夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

寝台列車「創生計画」、出発進行?

2009年03月25日 | Weblog
 次々に姿を消して行く寝台列車を、自分達の手で新しく作り出そうと言う計画がある。とは言っても、現実にそれがJRの線路の上を走る、と言うのではない。走るか走らないかはJRの考え一つ。それは承知の上で、楽しい夢を乗せたブルートレインの具体的な姿を描こうと言うのである。
 「1年後には列車のコンセプト、運用計画も完成。あと存在しないのは、現実の寝台列車だけ―。こんな状況になっているはず。多くの人が夢を共有できれば、きっと夢は実現するはず。どしどし参加してほしい」と言う。
 「コンセプト」などとカタカナ語を使って分かりにくいのは嫌だが、こうした考え方は大いに歓迎したい。ただ、「きっと夢は実現するはず」と言っているその「夢」が「具体的な姿を描く」事なのか、一歩進んで、「どこかの路線を走る」事なのか、が上記の言い方でははっきりとは分からない。もちろん、私は後者だと思いたい。
 
 考えてもみよう。JRは今でこそJR東日本だとか西日本だとか、東海だとか言っているが、元は我々国民の財産だった。我々の税金で造った線路は今もなお健在である。JR側が勝手に取り外してしまった路線はあるが、本来は我々の物である。我々国民は怠惰な国鉄職員の働きぶりを改善して欲しい、無愛想でお役所的な対応を改めて欲しい、とは願ったが、我々の手から取り上げて欲しいなどと、これっぽっちも考えた事は無かった。
 だから、我々が新しい寝台列車の姿を描き、是非ともどこどこの線路を走らせて欲しいとお願いするのは決しておかしい事ではない。むしろ、「お願いする」のではなく、「要求する」のが正しいと私は思う。
 この記事で、提唱者の川井聡さんは次のように言っている。
 「改装しない、食堂車もない、そんな夢を売ろうとしない中で、よくぞ四割もの乗車率を維持してきたもの。そっちの方が驚きだよね」
 そう、四割もの乗車率があったからこそ、改装しない、食堂車もない、夢を売ろうとしない、商法が成り立って来たのである。そしてJRになって、所詮は、速さでは飛行機や新幹線に、安さなら夜行バスに太刀打ち出来ない以上、お荷物になるしか無い。何しろ、各社は儲けを得る事だけを第一に考えているのである。

 川井さんが寝台列車の創生計画を考え始めたのは四、五年前だと言う。海外の長距離列車のように、普通の人達が列車の旅を楽しめるような列車を実現させたい。確かにテレビで見る海外の列車は本当に楽しそうだ。日本では各会社で路線を分断し、鈍行の長距離列車はもとより、特急などもどんどん廃止して行った。残るのはブルートレインのみだった。
 そうして出した結論が実に素晴らしい。現実的であり、しかも夢がある。それは次のような物だ。
 「ごくシンプルに、寝台列車が好きだから、こんなのに乗ってみたい、こんな設備があればもっと楽しい、こんな風に使って旅をしたい、といった事から自由に発想すればいい。新しい具体像を示し、どうすれば実現出来るかを考えて行けばいい」
 こうしたアイデアを動かす原動力になるのが、次のような考え方なのだ。
 「車体の安全基準がどう、鉄道会社のやる気がどう、資金がどう。そんな現実の制約だらけの中で考えていたって、楽しいものなんて出来ない」

 現実にはJR各社はこうした制約を自らに課している。もちろん安全基準は大事だが、それが先行するのではなく、夢を描く事が先決なのだ。その夢をどうしたら安全基準に合わせられるか。資金なんて幾らでもある。毎日のように莫大な利益を挙げているのである。記事はこうした事を「まさに逆転の発想」と言うが、本当は、逆転の発想が必要なのは我々ではなく、JRなのである。「利益優先から利用者優先へ」の逆転の発想が必要なのだ。もちろん、損してまでやれ、とは言わない。そこそこに、鉄道を発展させる余力があるくらいの儲けで抑えておくべきなのである。公共の施設とはそうした物である。
 川井さんのホームベージは次の通り。
 www.shindaisha.com