これも記事が複数見つかったため書いてみた。
陸自ヘリ、駐屯地内で墜落 乗員2人無事 長崎・佐世保 (朝日新聞) - goo ニュース
県警のPR看板倒れ、男児けが 新潟・阿賀野川河川敷 (朝日新聞) - goo ニュース
*攻撃的な気分で書いた記事ですが、「安全管理」を問題にすべきでした。
自分がそういったイベントに参加できない(しない)ための嫉妬です。
再観所感:
作品のプロポーションを見直して、河森氏がデザイナーである事を再認識した。と、書いてみたが…
ビデオやDVDでぶつ切りにされていると気付かないが、一本にしてみたら映画のようである?シリーズ構成はきっちりしている?だろうか…
人物表現でも、時夫の無神経さや樹奈の自己中心的考えと行動など、腹が立つくらい当たり前の若者像を描いている。(これについては若者に対する信頼不足の感もあるが)壊れた家庭を描くのも、社会問題として地球(人類)の危機として表現したかったのだろう。
嫌悪感の原因も見えてきた。クリスの存在と行動の描き方に対するものである。
人を見下すような態度と、中途半端な言葉。愚鈍庵さんの突込みにもあったが、クリスが「イタイ」存在になってしまっている。本当に樹奈を信じていたのならば、徹底的に教え込むか一切何も言わないはず。それは「ナルシスト」クリスの怠慢とかっこつけ。
その前に、なぜ「樹奈」が選ばれたのか、いまだ納得できていない。
樹奈がクリスに「ちゃんと説明してよ」というがそれにクリスは答えず。
クリスを主人公に再構築すれば、納得できるのではないだろうか。
ラージャはクリスであり、樹奈であり、一人一人の人間であり、あらゆる生命であるのに、「やっと見つけた」?「時の化身」?誰でも良かったはず。いや、人間である必要もないだろう。目覚めと自覚(成長)の表現が不足している。
クリスの「やっと見つけた」のは、人類の自滅を加速するのに利用できる「もっとも愚かな操りやすい存在」であったということか。クリスほどの能力があれば樹奈の事を理解できていたはず。未来を予見しての計画通りの行動。
つまり、人間の代表としてのラージャであるクリスは、自分が生きているうちに人類を救うための行動にでたとも考えられる。ラージャは穢れを取り除き清める存在であるが、人間を滅ぼすかもしれない?人間が滅んでも「生命」はラージャにより清められ再生するはず。「生命(ラージャ)」としてのクリスと「人間」クリスの葛藤があったのだろう。そして「人間」を選んだのだ。
そうすると、シンディを理解する事もできる。シンディはかなりのテレパスらしいが、それでいてその言動はガキである。これはクリスにより能力と思考を制御されていたと考えるのだ。
また、各種の問いかけには視聴者自身へ向けたメッセージがある。その中のひとつが第10話の中の時夫と父親の会話にある。「受け売りの情報を調べもせずに簡単に信じるな」と。つまり、「この作品のエコ情報も自分で調べなおせ」と言う事だ。このメッセージは責任逃れに見えるが、フィクションであり当たり前の事だと気付く。そう気付くと作品の見方が大きく変わる。
クリスの「愚かな」というセリフは視聴者(製作者自身も)に向けられていたのだ。なるほど、「樹奈」が選ばれたわけが見えてきた。
期待感いっぱいの 第一話 「つかみはOK」!
多くの謎を投げかける第二話 原発と放射性物質
穢れを祓う試練の 第三話 産業廃棄物の不法投棄
山の爺さん、 第四話 農業と食べ物
体内ラージャ、 第5話 薬物汚染
父親と先生、 第六話 遺伝子操作
天晴れ元気・言葉 第七話 食の安全
携帯・幽体離脱 第八話 貧困問題
TV未放映? 第九話 中絶と陣痛促進剤
遺伝子操作細菌 第十話 かぎっ子、仕事
ニューヨーク 第十一話 化学物質
日本崩壊 第十二話 石油依存社会
ラージャ合体 最終話 「おち」は…?
さて、視聴者にどうしろと?>それは自分で考えろ!
