夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

麻生氏の自邸は3万坪。他人の痛みの分からない人が増えている

2008年09月24日 | Weblog
 先日、不誠実な編集者について不平不満を述べた。トラックバックをもらって、そこには私の甘さが批判されていた。一部はもっともであり、一部は多少誤解されている懸念もあるが、それは公開している。そして息子からも言われた。
 社員は自分の思う通りにはならないんだ。自分が良いと思っても、上の方で駄目、と言われれば仕方ないじゃないか。立派な出版社なんだから、と。
 私は社員に対して文句を言ったのだが、会社は社員一人一人が作るのだから、結局は出版社に対しても文句を言う事になる。だが、あの時にも書いたが、言いようがあるだろう。私はいいと思ってるんですが、企画会議で通りませんでした、と言われればそうですか、と素直に引き下がる。しかし、「面白い。他社に見せているといけないので、早めに連絡した」との言葉と、「内容が散漫で駄目です」との言葉の開きの大きさに私は唖然としてしまったのだ。しかも知らん顔を決め込んだ。その考え方が許せないのである。

 今日、新総理・麻生氏の自宅が3万坪もある大邸宅である事をテレビで紹介していた。家が豪壮であって悪くはない。だが、それでは他人の痛みが分からないのでは、と心配する。それは鳩山氏も同じ事。都内の一等地にあれだけの豪邸を持っている。祖父から受け継いだ物とは言え、やはり他人の痛みが分かるのか、と心配になる。
 48年前、馬鹿な右翼少年に刺殺された浅沼稲次郎・社会党委員長は六畳と四畳半二間の長屋の都営住宅暮らしだった。だから良いと言うのではないが、庶民の暮らしの分かる人物だった。当時でさえ、この長屋暮らしを予想外に思った人は大勢いるはずだ。

 人間は誰しも自分が苦労してみて、初めて他人の苦労が分かる。偉そうな事を言っている私自身、今にも飢えで死にそうな人の気持は分からない。若い時の苦労は買ってでもせよ、と古人は言った。麻生氏も鳩山氏も、おそらくはお買いになった事はないだろう。
 そうした人に果たしてこの大事な日本の政治を任せられるのか。ブレーンだって、みんな他人の苦しみなんか知らない人ばかりになるのだろう。
 人の痛みを知らない、と言えば、あの小泉チルドレンの「刺客」はその最たるものだろう。自分が刺される痛みが分からないから、平気で他人を刺す。わざわざ、他人の痛みの分からない人間を議員候補に立てる。もちろん、小泉氏自身が他人の痛みが分からない。だからアメリカに尻尾を振って、自分だけがいい子犬になろうと画策した。北朝鮮に行けば、やはり自分一人の権力維持のために、大勢の拉致被害者を犠牲にした。

 ねえ、どうしてみんな誰も彼も自分の事しか考えないのだろう。その日暮らしの人間が自分の事だけしか考えられないのは当たり前。だが、表舞台に立つ人々は少なくともその日の暮らしは十分に成算が立っている。恐らくは一生、成算があるのだろう。
 そんなゆとりがあるのに、自分の事だけに夢中になっている。残りの四人の総裁候補だって、本当に他人の事、見知らぬ人々の事を考えていたか。
 人間の器が大きいと言うのは、それだけ何もかも飲み込める容量がある事を指している。金儲けだけ飲み込んで、あとは要らないよ、と言う人間を器が大きいとは言わない。「金儲け」を「栄誉」と言い替えても同じだ。
 「他人の痛み度チェック」なんて、どなたか発明してくれないだろうか。任天堂もさ、セガもプレイステーションもさ、子供の思考力を奪うゲームばかり作ってないでさ、もっと世の中のためになるゲームを作ったら? 政治家一人一人のありとあらゆる要素を読み込んで、誰もが自由にチェック出来るソフトなんて作れば、大人には絶対に受けると思うけどなあ。あ、もちろん、プライバシーは尊重するけどね。