夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

リニア中央新幹線と東京物語

2009年01月21日 | Weblog
 リニア新幹線に三つのルート案がある事が先日発表された。今まで東京・名古屋の直通ルートにこだわっていたJR東海が、沿線自治体の協力を得るために、迂回路線も構想に入れると決意したと言うニュースであった。
 それなのに、20日、再び東京新聞にそのニュースが載った。タイトルは「リニア構想本格化」だが、一番大きい見出しは「地元との調整難航も」である。
 何だ、全然進んでいないじゃないか。なんでこんな事、また採り上げてるんだ?

 そして私はやはり、「のぞみ」よりも1時間短縮の、東京・名古屋間最速40分に大きな疑問を持っている。東京から名古屋はホント遠いいよ。それが1時間40分だと言う事だって驚きなのに、なんで更に短縮しなきゃならないんだ?
 そんなに我々は忙しいのか。今、仕事だってどんどん減っている。もっとも、それはここ二、三年の事だと思われているが、でも、果たしてそうか。能率ばかり考えて来た事が裏目に出ている事は無いのか。中身ではなく、外側だけをうまくやって来た、と言う事は無いのか。
 東京・名古屋間を40分で移動しなければ絶対に立ち行かないと言う人々がどのような人達なのか、是非ともその姿を見せて欲しい。私はそうした人には近づかないようにしたい。そうした人達は、多分、一年も掛かる大河ドラマなどまどろっこしくて見ていられないんだろうね。
 物事には「序破急」と言う段階がある。オペラには「序曲」があり、書物にだって「序章」がある。東京・名古屋40分を目指す人は、序曲や序章など目もくれないのだろうね。もっぱら結論だけを急ぎたがる。「せいては事をし損じる」「急がば回れ」の諺だってあるじゃないか。諺は先人の知恵なのだ。

 その1時間を節約した人が、その1時間でどのような有意義な事をするのかは非常に興味深い問題である。まあ、そんなに切羽詰まった人なんか、面白くなんかなくて、多分、付き合いづらい人間だろうよ。

 同じ日の東京新聞の「本音のコラム」に鎌田慧さんが書いている。題して「下町物語」。隅田川に近い下町の商店街が歯の抜けた櫛状態で、活気の無い町になって久しい、と言う。かつての商店が独房よりも狭い宿に変貌しているのだそうな。下町が山谷や釜ケ崎のようなドヤ街化しつつあるのか、と疑問を呈している。そしてそれを「東京の貧困化がすすんでいる表れであろう」と見抜いている。
 新幹線が開通した事で、地方は活性化するはずだった。しかし地方の人々が東京に吸い上げられてしまう結果になっている。地方はどんどんシャッター街になりつつある。そしてまた、その東京もシャッター街になっている。
 地方も都会も、活性化している部分は活性化している。しかし、そうでない部分は徹底的にそうでなくなっている。二極分化が激しい。現在の日本の経済情況と瓜二つである。

 地方と都会、それも東京を結ぶはずだった新幹線が、どうもあまり役には立っていないような気がする。結ぶのではなく、一方をもう片方が吸い上げるだけに終わっているのではないのか。そうした事と、スピードや便利さだけを追い求めた結果がどうも結び付いている気がする。
 必要な「無駄」がある。「無駄」と言っては駄目なのだが、効率だけを考える人々にとっては「無駄」としか言いようが無い。そうではない人々にはそれは「ゆとり」として映る。そう。ある一つの事柄に対して、それを「無駄」と考えるか「ゆとり」と考えるか。それが大袈裟に言えば、人生の岐路になる。
 今までは、「無駄」と考える人々がこの国の行く末を握っていた。それが現在のような結果を導き出している。これからは「ゆとり」だと考える人々に行く末を担ってもらわなければ駄目なのだ。

 リニア新幹線は手一杯になった東海道新幹線のバイパスの役目もあると言う。東海地震が起きた際の防災上のバイパスにもなる。でも、それは現在の新幹線と同等の技術で十分間に合う。でも、その前に、なぜ東海道新幹線が手一杯になっているのかを考えてみる必要がある。東京・名古屋・大阪間の移動がそんなにも頻繁に行われなければ日本は立ち行かないのか。そんな事ばかりしているから、地方が疲弊するのではないのか。
 名古屋や大阪の事は知らないが、東京はどんどん住みにくくなっている気がしてならない。何でも一極集中だから、地価は高いし、その結果、物価だって高い。世界一物価が高いなんて、何の自慢にもなりゃしない。それだけ生活程度が低いと言う証明にしかならない。
 ねえ、ホント、目の前の現実をしっかりと自分のその目で見詰めましょうよ。それで何の知恵も湧かない人は、どうぞこの世界からお引き取り下さい。