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猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」第二部 小坊主の妙珍  (原稿用紙15枚)

2016-02-24 | 短編小説
 勘太郎は、父親の呻き声を聞いて飛び起きた。そこには,油皿の明かりに浮かび上がった朱に染まって動かなくなった父親と、その傍らに蹲る従兄弟の浅太郎の姿があった。
   「父ちゃん、父ちゃん!」
 勘太郎は泣き叫んで父親に縋り、振り返って浅太郎を見た。
   「父ちゃんを殺したな」
 浅太郎に近寄り、拳で叩きながら泣き叫ぶ勘太郎に、訳も話せず、弁解も出来ず、浅太郎は泣いて叩かれ続けるのであった。
   「勘太郎、俺と赤城山へ行こう」
   「嫌だ、人殺しの親分が居るところへなんか行くものか」
 どうやら、父親殺しは忠次郎の言い付けであることを夢現で聞いていたらしい。
   「違うのだ、訳は後で話す、とにかく赤城山へ行くのだ」
   「嫌だ!」
 強く叫ぶと勘太郎は駆け出し、戸を開けて外へ飛び出した。
   「いつか、仕返しをしてやる」
 何度も叫びながら、勘太郎は闇に消えた。浅太郎も後を追ったが、月は雲間に隠れ、小さくてすばしっこい勘太郎は、探しても見つからなかった。

 勘太郎が消えた先へ走って行くと、近隣村々の檀家を永代供養する菩提寺である昌明寺に辿り着いた。
   「ここへ逃げ込んだのだろう」
 浅太郎は寺の境内を探したが、暗いうえに裏が森である為、見つけ様が無かった。もし、寺の僧侶に匿って貰っているなら、幼い知恵でも「人殺しに追われている」と、訴えたに違いない。僧侶に尋ねても「知らない」と言うだろう。
 勘太郎を探してばかりはいられない。早く赤城山に戻って、叔父勘助が遺した言葉を忠次郎に伝えなければならない浅太郎なのだ。


   「あゝ 吃驚した」
 早朝の昌明寺、若い真寛(しんかん)という僧侶が境内を掃除していたら、本堂の縁の下から子供がのそのそっと、出てきた。
   「どうしたのだ? 昨夜ここで寝たのか?」
   「うん」
   「おや、三室の勘助親分のところの勘太郎ではないか」
   「うん」
   「家出をしてきたのか? お父さんが心配しているぞ」
   「従兄弟の浅太郎に父ちゃんが殺された」
 勘太郎は「シクシク」泣き始め、やがて大泣きをして真寛に抱きついた。
   「和尚様に相談して、お役人を呼ぼう」
 住職に相談すると、寺男を呼び代官所まで走らせた。駆けつけた役人が勘助の家に赴き、勘助の死体を見分(けんぶん)して寺へ戻ってきた。
   「浅太郎に父ちゃんが殺されるところを見たのか?」
   「うん、親分の言い付けだと言っていた」
 親分と言えば、あの手配されている大前田一家の忠次郎だろう。
   「すぐに捕えて、仕置きしてやるからな」
 翌朝、人数が揃ったので、役人達は赤城山に出掛けたが、立て籠もっていた忠次郎たちは、もぬけの殻であった。
   「勘助が浅太郎に脅されて、山狩りを漏らしたらしい」


 勘太郎は、昌明寺で預かることになり、やがて得度して妙珍(みょうちん)という法名を住職から戴き、修行に入った。


   「妙珍、隣村の長老がお亡くなりになった、今夜は通夜なので真寛に御供しなさい」
 住職は、別の檀家の法要に出掛けるという。妙珍が昌明寺に来て三年の月日が流れた。来た当時は六歳であったが、九歳にもなると、経も読め、字も真寛に習って写経が出来、すっかり僧侶としての日課勤行を熟していた。
   「はい、和尚様」
 まだ声変わりもしていない、幼さののこる少年であるが、見た目は修行僧でも、その心の内は僧にあるまじき復讐心に燃えていた。口には出さないが、いつの日か父親を死に至らしめた浅太郎と忠次郎に仕返しをする決意を秘めていたのだ。
   「和尚様、では行って参ります」
   「明日は葬儀があるので、今夜は先様へお泊りすることになる。ご無礼のなきようにな」
   「はい和尚様は、御無理をなさらないように‥」

