夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「ターゲット」と言う言葉が嫌だ

2009年03月24日 | Weblog
 商売で客を「ターゲット」と呼ぶ。ある外食チェーンが160円のハンバーガーを復活販売すると新聞が伝えているが、その中見出しが「中高生らターゲット」である。既存の220円の肉量を約25%減らすのだそうだ。220円の75パーセントは165円。何の事は無い。値下げではなく、単に質を落としただけに過ぎない。全体に小さくすれば貧弱になるから、そうとは見えないように、中身だけ貧弱にする訳だ。もしかしたら、量が少ないようには見えないように、別の材料で水増しでもするのかも知れない。とにかく、記事には肉の量の事しか無いのである。販売は7月初旬からと言う。
 それを東京新聞は3月6日の紙面で、「肉量を抑えた低価格ハンバーガーや、四百円台の高価格ハンバーガーを順次投入すると発表した。メニューや価格の幅を広げ、新たな顧客獲得を目指す狙いだ」と書いている。

 「肉量を抑えた」とはまた巧妙な言い方もあるもんだ。「抑える」には「食い止める」とのニュアンスが強くある。従って、抑えられる側は、増えては困るような、増えるのが望ましくないような物になるのが、普通である。だから、ともすれば肉の多さで勝負しようとするが、それは肥満の原因にもなり、健康面から肉の量を「抑えるのだ」と言ったっておかしくはない。
 もちろん、記事では「肉量を減らし、コストを抑えた」と書いている。つまり、「抑えた」はこのように「コスト」に対して使うべきで、「肉量」に対してではないはずだ。
 つまらない言いがかりだと思うかも知れない。しかし記事を読んで行くと、そうではない事が分かる。

 「肉を二枚使った」ハンバーガーを340―470円で展開する。同社の既存商品は三百円前後が中心で、品質や味を重視する20―30歳代の女性が主要顧客層だった。新たに価格帯を広げることで、中高生から成人男性まで幅広い客層の取り込みを狙う。

 つまり、品質や味を重視する20―30歳代の女性顧客層よりも更に上を狙うのが、四百円台の高価格商品になる。それが成人男性層になる。そうだとすると、中高生らの立場は一体どうなるんだ? 彼等は「品質や味を重視しないので、一段落とした低価格商品」の顧客層だと言っている事にならないか。
 まさに中高生は「ターゲット」なのである。
 「ターゲット」とは、国語辞典は「あらゆるニーズに対応し、商品の販売活動で主たる購入層と考えられるもの」と説明する。だが、それは派生した意味である。元々は「目標・まと・標的」である。「目標」は別として、「まと・標的」には明確に武器による狙いの対象との意味がある。だから、「取材などのターゲットになる」などの用例が挙げられているのである。この場合の「取材のターゲット」は取材される側が喜んで、それこそ揉み手をして、と言うような情況ではない。嫌々ながらである。だからこそ、取材側は「突撃」し、それが「取材のターゲット」の表現になるのである。

 英和辞典では、
1 銃、弓などの的、標的
2 非難、嘲笑などの的
3 努力の目標、目的物
とあって、「目標」は意味の最後に出て来る。辞書が言葉の意味を重要な物から挙げている事は誰もが知っている。「ターゲット」と聞いて、的や標的の意味が思い浮かばない人は、言葉にひどく鈍感な人間である。ある種の商売人がそう知っていて使うには何も文句は言えない。どうせ彼等は人を人とは思っていないのだろうから。彼等には人は見えず、その持っている金だけしか見えないのである。
 だから、新聞やテレビがこぞって「ターゲット」などと我々を指して言う事が私はひどく嫌なのである。大体、簡単な言葉をカタカナ語にして使う人を私は信用していない。カタカナ語にして、日本語の持っているニュアンスをごまかすのに使われているからだ。
 この記事の最後、「○○社長は、あらゆるニーズに対応し、来客数を増やしたい、とした」
 辞書も同じだが,何で「ニーズ」などと言わなきゃならないんだ? 「要望」とか「要求」で十分に事足りるではないか。思うに、「ニーズ」には「必要」の意味が強い。それは「要望」や「要求」とは明らかに違う。不要でも、要望や要求は出来る。
 お分かりですね。「ニーズに応える」などと言うと、「必要な要望に応える」のニュアンスが生まれる。だから「必要なんですよ」と言いたい時にはマスコミも商売人もこぞって「ニーズ」などと言うのである。
 ついでですが、この「とした」も嫌ですねえ。何を「した」んだ? 「話をした」んですよね。あるいは「結論にした」んですよね。もちろん、「説明した」でもいい。小さな囲み記事だが、嫌な事が一杯詰まっている。