きょくたN日常事態宣言

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再考「地球少女アルジュナ」

2005年09月18日 15時36分52秒 | テレビとか

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再観所感:
 作品のプロポーションを見直して、河森氏がデザイナーである事を再認識した。と、書いてみたが…
 ビデオやDVDでぶつ切りにされていると気付かないが、一本にしてみたら映画のようである?シリーズ構成はきっちりしている?だろうか…
 人物表現でも、時夫の無神経さや樹奈の自己中心的考えと行動など、腹が立つくらい当たり前の若者像を描いている。(これについては若者に対する信頼不足の感もあるが)壊れた家庭を描くのも、社会問題として地球(人類)の危機として表現したかったのだろう。
 嫌悪感の原因も見えてきた。クリスの存在と行動の描き方に対するものである。
 人を見下すような態度と、中途半端な言葉。愚鈍庵さんの突込みにもあったが、クリスが「イタイ」存在になってしまっている。本当に樹奈を信じていたのならば、徹底的に教え込むか一切何も言わないはず。それは「ナルシスト」クリスの怠慢とかっこつけ。

 その前に、なぜ「樹奈」が選ばれたのか、いまだ納得できていない。
 樹奈がクリスに「ちゃんと説明してよ」というがそれにクリスは答えず。
 クリスを主人公に再構築すれば、納得できるのではないだろうか。
 ラージャはクリスであり、樹奈であり、一人一人の人間であり、あらゆる生命であるのに、「やっと見つけた」?「時の化身」?誰でも良かったはず。いや、人間である必要もないだろう。目覚めと自覚(成長)の表現が不足している。
 クリスの「やっと見つけた」のは、人類の自滅を加速するのに利用できる「もっとも愚かな操りやすい存在」であったということか。クリスほどの能力があれば樹奈の事を理解できていたはず。未来を予見しての計画通りの行動。
 つまり、人間の代表としてのラージャであるクリスは、自分が生きているうちに人類を救うための行動にでたとも考えられる。ラージャは穢れを取り除き清める存在であるが、人間を滅ぼすかもしれない?人間が滅んでも「生命」はラージャにより清められ再生するはず。「生命(ラージャ)」としてのクリスと「人間」クリスの葛藤があったのだろう。そして「人間」を選んだのだ。
 そうすると、シンディを理解する事もできる。シンディはかなりのテレパスらしいが、それでいてその言動はガキである。これはクリスにより能力と思考を制御されていたと考えるのだ。

 また、各種の問いかけには視聴者自身へ向けたメッセージがある。その中のひとつが第10話の中の時夫と父親の会話にある。「受け売りの情報を調べもせずに簡単に信じるな」と。つまり、「この作品のエコ情報も自分で調べなおせ」と言う事だ。このメッセージは責任逃れに見えるが、フィクションであり当たり前の事だと気付く。そう気付くと作品の見方が大きく変わる。
 クリスの「愚かな」というセリフは視聴者(製作者自身も)に向けられていたのだ。なるほど、「樹奈」が選ばれたわけが見えてきた。

 期待感いっぱいの  第一話 「つかみはOK」!
 多くの謎を投げかける第二話 原発と放射性物質
 穢れを祓う試練の  第三話 産業廃棄物の不法投棄
 山の爺さん、    第四話 農業と食べ物
 体内ラージャ、   第5話 薬物汚染
 父親と先生、    第六話 遺伝子操作
 天晴れ元気・言葉  第七話 食の安全
 携帯・幽体離脱   第八話 貧困問題
 TV未放映?    第九話 中絶と陣痛促進剤
 遺伝子操作細菌   第十話 かぎっ子、仕事
 ニューヨーク   第十一話 化学物質
 日本崩壊     第十二話 石油依存社会
 ラージャ合体    最終話 「おち」は…?

 さて、視聴者にどうしろと?>それは自分で考えろ!

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 異常気象などが問題になるこの頃、また注目を浴びる日が来るかもしれない。

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コメント (2)
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言葉の衝突とすれ違いから起こる諍いをなくしてください。

2005年09月18日 13時20分51秒 | ネット生活
 どちらが正しいかなんて決められない事柄で、相手の意見を捻じ曲げようという人がいなくなりますように。
 激しい言葉を浴びせたならば、それと同じだけの優しい言葉で諌めてください。
 ネットが幸せな空間であるために。

 こんな事を書くなんて、
 「地球少女アルジュナ」の影響下にあるみたいですね。
 作品的な出来は評価しないが、その主張は認めているようだ。

          今
      この星の上に生きる
          奇
          跡

 「トラックバック練習板」今週は500番狙いで498番目。
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「地球少女アルジュナ」☆ひとつ半

2005年09月18日 00時16分06秒 | テレビとか

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2001年河森正治監督作品 テレビ東京 全13話

 愚鈍庵さんのつっこみ まあ、かなり言えてる。
 Yes Yes Yesさんの擁護 作品を「言葉通り」受け取った評。

 私の感想も書いておかねばならないだろうか。
 賛否で言えば否の方である。(13話で打ち切りということで、多くのファンも受け入れなかった)

 作品を受け入れにくい原因は、作品の言わんとするところが「地球を守れ」なのか「生命を守れ」なのか「人類を守れ」なのかわからない事であり、それら全ては同じ事だとごまかすような終わり方をしていると感じたのだ。
 「現在の生命体系」を「人間の側」から「人間の都合」によって「守れ」という事を「地球を守れ」と言う事は「人間の傲慢」である。地球も生命体系も人類に守って欲しいなどとは考えていない。石油も化学物質も全て地球自身のものであり、自然進化したものであろうと遺伝子操作されたものであろうと、地球から見た場合区別は無いだろう。人類が滅んでも生命は続くだろう。
 あくまで、「人類の未来のために自然を守れ」であるべきだろう。
 まあ、それも言葉の問題である。「言葉に縛られている」わけだ。
 河森氏は否定させる突込みどころをわざと作っているのか?そうであれば成功であるが、見た目どおりの自然保護推進番組であれば、人類を滅ぼして終わるべきであったろう。
 河森氏の作品は絵が好きであり、楽しめる作品を作って欲しい。「アクエリオン」もなんとなく中途半端になっているし…

 作品擁護をする人をブログで検索すると、音楽が好きな人たちが多いようである。私は音に鈍感なのだろう、それともその音楽が作品中に溶け込んでいたためか、菅野ようこ氏の音楽を意識する事はなかった。

 作品の冒頭、「ダンバイン」「十二国記」かと思ったら、「セーラームーン」になって笑わせてくれたが、その後はだれた展開で観るのがつらい。最終話、とうとう「風の谷のナウシカ」で終わってしまった。腐海をラージャに置き換えただけ。人類の努力なしにラッキーで終わっていいのですか?

 考えさせられる提言もあり、全否定するものではない。だが、作品の出来を聞かれれば、人に薦めることはできないと答えるだろう。楽しめる作品ではない。

 後日、関連記事再考:「地球少女アルジュナ」

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コメント (2)
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