、お呼びで…」
「今からだんさん(旦那さん)がお出かけだす。お前、だんさんのお伴をしておくれ」
「へーい、ほんなら奥で仕度をしてきます」
「なんや?仕度て。そのままの恰好でよろしおますがな」
「ちょっと、前垂れ(前掛け)を外すだけだす」
この時代、電話みたいな便利なものはない。 子供を一人連れていると、店に用事ができた時に重宝する。 早く言えば、定吉は携帯電話のようなもの。
「越後屋さんのご隠居と、将棋を指さしに行かれる」
ちょっぴり不審げなお家はん。 将棋を指すとかなんとか言って、近頃頻繁に出かけるので、もしや妾を囲っているのではないかと疑っている。 定吉は、お家はんに手懐けられた監視役でもあるのだ。
「越後屋さんは上得意でおますから、これもわしの仕事だす」
だんさんは、面倒くさそうな振りをして見せて、
「定吉、ほんなら行こうか」
「へーい」と、定吉はご機嫌。 久しぶりに散歩に連れて行ってもらえる飼い犬のようだ。
「だんさん、今日はどちらのお妾さんの方へ?」
「はいはい、今日は長町の… これ、余計なことを訊きなさんな」
定吉、ペロッと赤い舌を出す。
この丁稚定吉は、子供の癖に知恵が働き、お家はんと、だんさんの両方に手懐けられたふりの股座膏薬で、あっちに付いたり、こっちに付いたり。
「まあー、だんさんお越しやす」
長町の妾宅に着くと、若いおとよが迎えに出てきた。
「変わりないか」
「へえ、だんさんが暫くお越しやないので、病気でもなさっていないかと心配しとりました」
「そうか、わしはこの通り元気だすけど、お家が勘付いたらしくて今日も定吉に伴をさせよった」
「定吉とん、ご苦労さんだしたな」と、おとよ。
「定吉とん、これお小遣い五十文あげますよって、いつものように半時(一時間)ほどどこぞで、おうどんでも食べて時間を潰してきておくれ」
「へーい、心得ております」
おとよから五十文受け取ると定吉は喜び勇んで妾宅を飛び出していく。 一方妾宅では、まだ日が高いというのに雨戸をピタッと締め切り、なにやらチンチンカモカモ。
「おうどん十六文、飴玉二文と、後は大切に取っておいて…」
町を見物して歩き、「そろそろ半時になるかな」 と、定吉独り言。
「だんさん、もうご用はお済みだすか」と、妾宅の裏口から声を掛ける。
「定吉、戻ってきたか。なんやニヤニヤして、気色悪いやつやなァ」
「お家はんに何も喋らしません。わたいだんさんの味方だすさかい…」
「何や、揉み手なんかして、口止め料をせしめようとしてなさるのか?」
「そんな、大それたこと考えておまへん。ただ、お家はんに問い質されたときに内緒にする自信がなくて…」
「こいつ悪い奴やなァ、主人を脅迫しよる。ほんなら二十文やるから」と、話しているところへおとよが来て、
「だんさん、そろそろうちのことをお家はんに話しておくれやす」
こそこそ隠れて暮らす妾でなくて、公然妾にして欲しいと願うのだった。
「それが、わしは婿養子やさかい言い出しにくいのや。 それにお家は無類の焼き餅やきやでなァ」
その内、折を見て話すから、今しばらく我慢してくれと宥めた。
「だんさんのお戻りだす」 定吉の声に、
「だんさん、お帰りやす」 と、 店の者たちが口々に言いながら迎えに出てきた。
「だんさん、お疲れだした」
お家も出てきたが、 なにやら棘のある出迎え態度。
「定吉、ちょっとおいなはれ」
お家は、定吉を奥の座敷に連れて行くと、
「定吉、お前だんさんのお伴で、どこへ行ってなさった」
「へーい、越後屋のご隠居…」
「嘘を言いなはれ、女中を越後屋さんへやったら、越後屋のご隠居さんは四日前から有馬へ湯治に出かけて留守やそうやないか」
「えーっ、それが…」
「嘘ついたら、閻魔さんに舌抜かれるし」
「そんなー」と定吉、悲鳴みたいな受答え。
「だんさんに口止めされていますさかい、おてかけさんのところへ行っていたなんか言えまへん。それに、おうどん食べておいでと、おてかけさんが五十文くれたことも内緒だす」
