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夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

新聞などの数字表記に疑問がある

2008年03月28日 | Weblog
 つまらない話と思う人が多いだろうが、私の本職は編集及び校正なので、私にとっては重要な事になる。
 最近は新聞の縦組みでも洋数字を使うのが主流のようだが、横組みなら更に自然になる。と言うよりも、横組みに漢数字は似合わない。だから、洋数字を使うのに何も問題はないのだが、そこに和語の絡んだ数に関する言葉が出て来ると、困った事になる。
 特に困るのが、「一人」と「二人」。これは「ひとり」「ふたり」である。横組みで「3人」とか「5人」とかある中で「一人」「二人」はおかしい、と考える人がいる。確かに、表記だけを見ている限りでは、おかしい。
 特に校正者は表記の統一を金科玉条に思い込んでいる人が少なくない。そうした人にとって、「一人」と「3人」の混在は許せないらしい。そこで「ひとり」が「1人」に、「ふたり」が「2人」になる。
 だが、「1人」「2人」を「ひとり」「ふたり」と読む事は出来ないのである。

 「ひとり」を「一人」と書き、「ふたり」を「二人」と書くのは、熟字訓と呼ばれる。漢字のもともとの読みとは違う読み方だが、意味を表すのに適しているとして認められているのが熟字訓。「時計」はその代表的な表記である。
 えっ? 「時計」ってそうだったの? と言う人は少なくないだろう。あまりにも当たり前の表記になって定着している。元は「斗鶏」「土圭」などと書いた。「ゆかた」を「浴衣」と書くなどの熟字訓はそれと意識するが、「時計」はごく自然な表記だと誰もが思う。
 「一人」も「二人」もそれと同じなのである。もちろん「いちにん」「ににん」と読む場合もあるが、それは「1人」「2人」とも書ける。けれども「ひとり」「ふたり」は絶対にそうは出来ない。熟字訓は漢字が対象だからだ。

 もしそれが出来ると言うのなら、「七夕」(たなばた)をは「7夕」と書ける事になる。
 人数を数える時、「ひとり」「ふたり」は和語だが、「さんにん」以上は漢語になる。「よにん」は「しにん」の発音を避けるために和語の「よ=四」を使うが、それは例外だし「にん」は漢語だ。
 これが日本語なのだから、仕方が無い。本当は漢語「五人」を「5人」などと書いたりするのもおかしいのである。洋数字は計算の便宜のために使われ始めたはずだ。筆算をするのに都合が良い。だから数値を表すには洋数字が良いが、普通に何人とか何個などと言う場合には漢数字が望ましいのだと私は考えている。
 しかしこれだけ洋数字が普及しているのだし、漢字の一、二、三などは縦書きでは続くと判別しにくいとの不利な点もあるから、「5人」「1個」などと表記するのは理に適っているとも言える。

 「数十」や「十数」は「数10」「10数」とは書けない。数に関して書いていると、これらの言葉が出て来る場合は少なくない。だから「5人」と「十数人」のように洋数字と漢数字が混在する。つまり「一人」「二人」は何も変でもおかしくもないのである。

 余計な事だが、「てっぺん」の漢字表記は「天辺」、「そっぽ」は「外方」。別に熟字訓にせよ、とは思わないが、意味がとてもよく分かると思いませんか?

 もう一つ。
 「5000円」と「5千円」は同じだが、「人口5000人」と「人口5千人」は違う。「人口5千人」は概数であって、ぴったりと5000人ではない場合の方が絶対に多い。「5千人」は4995人でも、5005人でも通用する。「5千人」はおおらかに使える表記なのだ。もちろん、「5千円」がおおらかだ、とは言い切れない。価格5千円だからと、4995円でも良い、は通用しない。

 この区別をいい加減にする人々がいる。洋数字を使うとなったら、何が何でも洋数字でなければ駄目だと考えてしまう。数字をきちんと考えれば、「5000」は一の位が「0」だとの表明でもある。その事を考えない人は、「1%」と「1.0%」の違いを意に介さない。だから平気で「3000メートル級の山」などと書いてしまう。
 これは縦組みでだが、28日の毎日新聞の「余録」と言うコラムにカエルの話が出て来るが、3億6000年、約6000種の表記がある。3億6000年が3億5999年より1年多く、3億6001年より1年少ない年数だとの事ではない。更には「約6000種」とは何事ぞ。「約」と概数なのに、一の位までぴたりと「0」だと言うのか。そんな概数は無い。3億6千年、約6千種で良いではないか。と言うよりも、そうでないとおかしいのである。電話番号の×××・1000などとは違うのである。

 5000を概数だと考える事は可能だが、そうなると、まさしく5000との識別が付かなくなる。例えば、同紙の世論調査の数字だが、○○が90%、××が10%とある。この調査の回答数は1092人。その90%なら982.8人、10%なら109.2人になる。
 だから前者は983人、後者は109人だろう。前者は90.02%、後者は9.98%(小数点3位以下四捨五入)。つまり、90%、10%は概数になる。それなら小数点以下1位で四捨五入をすれば、90%は90.4%の可能性もある。それは987人だ。89.5%なら977人になる。
 983人が987人を丸めた数字なら4人も少ないし、977人なら6人も多い事になる。10人も幅がある。10人は1092人の0.9%になる。0.9%などと言うと取るに足りない数に思えるが、もしあなたが、その10人の一人だったら、無視されている事にもなる訳で、それでも平気ですか?
 もちろん、二者択一の世論調査でそこまで正確に出せとは言わないし、正確でもないと思っている。だが、3億6000年では1年まできちんと表示しているのに対して、この90%はあまりにもいい加減ではないか、と思う。

 細かい事を言っているが、要するに、どこまで物事をきちんと考えて記事を書いているのかが知りたいのである。

 先に電話番号を例に採ったが、局番の「03」などをどのように読んでいるか。多くの人は「ぜろさん」と読むが、NHKは「れいさん」と読む。「ぜろ」は英語だから「れいさん」が正しいはずだ。「ぜろ」がすっかり日本語になっていると考えるのであれば、話は別だが。
 そのNHKの用字用語辞典では「ひとり」は「一人」でも「1人」でも良いと書かれている。「ひとり=1人」なら「ぜろさん」もNHKは認めなければならなくなる、と私は思う。