 よく働き礼儀を尽くし、はきはきと経を読むので妙珍はどこへ行っても子ども扱いされずに、一人前の僧侶として敬われた。

 三歩下がって師の影を踏まず、妙珍にとって真寛は師ともいうべき僧侶であった。小さい体で、大きな荷物を背負って、チョコチョコと真寛の後を歩いていると、妙珍の顔をすれ違い様にジーッと見ていた行商人風の男が近寄って話しかけてきた。
   「小僧さん、もしや三室の勘助親分のお子さんではありませんか?」
   「はい、倅の勘太郎です」
   「やはりそうでしたか、勘助親分に似ていらっしゃる」
   「そうですか、私は父の顔が思い出せないのです」
   「人情に厚いお方でしたよ」
   「そうですか、有難う御座います、それで私に何か御用でも‥」
   「商いで信濃の国へ行ったとき、浅太郎さんにお会いしました」
   「そうですか」
 妙珍は気のない返事をした。
   「浅太郎さんは、勘太郎さんのことを気にかけていらっしゃいましたよ」
   「お尋ね者の忠次郎親分と一緒でしたか?」
   「そのようでした」
   「信州の何処に身を置いていましたか?」
   「それは訊きませんでしたが、会ったのは佐久の沓掛でした」
 妙珍は真寛に促され、男に礼を言って「先を急ぎますので」と、別れた。表面は事もなげに繕ったが、妙珍の心の内に棲む夜叉が目覚めていた。

 今にも信州へ飛んで行きたい気持ちに駆られるたが、子供の自分には尚早である。まして修行中の小坊主、仏に仕える身で決して許されることではないのだ。

   「妙珍、葬儀の仏壇を設える、そちらの端を持ちなさい」
 仏の枕元で経を読んでいた妙珍の背に真寛の声が降った。
   「あ、はい真寛さま」
 粗末ではあるが、ご家族の方々と共に仏壇を設置すると、妙珍は矢継ぎ早に真寛から命令を受けた。
   「妙珍、お前は絵が得意であったな」
   「はい」
   「亡き大旦那様の似顔絵を描いて差し上げなさい、仏壇に掲げましょう」
 家族の一人に墨と紙、毛筆用の細筆、太筆を用意して貰い、妙珍の前に置かれた。その後、亡き大旦那さまの顔に掛けられた布をとると、そこに眠っているが如く安らかな顔が顕われた。
   「お目は、開いて描きなさい」
   「はい、大旦那様には何度かお会いしております」
 妙珍は、達筆であるが、絵も見事である。「すらすらっ」と、在りし日の長老の生き生きとした肖像画を描いた。それを見た家族の者たちは喜び、涙を新たにした。
 葬儀は、しめやかに執り行われ、御遺体は昌明寺に運び込まれて無事に埋葬された。この時から、妙珍の噂が村々に広がり、「是非、妙珍さんに‥」と、法要の折には妙珍一人で出かけることが増えた。


 昌明寺において、妙珍は穏やかな日々を送り、五年の月日が流れた。妙珍十四歳の立派な僧侶になった。色黒で背丈は大柄の真寛にも届きそうで、僧衣で目立たないが、骨太のがっしりとした体つきになっていた。

 ある日、妙珍は住職と真寛の前で正座をして、深く頭を下げた。
   「和尚さま、お願いが御座います」
   「改まってどうした、言ってみなさい」
 住職が、厳かに声をかけた。
   「妙珍は、還俗(げんぞく)させていただきとう御座います」
 住職と、真寛は驚いて言葉を失った。その二人の耳に、更に驚きの言葉が入ってきた。
   「妙珍、任侠の世界に身を置きとうございます」
 仏に仕えて修行し、漸く一人前の僧侶になった途端のこの申し出、一体何が有ったのかと問いかけようとした和尚だったが、はたと気付いて言葉を呑んだ。代わりに真寛が口を開いた。
   「妙珍お前、父親の仇討ちをする積りではあるまいな」
   「町人の仇討ちはご法度にございます」
   「では、何故の還俗なのだ」
   「父を殺した浅太郎と忠次郎に仕返しをするためです」
   「やはり、仇討ちではないか」
   「いいえ、喧嘩の仕返しでございます」
 そなたは僧侶の身である。俗世の恨みで血を血で洗う諍いをするのは止めて、一心不乱に仏の道一筋に生きなさい。やがて、恨みや憎しみが如何に無意味なものであることを悟る日が来るであろうと和尚は妙珍を諭したが、一途に思いつめた若い妙珍は、既に僧侶の精神ではなかった。
   「妙珍、わしはそなたを縛り上げてもこの寺に繋ぎ置きたいところじゃが、いつか悟って仏門に戻ってくることを信じて待っていよう」
 
