goo blog サービス終了のお知らせ 

夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

問題な日本語/山に登る・山を登る

2008年08月14日 | Weblog
 昨日はごめんなさい。発信し損ないました。
 始めたら次々に面白い事に出くわすので、やめられなくなった。『問題な日本語』の事である。
 「山に登った」と「山を登った」の意味は同じか? 「山を登る」は誤用か? との問題である。
 説明は次の通り。

 「~に」は到着点を表すので、「山に登った」は頂上に着いたのである。「山を登る」の「を」は、山の山麓から頂上に至る移動の地点を表すもので、この文全体で、山を上方に移動する姿が目に浮かぶ。誤用ではない。
 「単独行で冬山を登る」「はしごを上って屋根に上がる」のように言うと、その正しさがはっきりする。

 なるほど、「山を登る」は誤用とは言えないのか。でもあまりそうした言い方はしない。どんな時に「山を登る」と言うのだろう。それが上の説明の「移動を表す」になるらしい。ただ、私は「富士山に登る」なら分かるが、「富士山を登る」は分からない。「どの山を登るの?」と聞かれて、「富士山を登るんだよ」と言うのだろうか。そして「富士山に登る」だって、十分に「上方に移動する姿」が目に浮かぶ。「登る」で「上方への異動の姿が目に浮かばない人が、私は思い浮かばない。
 もし、この執筆者の言う通りなら、「富士山に登ったが頂上までは行けなかった」と言う言い方は間違いになる。「富士山頂に着いたのだが、頂上までは行けなかった」と言っている事になるからだ。執筆者の考えでは、こうした場合には「富士山を登ったが」と言わなくては間違いになる。本当にそうだろうか。そして多くの人々がこのように使い分けているのだろうか。
 「槍ヶ岳に登ろう」と仲間を誘った場合、執筆者の考えなら山頂に立てる人しか参加出来ない。山頂に立つ自信の無い人は、「槍ヶ岳を登ろう」と誘われるのを待つしか無い。あははは。そんな馬鹿な。

 有名な登山家に「なぜ山に登るのか」と聞いた話がある。答は「そこに山があるから」だった。「山と見れば、登らずにはいられない」と言うのかも知れないが、私はその答の意味を「山が高いから、山頂に立ちたいからではなく、山と言う魅力的な地域に入りたいからだ」あるいは「山が呼んでいるのだ」と解釈した。
 執筆者の考えなら、この質問者は「なぜ山頂に立ちたいのですか」と聞いた事になる。
 エベレスト「に」登った登山家で無念にも途中で引き返した人は何人もいる。そうした場合、「彼はエベレスト〈を〉登ったが、途中で断念せざるを得なかった」と書かなくてはいけないのか。そして記事はすべてそうなっているのか。

 「単独行で冬山を登る」が、山頂に立つのではなく、「山麓から上に向かって移動する」のだとの解釈は独自の解釈としか思えない。
 「冬山を」に対して、「はしごを上って屋根に上がる」の用例を出しているが、おかしい。確かに「はしごに上って屋根を上がる」とは出来ない。しかし出来ないのは当然なのだ。出初め式じゃないんだから、「はしご」は上る手段に過ぎず、したがって、到達の目的にはならない。「屋根」は到達の目的であって、到達の手段ではない。でも「はしごに上って屋根に上がる」でもおかしくはないではないか。
 こうした話と「冬山を登る」「冬山に登る」が同じだと言うのか。
 ここには、「~を」はこのような意味だ、「~に」はこのような意味だ、と言う原則論しか無い。その原則が通るならそれでもいい。
 執筆者の関わっている辞書で助詞の「に」と「を」を見ると、延々と説明が続く。持っている他の小型辞書よりも遙かに多い。極端に違う場合には、3倍も4倍もある。他の言葉でもそうだが、この辞書はいったいに説明が長い。それだけ詳しい説明があるのかと言うと、決してそうではない。おかしな説明がいっぱいある。細かく分け過ぎておかしくなってしまうのだ。
 つまり、理屈をこね過ぎてどうしてもおかしな事を言い過ぎてしまう。理屈にこだわると、現実から離れてしまう危険性がある。どの辞書にもおかしな説明はあるが、度が過ぎている。多分、執筆者を始めとするこのグループ共通の性格なのだろう。

 「~に登る」と「~を登る」の違いなどよりも、「登る」と「上る」の違いの方がずっと大きいと私は思う。そしてこの使い分けは辞書によって異なるのである。表記辞典も国語辞典もそれぞれに違うと言う事では同じである。「に」と「を」の使い分けよりも遙かに難しい使い分けなのだ。「に」と「を」なら感覚的にも分かるが、「登る」と「上る」はそれこそ理屈で考えないと分からないのである。そうした事をなぜ無視するのか、なぜ気が付かないのか。不遜ながらも、私は多分、考えられないのだろうと、思っている。