「言いたくなかったら、言わんでもええ、そやけど、一つだけ聞くけどその妾どんな女やった」
「口止めされていますさかいに言えまへんが、若くて奇麗なお人だしたような気が…」
「そうか、定吉は口が堅とうおますなァ」
「へえ」
お家さんの嫉妬の炎がメラメラ燃え上がる。 妾宅へ乗り込んでやろうか、それともだんさんを放り出してしまおうかとも考えたが他人の目が恐いし店の信用にも傷が付く。
お家はん、はたと思いついて掌を打つ。 だんさんに晩酌を勧めて寝かしつけると、寝所に隠しておいた鋏を取り出し、よく眠っているだんさんの褌を解くと、縮れた毛をチョキチョキと五分刈りにしてしまう。 だんさん、朝目覚めると股間がチクチク、「えーっ」と、びっくり仰天。
「誰や、こんな酷いことをしたのは」 と喚いてみたが、こんな事ができるのは女房しかいない。
「ほんまにお家は、殺生な奴や」 と、黙り込んでしまう。
それでも約束をしていたので、今日は埋田(うめだ)のちょい年増 おたか の妾宅へ定吉を連れてやってくる。
「おたか、何とかしてくれ。 股がチクチク痛い」
「だんさん、どうしはりましたん」
「あんなー、女房の奴に、酷いことをされたのや」 と、着物の裾を開いて褌を外してみせる。
「ひやー、だんさん門口でなにしはりますのや」 と、両手で自分の顔を隠すが、そこは百戦錬磨の元芸者。
だんさんを座敷に上げると、奥に入りなにやら準備をしている。
「だんさん、そこに仰向けに寝て、下帯(褌)をとりなはれ」
「こうか? 何をするのや」
「まあ、任しときなはれ」
定吉は縁側に腰を掛けて、だんさんのみっともない姿をニヤニヤしながら見ている。
「定吉をどこかに遣りなはれ、あいつ店に戻ったらお家に何を告げ口するや判らん」
「定吉とん、そんな可愛い顔して、告げ口なんかするのでっか」
「お家はんに脅されたら、つい喋ってしまいますねん」
「そうでっか、定吉とんは、だんさんとお家はんの間で可哀想やなァ」
「へえ、辛うおます」
「わたいのことはいずれ判ることやし、てかけはだんさんの甲斐性だすから話してもかいまへん(構わない)」
「へえ、喋らへん積もりだす」
「ほんなら、これ五十文おます。そっち角に美味しいぜんざい屋がありますさかい、食べて来よし」 と、方角を指さす。
定吉、表に飛び出すが、だんさんの恰好を思い出して「ぷっ」と吹き出し、お金は使わずに神社の境内へ鳩を見に行った。
「だんさんのお帰りだす」 と、定吉。
「だんさんお帰り」「だんさんお帰り」「だんさんお帰り」と、お店の衆。
「今日は、お早いお帰りで…」
例によってお家の棘のある、その上今日は含み笑いを交えたお出迎え。
「定吉、ちょっとおいで」
「へーい」 そら来たと身構える定吉。
「今日はどこへ行ってきたのや?」
「埋田のおてかけさんのお宅だす」
「へえー、埋田にも囲っているのか。そんなことをペラペラ喋ってもええのか?」
「わたいは、お家はんの味方だすさから」
「あゝそうか、それは感心やな。それで何か変わったことはなかったか?」
「へえ、いつも通りお茶を飲んでお話をして帰って来はりました」 と言ってから、
「あゝそうや、だんさんはお髭を剃ってはりました」
「見たんか? 髭剃るとこ」
「いえ、音だけ聞きました」
お家はん、おかしいなと首を捻りながら奥の座敷へ引っ込んだ。 夜更けて、だんさんを寝かしつけ点検をしてみると、五分刈がクリクリになっている。 しかも椿油を塗りこんでツルツル、テカテカ。
「だんさん、三日と上げずに来ておくれやす。チクチクしないうちに剃ってあげます」 と、おたか。
「なんや、わたい癖になりそうだす」 とも。
お家はんが、こんな悪さをしたばっかりに、だんさん今までよりも頻繁にでかけるようになってしまった。
お家はん(店の主人の妻)の呼ぶ声に、蔵の荷物整理を手伝っていた丁稚定吉は、ピクンと反応して飛び出してきた。