 翌朝、執拗に止める和尚たちに別れを告げて、妙珍は寺の布施から幾許かの金を分けて戴き、白衣の上に墨染の法衣、そして網代笠をかぶり、行くあてもなく旅立った。ただ、草鞋の先は、信州に向かってはいたが‥。

 妙珍の足は、赤城山を北にとって、恐らく忠次郎一行が辿ったと思われる街道を西へ向かった。還俗を許されたとはいえ、まだ丸坊主に法衣を纏っている妙珍は、無意識のうちに経を唱えて歩いていた。いくつかの村落を通り抜けたところで、後から若い男が追いかけてきた。
   「お坊さま、お待ちください」
 男は妙珍より四つ五つ年上であろうか、童顔の妙珍の前まで来て、大人の男が行き成り頭を下げた。
   「お願いがあります」
   「どうされました、私は浄土真宗の僧侶、妙珍と申しますが、このような未熟な坊主に願いとは如何なるものでしょうか」
   「私はこの村の者で、作兵衛と申します。今朝、父親が息を引き取りました」
   「それはご愁傷なことです」
   「私どもは貧しくて、亡き父にお寺のお坊さまをお呼びすることが出来ません」
   「たとえ布施など差し上げることが出来なくとも、お寺の和尚さまは来てくださるでしょうに」
   「いいえ、お布施の最低限が決められていまして、それを満たせないところには来て戴けません」
   「それはおかしいですね、檀家をお布施の額で差別をなさることは無い筈ですが‥」
   「私の家族は、檀家ではないのです」
   「菩提寺なのでしょう」
   「いえ、貧乏人は檀家の扱いはされません」
   「それは酷い、私がお寺へ行ってご住職に掛け合いましょう」
   「お坊さま、それは無駄です、取り合わないばかりか、追い返されますよ」
   「こんな小坊主のたわごとなど、聞く耳を持たないってことですか?」
   「はい、失礼ながらその通りだと思います」
   「ではまず、お父さまの通夜の準備をいたしましょう」
   「有難う御座います」
 
 妙珍が昌明寺で修行した行儀の真似事であるが、出来得る限りのことをしてあげようと、妙珍はてきぱきと指示を出した。棺桶も妙珍が金を出し、菩提寺である筈の寺の名を訊き、出かけて行って明日の葬儀までに埋葬の話をつけておこうと妙珍は考えている。

 寺は、西福寺と教わった。門前に立つと、この辺りの村々の菩提寺らしく、先祖代々の墓と刻まれた墓石が並び、可成り古びた本堂から読経の声が響いてくる。妙珍が昨日まで見慣れ、そして聞き慣れたた風情である。
 中へ入ると、檀家の衆であろう人の気配などあり、お香の臭いが立ち込めている。妙珍は更に本堂へ近付き、読経の声に神経を集中すると、凍り付いたように動きを止めてしまった。
 西福寺は昌明寺と同じ浄土真宗の寺であるが、聞こえて来たのは般若心経であった  ―続く―

 猫爺の短編小説「赤城の勘太郎」
   第一部 板割の浅太郎
   第二部 小坊主の妙珍
   第三部 信州浪人との出会い
   第四部 新免流ハッタリ
   第五部 国定忠治(終)
 猫爺の短編小説「続・赤城の勘太郎」
   第一部 再会
   第二部 辰巳一家崩壊
   第三部 懐かしき師僧
   第四部 江戸の十三夜
   


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