何で「ごまかす」と言うのかと気になった。
ある大型辞書に次のような説明がある。
胡麻胴乱を胡麻菓子(ごまかし)と言ったことから、見せけだけよくて内容の伴わないもの。
その「胡麻胴乱」は「文化・文政年間に江戸にあった菓子。小麦粉にゴマをまぜて焼きふくらましたもので、中は空であった」との説明しか無い。別に、胡麻を入れたから中が空洞になった訳ではないらしい。中が空洞の焼き菓子に胡麻が入っているだけなのだが、「胡麻菓子」の名前が定着していて、中身の無い事の譬えとして「ごまかし」と言うようになったのか。
「ごまかす」には別の説もある。
盗人を「ごまのはい」と言う。その「ごま」に「紛らかす」などの語尾が付いて「ごまかす」になったのだと言う。食べて旨いだろう「胡麻菓子」よりも、怖い油断のならない「ごまのはい」の方が「ごまかす」の語源としてはずっとふさわしいと私は思う。
盗人を「ごまのはい」と呼ぶのは、弘法大師の「護摩の灰」と偽って、偽物を押し売りした連中になぞらえた事による。
弘法大師の護摩の灰→詐欺→護摩の灰→「護摩+紛らかす」→ごまかす
の変化の方が、
胡麻胴乱→胡麻菓子→ごまかす
よりも少々複雑ではあるが、私は納得がし易い。ただ、「護摩の灰」については、「護摩」が仏前で木などを燃やして仏に祈る儀式である事を理解している必要がある。
先の辞書もこうした話は知っているだろう。でも、決然として「胡麻菓子」からの言い方、と断言しているその自信の根拠を知りたいと思う。
こうした説とは別に、私はもっと単純に、「胡麻で化かす」から「ごまかす」だとばかり思っていた。胡麻は万能の調味料になる。胡麻油にしても、擦り胡麻にしても、調理の最後にほんの少々加えるだけで、風味が一段と増す。
「胡麻風にする=胡麻化す」は成立しないだろうか。
ある大型辞書に次のような説明がある。
胡麻胴乱を胡麻菓子(ごまかし)と言ったことから、見せけだけよくて内容の伴わないもの。
その「胡麻胴乱」は「文化・文政年間に江戸にあった菓子。小麦粉にゴマをまぜて焼きふくらましたもので、中は空であった」との説明しか無い。別に、胡麻を入れたから中が空洞になった訳ではないらしい。中が空洞の焼き菓子に胡麻が入っているだけなのだが、「胡麻菓子」の名前が定着していて、中身の無い事の譬えとして「ごまかし」と言うようになったのか。
「ごまかす」には別の説もある。
盗人を「ごまのはい」と言う。その「ごま」に「紛らかす」などの語尾が付いて「ごまかす」になったのだと言う。食べて旨いだろう「胡麻菓子」よりも、怖い油断のならない「ごまのはい」の方が「ごまかす」の語源としてはずっとふさわしいと私は思う。
盗人を「ごまのはい」と呼ぶのは、弘法大師の「護摩の灰」と偽って、偽物を押し売りした連中になぞらえた事による。
弘法大師の護摩の灰→詐欺→護摩の灰→「護摩+紛らかす」→ごまかす
の変化の方が、
胡麻胴乱→胡麻菓子→ごまかす
よりも少々複雑ではあるが、私は納得がし易い。ただ、「護摩の灰」については、「護摩」が仏前で木などを燃やして仏に祈る儀式である事を理解している必要がある。
先の辞書もこうした話は知っているだろう。でも、決然として「胡麻菓子」からの言い方、と断言しているその自信の根拠を知りたいと思う。
こうした説とは別に、私はもっと単純に、「胡麻で化かす」から「ごまかす」だとばかり思っていた。胡麻は万能の調味料になる。胡麻油にしても、擦り胡麻にしても、調理の最後にほんの少々加えるだけで、風味が一段と増す。
「胡麻風にする=胡麻化す」は成立しないだろうか。