夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

イージス艦の衝突と遺憾に思う

2008年02月21日 | Weblog
 海上自衛隊のイージス艦が漁船と衝突した。
 漁船の乗組員はたったの二人。それに対して自衛艦は296人。漁船は7・3トン。自衛艦は7750トン。
 レーダーも最新鋭の物が装備されているはずだし、見張りもいるはずだ。それが漁船との衝突を避けられなかった。どんな事情があるにせよ、強者が弱者を守るのは当たり前の事。何をいい加減な事をしているのか。それに一番重要な操舵室がまるごと無くなっいる事も分かった。

 更には気が動転していて敏速な行動が取れなかったのだと言う。296人全員が能なしだったと言っている事になる。これでどうやって日本を守れると言うのか。戦争ごっこじゃないんだよ。これじゃあ、イージーミス艦だ、なんて寒い駄洒落の一つも言いたくなるではないか。
 多分、彼等は自分の身が危うくなれば、国民など見捨てて、平気で敵前逃亡するのだろう。
 21日になって、見張り員が嘘をついている事が明らかになった。2分前に気付いたと言っていたのは嘘で、実は12分前に気付いていたと言う。江戸時代の大名行列と同じで、そこのけそこのけだと言う評論家もいる。

 この事については大勢の人々が非難しているだろうから、私が出る幕は無い。ただ、防衛省の役人がテレビのニュースで「遺憾に思う」と言っていたのは聞き捨てならない。
 「遺憾に思う」は「残念だ」と言っているに過ぎない。発言の時点ではどちらに非があるのかはっきりしていないから、「残念だ」と言うしか無いのだろうと思った。しかしそうではなかった。そのすぐ後に、彼は「申し訳ない」と謝ったのである。
 謝る以上、「残念だ」では済まない。はっきりと、「申し訳ない」と言うべきだ。こんないい加減でずるい謝り方があるだろうか。
 国民の半分は「遺憾に思う=申し訳ない」だと誤解をしている。これは昨年だったか、テレビの日本語クイズ番組で、TBSだったと思うが、国民1万人の正解率と言うのを調べてあって、それで知った。残りの半分が正確に「遺憾に思う=残念だ」と理解しているに過ぎない。

 政治家はこうした事をうまく利用している。自分は「申し訳ない」と謝りたくはない。そこで「遺憾に思う」と言って逃れる。だが、国民の半分は、ああ、謝っているのだなと思う。政治家は自尊心を傷付けずに国民の半分を味方に付ける事が出来るのである。
 我々は言葉をあまりにもいい加減に扱い過ぎている。本当の意味を知らないで、語感だけで判断をしている。だからいつだって、騙されるのである。

 「善処する」がそう。新明解国語辞典などは、政治家がごまかすために使うとまで断言している。「善処=うまく処理する」の「うまく」は、それぞれ、自分にとっての「うまく」なのであって、それは容易に反対になり得る。
 「粛々と」もそう。まるで、地味ながらも着実に実行するかのようなニュアンスを感じる人は多い。ところが、「粛々」に「着実」などの意味はまるで無い。単に「厳かに。静かに。謹んで」などの意味しか無いのである。
 漢語なら更に、「羽ばたきの形容」「松風の音の形容」との意味さえある。
 重要な約束にそんなたわいもない言葉を使って逃げるのである。それを我々は、さも政治家がしっかりと約束をしてくれた、などと脳天気に受け取るのである。政治家の汚さと言い、我々のだらしなさと言い、ああ、情けない。

 言葉が複雑で、屈折した幾つもの意味を持っているのは別に構わない。すべてがあけすけな言葉でなくてはいけない、などと言うのではない。身も蓋もない言葉ばかりだったら、どうしようも無い。しかし、だからと言って、いい加減に、間違った解釈をしていて良いと言う訳ではない。
 いい加減な言葉がいい加減な考え方を生み、そのいい加減な考えが更にいい加減な言葉を作り出して行く。その悪循環が日本を品格の無い国にしている。

 国家の品格、女性の品格、○○の品格、と「品格ばやり」の昨今だが、品格なんて、そんな簡単に手に出来る物ではない。何よりも、言葉に品格が無い。だから考え方にも品格が無い。つまりは、人間に品格が無い。テレビを見てご覧なさい。やたらと大食いを競っている。世界には飢えて死んで行く人もいると言うのに、無駄な大食いをあおって、面白がっている。
 私が幼かった頃、食べ物を無駄にすると罰が当たると親は言ったものだ。しかし今ではそんな事を言う親はいないのだろう。これまた悪循環。品格本がやたら売れるのは、自ら品が無い事を自覚しているからなのでしょうか。