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異常気象などが問題になるこの頃、また注目を浴びる日が来るかもしれない。
2001年河森正治監督作品 テレビ東京 全13話
愚鈍庵さんのつっこみ まあ、かなり言えてる。
Yes Yes Yesさんの擁護 作品を「言葉通り」受け取った評。
私の感想も書いておかねばならないだろうか。
賛否で言えば否の方である。(13話で打ち切りということで、多くのファンも受け入れなかった)
作品を受け入れにくい原因は、作品の言わんとするところが「地球を守れ」なのか「生命を守れ」なのか「人類を守れ」なのかわからない事であり、それら全ては同じ事だとごまかすような終わり方をしていると感じたのだ。
「現在の生命体系」を「人間の側」から「人間の都合」によって「守れ」という事を「地球を守れ」と言う事は「人間の傲慢」である。地球も生命体系も人類に守って欲しいなどとは考えていない。石油も化学物質も全て地球自身のものであり、自然進化したものであろうと遺伝子操作されたものであろうと、地球から見た場合区別は無いだろう。人類が滅んでも生命は続くだろう。
あくまで、「人類の未来のために自然を守れ」であるべきだろう。
まあ、それも言葉の問題である。「言葉に縛られている」わけだ。
河森氏は否定させる突込みどころをわざと作っているのか?そうであれば成功であるが、見た目どおりの自然保護推進番組であれば、人類を滅ぼして終わるべきであったろう。
河森氏の作品は絵が好きであり、楽しめる作品を作って欲しい。「アクエリオン」もなんとなく中途半端になっているし…
作品擁護をする人をブログで検索すると、音楽が好きな人たちが多いようである。私は音に鈍感なのだろう、それともその音楽が作品中に溶け込んでいたためか、菅野ようこ氏の音楽を意識する事はなかった。
作品の冒頭、「ダンバイン」「十二国記」かと思ったら、「セーラームーン」になって笑わせてくれたが、その後はだれた展開で観るのがつらい。最終話、とうとう「風の谷のナウシカ」で終わってしまった。腐海をラージャに置き換えただけ。人類の努力なしにラッキーで終わっていいのですか?
考えさせられる提言もあり、全否定するものではない。だが、作品の出来を聞かれれば、人に薦めることはできないと答えるだろう。楽しめる作品ではない。
後日、関連記事再考:「地球少女アルジュナ」
人の名前みたいで少しかっこいい。漢字にすると「糸川 隼」ピンと来ない。
科学衛星「はやぶさ」小惑星「イトカワ」到着
今日の「サイエンスZERO」を見て思い出したので書いておく。
2年前に打ち上げられたというから、私がパチンコをやめたころだ。
そして「はやぶさ」は、2年がかりでパーラー「イトカワ」へパチンコを打ちに行ったわけだ。(小惑星にパチンコ玉を打ち込んで、その表面物質を回収して地球へ戻る)景品交換も済んで、またゆっくり帰ってくるらしい。どんな景品を手に入れたのやら。
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なに?まだ着陸(回収)してないの?(9月22日)
2006-02-24
故障から予定通りの帰還は見込めない。
だが、時間をかけても戻ってこようとしている。
現状を確認していないが、ゆっくりと待とう。
星野之宣氏の20年前の作品。
星野氏の絵がもっとも繊細で完成期を迎えた時代。
この作品は当時のSFブームの中で最も「SF」した作品だろう。
人類の宇宙進出をテーマに、その始まりから終わりを描く。
宇宙ブームが下火になり始め、この作品発表の数年後にはバブルがはじける事を考えると、また感慨深いものを感じる。
科学の進歩はやがてこの作品を「過去」にしてしまう事だろう。だが、そうなった後にも20世紀の傑作として語り継がれる作品のひとつであるはずだ。
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作品との出会いは1巻が発行された年の年末、2巻が発行された頃だ。よく売れたようで毎月のように再刷を繰り返していたらしく、1巻はすでに4刷であった。
その後3巻に出会うことなく20年が経ってしまった。その3巻の存在を知ったのはパソコンを手に入れ、ネットで情報が得られるようになったからだ。
ネットをはじめたからといってすぐに情報が得られたわけではない。調べようとするきっかけが必要である。それはすでに自分の中で風化しかけていた「ガンダム」と「SF」だった。ブログでそれを楽しんでいる人々に感謝である。また、簡単に本を手に入れられる「amazon」と宅配の関係者にも感謝。
あっ、いきなり無理!