「お家はん、お呼びで…」
「今からだんさん(旦那さん)がお出かけだす。お前、だんさんのお伴をしておくれ」
「へーい、ほんなら奥で仕度をしてきます」
「なんや?仕度て。そのままの恰好でよろしおますがな」
「ちょっと、前垂れ(前掛け)を外すだけだす」
この時代、電話みたいな便利なものはない。 子供を一人連れていると、店に用事ができた時に重宝する。 早く言えば、定吉は携帯電話のようなもの。
「越後屋さんのご隠居と、将棋を指さしに行かれる」
ちょっぴり不審げなお家はん。 将棋を指すとかなんとか言って、近頃頻繁に出かけるので、もしや妾を囲っているのではないかと疑っている。 定吉は、お家はんに手懐けられた監視役でもあるのだ。
「越後屋さんは上得意でおますから、これもわしの仕事だす」
だんさんは、面倒くさそうな振りをして見せて、
「定吉、ほんなら行こうか」
「へーい」と、定吉はご機嫌。 久しぶりに散歩に連れて行ってもらえる飼い犬のようだ。
「だんさん、今日はどちらのお妾さんの方へ?」
「はいはい、今日は長町の… これ、余計なことを訊きなさんな」
定吉、ペロッと赤い舌を出す。
この丁稚定吉は、子供の癖に知恵が働き、お家はんと、だんさんの両方に手懐けられたふりの股座膏薬で、あっちに付いたり、こっちに付いたり。
「まあー、だんさんお越しやす」
長町の妾宅に着くと、若いおとよが迎えに出てきた。
「変わりないか」
「へえ、だんさんが暫くお越しやないので、病気でもなさっていないかと心配しとりました」
「そうか、わしはこの通り元気だすけど、お家が勘付いたらしくて今日も定吉に伴をさせよった」
「定吉とん、ご苦労さんだしたな」と、おとよ。
「定吉とん、これお小遣い五十文あげますよって、いつものように半時(一時間)ほどどこぞで、おうどんでも食べて時間を潰してきておくれ」
「へーい、心得ております」
おとよから五十文受け取ると定吉は喜び勇んで妾宅を飛び出していく。 一方妾宅では、まだ日が高いというのに雨戸をピタッと締め切り、なにやらチンチンカモカモ。
「おうどん十六文、飴玉二文と、後は大切に取っておいて…」
町を見物して歩き、「そろそろ半時になるかな」 と、定吉独り言。
「だんさん、もうご用はお済みだすか」と、妾宅の裏口から声を掛ける。
「定吉、戻ってきたか。なんやニヤニヤして、気色悪いやつやなァ」
「お家はんに何も喋らしません。わたいだんさんの味方だすさかい…」
「何や、揉み手なんかして、口止め料をせしめようとしてなさるのか?」
「そんな、大それたこと考えておまへん。ただ、お家はんに問い質されたときに内緒にする自信がなくて…」
「こいつ悪い奴やなァ、主人を脅迫しよる。ほんなら二十文やるから」と、話しているところへおとよが来て、
「だんさん、そろそろうちのことをお家はんに話しておくれやす」
こそこそ隠れて暮らす妾でなくて、公然妾にして欲しいと願うのだった。
「それが、わしは婿養子やさかい言い出しにくいのや。 それにお家は無類の焼き餅やきやでなァ」
その内、折を見て話すから、今しばらく我慢してくれと宥めた。
「だんさんのお戻りだす」 定吉の声に、
「だんさん、お帰りやす」 と、 店の者たちが口々に言いながら迎えに出てきた。
「だんさん、お疲れだした」
お家も出てきたが、 なにやら棘のある出迎え態度。
「定吉、ちょっとおいなはれ」
お家は、定吉を奥の座敷に連れて行くと、
「定吉、お前だんさんのお伴で、どこへ行ってなさった」
「へーい、越後屋のご隠居…」
「嘘を言いなはれ、女中を越後屋さんへやったら、越後屋のご隠居さんは四日前から有馬へ湯治に出かけて留守やそうやないか」
「えーっ、それが…」
「嘘ついたら、閻魔さんに舌抜かれるし」
「そんなー」と定吉、悲鳴みたいな受答え。
