夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

我ながら未練がましいとは思うけど

2009年06月28日 | 文化
 パソコンで文章を書く人間にとって、キーボードは命である。頭に浮かんだ言葉を即、文字にする必要がある。ちょっとでも遅れると、私は頭の出来が良くないからだろうが、せっかく浮かんだ言葉が無惨にも消えてしまう。だから、漢字変換が出来ていなくても、取り敢えず入力してしまう。そこはあとからゆっくりと訂正が出来る。とにもかくにも入力なのである。
 だからキーが自由に操れなくてはならない。キーボードなんか見なくても、きちんと入力が出来なければならない。
 前にも書いたが、私は二十年以上も前から親指シフトキーボードを使って来た。そもそもはワープロが親指シフトだった。NECのいわゆる98も親指シフトが使えた。マックを始めたのはウインドウズが出来る前で、そのマックもまた親指シフトが使えた。
 だから一度もローマ字入力をした事が無かった。普段ローマ字でなんか考えていないのにローマ字を使う事には無理がある。努力で無理は小さく出来るが、皆無にはならない。皆無にするためには、普段からローマ字生活をするしか無い。
 ずっと以前、私はしょっちゅう英文タイプライターを使わなければならない仕事に就いていた。その時、英文タイプを独習したのだが、英語の文章を入力しようとすると、きちんと指はそのキーを打つ事が出来るようになった。それは今でも出来る。だが、ローマ字になると、途端に分からなくなる。英語でthe beautiful morningと打つ事は簡単に出来る。しかし日本語でtiとかbaとか打とうとすると、少なからず考えてしまうのである。

 その親指シフトキーボードが、マックでは新しいパソコンでは使えなくなった。キーボードは元のままなのに、パソコンの方が変化して、接続方式が変わってしまったからだ。だから私はずっと長い間、新しいパソコンは宝の持ち腐れになっていた。
 そしてその新しいパソンコがもう古いパソコンになりつつある今になって、親指シフトキーボードが使える事を発見したのである。この事については以前に報告しているが、使えるようになったキーボードは十何年も前の古い製品なのである。新しいパソコンにも使えますよ、とメーカーが推薦した新しいキーボードはまるで使えないのである。
 古いキーボードはキーの一部が使えない。しかし普通の入力をしている限りでは支障が無い。ただ、時々、完全に全部のキーが使えればなあ、と思う。だから完全にキーの使える古いパソコンもいまだに持っている。たまに、もしやと思って新しいパソコンに繋いでみるのだが、やはり駄目だ。だから未練がましいのである。

 パソコンを使っている人は非常に多い。その内、データ処理をしている人よりも文章を作っている人の方が絶対に多いはずである。それなのに、キーボードは旧態依然としてローマ字入力なのである。asaなどの打ちにくさ、母音のiuoが並んでいる打ちにくさ、そうした事は少しも考慮されていない。英語を打つのにふさわしいキー配列が何で日本語入力にふさわしいと言えるか。その英語にしても、高速に打てるための配列ではない。高速に打てないような配列をわざわざ考えたのである。初期のタイプライターの宿命に従ったまでの事。
 それが改善されて高速入力が可能になっても、長年親しまれて来たキー配列は変える事が出来ないのだろう。それはそれで良いが、日本語にはそれはまるで関係が無い事である。日本語には日本語の合理的はキー配列がある。それを一顧だにしない。
 そこに私は日本人の、基本を見ずに枝葉の事だけを見てしまう性格を感じる。アルファベットの配列を日本語にふさわしいように変える事がなぜ出来ないのか。変えると英語を入力する時に困る、と言うのであろう。本末転倒している。

 昔、パソコンは英語のコマンド(命令文)を打ち込む事で操作していた。だから英文配列が使われていた。親指シフトキーボードの本家本元の富士通がパソコンに親指シフトキーボードを標準として装備していない事に私は疑問を持ち、メーカーに聞いた。答は、「だって、パソコンですから」だった。
 そのパソコンは劇的に変わった。今はマウスの時代である。URLにしても半分は日本語である。英語にしたって、それは略語である。何でいつまでも英文配列にこだわっているのだろうか。
 変化が嫌いなんだろうね。それは日本人の基本的な性格だから、どうしようも無い。

 以上の事を私はマックで考えて来た。だが、ウインドウズならもう少し情況が違う。いまだに親指シフトキーボードは作られている。ソフトもある。私もウインドウズで親指シフトキーボードを使っている。だが、ウインドウズの親指シフトキーボードの使い方はマックとは少し違う。マックのような使い易さが無い。マックのように自由自在ではない。なぜなのか。本家は富士通であり、富士通はウインドウズ陣営なのだから、当然にウインドウズで使い易い親指シフトキーボードの規格が出来ていて当然なのである。
 パソコンでテレビが見られるなんて言うつまらない事に血道を上げていないで、もっと本質的な事を考える事は出来ないのだろうか。そうか、技術者は日本語入力にはあまり興味が無いのか。多分、日本語では考えていないんでしょうね。