地球に向かう巨大小惑星を、ナノブラックホールにより軌道変更するが、それにより月が消滅。ここは我慢しよう。
環境の変わった地球を安定させるために、木星の衛星エウロパを持ってくる?
それが正義であるような描かれ方をされているが、それも計画に反対するアメリカ以外の「大国」のエゴであると気付かないだろうか。それだけの技術と資金があれば、他の生き残る手段があっただろう。
エンターテイメントにはしったアメリカ映画的な作品作り。決して悪くは無いが、他の人にやらせておけばいいじゃないかと思ってしまう。
アイデア優先で構想不足だったのではないだろうか。
同じテーストの作品では、木星を太陽に変えた「巨人たちの伝説」の方がはるかに好きだ。
なにが気に入らないのだろう。
まずは必然性。国の事情の背景描写をもっとすべき。そうした上でのエウロパ計画なら納得する。
そして、地球と人類に起きた悲劇を描くべきだろう。
私が納得するエンディングは「傲慢な人類のエウロパ計画により地球消滅」「小国は協力して脱出し、人類の芽を残す」的なものである。
星野之宣先生の作品の中でも、「お宝」からはずしたい一作であった。>それでも入れちゃうファン心理
アルフレッド・ベスターの傑作である。(1956年発表)
amazonで調べたところ、新刊が714円で古本が1100円~
なに?どうしてそうなるの?と、事情に詳しくないおっさんは思う。
15年前の発行1100円、21年前1200円と2200円、19年前で3000円。本の状態にもよるのだろうが…
ちなみに、私の持っているのは昭和53年の初版?らしきもの。ただし、美本ではない。紙は焼け見るからに古本であるばかりでなく、いくつかのドッグイヤーと私の書き込みやマーキングがある。
2008年2月復刻版が出ています。なので、中古の値段も下がってますね。
出会いは古本屋で表紙を見たこと。生頼さんのイラストに惹かれての衝動買いであった。牛丼を大盛りにするかどうか悩む頃であったから、当時としては結構な出費であったが、それがいま、心を満たしてくれる「お宝」のひとつとなり、大成功であったと喜んでいる。
さて、この作品は「モンテクリスト伯」をもとに作られたそうだが、本家は出会いがあれば読むということで、わざわざ買って読むつもりはない。
amazonの星評価は当てにならないだろうし…
内容や作者や時代もわざわざ紹介したりしない。
漫画にするなら
原哲夫さんにお願いしたい。
「アキラ」で〈燃える男〉のシーンを使った大友克洋氏も考えたが、主人公ガリヴァー・フォイルの野蛮さを表現するには、あの「北斗の拳」が適当であると思えた。また、オリヴィア・プレスタインの外観イメージがユリアとシンクロするのだ。(あくまで外観イメージであり、かなり性格は違う)
登場する女性たち
誰もがテレポーテーションできるジョウント社会は、女性が蹂躙される世界であり、それでもしたたかに生きている。
フォイルと出会う女たちはフォイルを憎み、そして愛する。この女性たちがフォイルを助け、高め、また貶めるのだ。愛と憎しみがこんなにも自然に共存している。
宗教
フォイルの宗教批判は、フォイルの野蛮さを際立たせるための手法なのか、それともベスターの思いを代弁しているのかはわからない。
だが、科学の進歩は確実に宗教のあり方について見直しを迫るものであり、それがなければその存在は社会の中で異端とならざるを得ない。
パイア
「現代科学」そのものを物質に置き換えて表現しているのか?
または、情報化社会を予見し、愚鈍で卑劣な民衆が「パイア」を持つ事に対する警告?
狂ったロボットの発言
終盤にダーゲンハムの放射能により故障したロボットが話す内容は、狂っているようでもありながら真実を言い当ててもいる。その中での特にお気に入りのセリフが、
「あなた方はみな奇形なのです。しかしいつでも奇形だったのです。人生は奇形ですから。だからこそ、それがその希望であり栄光なのです」
「諸君は豚だ!」
ピカデリーサーカスの中心、エロスの像の頂上、フォイルが叫ぶ。
いわゆる「人並みの幸せ」を考える暇を与えない作品である。
だから、ガリヴァー・フォイルに感情移入する人間は少ないだろう。
だが、だからといってフォイルを完全に否定もできない。好きになれないが、その存在と行動を認めざるをえなくなっていく。
とにかく、盛りだくさんで様々な読み方ができる作品ですよね。