「だんさんに口止めされていますさかい、おてかけさんのところへ行っていたなんか言えまへん。それに、おうどん食べておいでと、おてかけさんが五十文くれたことも内緒だす」
「言いたくなかったら、言わんでもええ、そやけど、一つだけ聞くけどその妾どんな女やった」
「口止めされていますさかいに言えまへんが、若くて奇麗なお人だしたような気が…」
「そうか、定吉は口が堅とうおますなァ」
「へえ」
お家さんの嫉妬の炎がメラメラ燃え上がる。 妾宅へ乗り込んでやろうか、それともだんさんを放り出してしまおうかとも考えたが他人の目が恐いし店の信用にも傷が付く。
お家はん、はたと思いついて掌を打つ。 だんさんに晩酌を勧めて寝かしつけると、寝所に隠しておいた鋏を取り出し、よく眠っているだんさんの褌を解くと、縮れた毛をチョキチョキと五分刈りにしてしまう。 だんさん、朝目覚めると股間がチクチク、「えーっ」と、びっくり仰天。
「誰や、こんな酷いことをしたのは」 と喚いてみたが、こんな事ができるのは女房しかいない。
「ほんまにお家は、殺生な奴や」 と、黙り込んでしまう。
それでも約束をしていたので、今日は埋田(うめだ)のちょい年増 おたか の妾宅へ定吉を連れてやってくる。
「おたか、何とかしてくれ。 股がチクチク痛い」
「だんさん、どうしはりましたん」
「あんなー、女房の奴に、酷いことをされたのや」 と、着物の裾を開いて褌を外してみせる。
「ひやー、だんさん門口でなにしはりますのや」 と、両手で自分の顔を隠すが、そこは百戦錬磨の元芸者。
だんさんを座敷に上げると、奥に入りなにやら準備をしている。
「だんさん、そこに仰向けに寝て、下帯(褌)をとりなはれ」
「こうか? 何をするのや」
「まあ、任しときなはれ」
定吉は縁側に腰を掛けて、だんさんのみっともない姿をニヤニヤしながら見ている。
「定吉をどこかに遣りなはれ、あいつ店に戻ったらお家に何を告げ口するや判らん」
「定吉とん、そんな可愛い顔して、告げ口なんかするのでっか」
「お家はんに脅されたら、つい喋ってしまいますねん」
「そうでっか、定吉とんは、だんさんとお家はんの間で可哀想やなァ」
「へえ、辛うおます」
「わたいのことはいずれ判ることやし、てかけはだんさんの甲斐性だすから話してもかいまへん(構わない)」
「へえ、喋らへん積もりだす」
「ほんなら、これ五十文おます。そっち角に美味しいぜんざい屋がありますさかい、食べて来よし」 と、方角を指さす。
定吉、表に飛び出すが、だんさんの恰好を思い出して「ぷっ」と吹き出し、お金は使わずに神社の境内へ鳩を見に行った。
「だんさんのお帰りだす」 と、定吉。
「だんさんお帰り」「だんさんお帰り」「だんさんお帰り」と、お店の衆。
「今日は、お早いお帰りで…」
例によってお家の棘のある、その上今日は含み笑いを交えたお出迎え。
「定吉、ちょっとおいで」
「へーい」 そら来たと身構える定吉。
「今日はどこへ行ってきたのや?」
「埋田のおてかけさんのお宅だす」
「へえー、埋田にも囲っているのか。そんなことをペラペラ喋ってもええのか?」
「わたいは、お家はんの味方だすさから」
「あゝそうか、それは感心やな。それで何か変わったことはなかったか?」
「へえ、いつも通りお茶を飲んでお話をして帰って来はりました」 と言ってから、
「あゝそうや、だんさんはお髭を剃ってはりました」
「見たんか? 髭剃るとこ」
「いえ、音だけ聞きました」
お家はん、おかしいなと首を捻りながら奥の座敷へ引っ込んだ。 夜更けて、だんさんを寝かしつけ点検をしてみると、五分刈がクリクリになっている。 しかも椿油を塗りこんでツルツル、テカテカ。
「だんさん、三日と上げずに来ておくれやす。チクチクしないうちに剃ってあげます」 と、おたか。
「なんや、わたい癖になりそうだす」 とも。
お家はんが、こんな悪さをしたばっかりに、だんさん今までよりも頻繁にでかけるようになってしまった。