夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

秋葉無差別殺人で識者はどうあるべきか

2008年06月16日 | Weblog
 秋葉原の無差別殺人事件で、東京新聞の二つの記事を御紹介する。
 一つは「本音のコラム」(執筆者は山口二郎氏)は、事件の原因を人間を物扱いして尊厳を無視している事に求めている。そして、「人間の尊厳が守られる社会を回復するために、それぞれコストを払わなければならない」と締め括っている。
 でも、そこまでは誰でも容易にたどり着けるのですよ。誰だって、労働の価値がぐんと下がってしまっている事を知っている。でも、どうすれば人間の尊厳が回復出来るのかの答が簡単には出ないのである。それを示すのが、こうしたコラムを書く人々の仕事ではないのか。
 我々の答はおぼろげながらではあるが、出掛かっている。
 まずは政治が悪い。規制緩和とか何とか言って、アメリカの要求を簡単に受け入れたあの小泉の悪政から様々な事が始まっている。彼は自分の政治生命の延命を北朝鮮に拉致された人々の運命を犠牲にして図った。わずかな人々の解放で手を打ってしまった。それは誰もが非難している事実である。
 第二には飽くなき金儲けを企んでいる巨大企業が悪い。銀行は寡占化が進み、デパートを始め、どこもかしこも合併合併の大合唱。すべて金儲けのためである。彼等は原材料が高騰すれば、簡単に末端価格を値上げして処理出来る。
 第三には金儲けの手段と癒着している政治家が悪い。議員を国民のためではなく、自分自身の立身出世のためと心得ている議員諸氏が悪い。一体、国民のための議員なんて居るのだろうか。
 第四には自分の地位と収入の事しか頭に無い官僚が悪い。
 世の中の仕組みがすべてと言えるほど「悪」ばかりでは、どうにもならない。

 そして、重要な事は、これらの悪を撲滅し正義を取り戻すために、コストは払う必要は無い。正しい道を取り戻すのに何でコストが掛かるのか。同氏の言う「コスト」とは、それぞれが損をする事を指しているのではないのか。
 正しい道に戻るには、多分、今の政治家は全員退任すべきだろうし、企業は損失を覚悟する必要がある。議員も旨い汁は吸えなくなる。官僚も相応の身分に収まるしか無い。
 そうなのですよ。今まであぶく銭を手に入れていた連中がコストを負担すれば良いだけの話なのですね。だから話はとても簡単である。

 このコラムのすぐ下にあるのが、「週刊誌を読む」と言う連載(執筆者は月刊「創」編集長・篠田博之氏)。
 事件現場で、野次馬が一斉に撮影をしている姿を週刊誌の記事で紹介し、次のように締め括っている。

 被害者の友人が「たまらなく嫌な気分になりました」という携帯のカメラの放列という光景を、どう考えたらよいのだろうか。

 ねえ、いやしくも月刊誌の編集長であり、新聞の連載コラムの執筆者ともあろうお人が、「どう考えたらよいのだろうか」は無いでしょうよ。
 ここには様々な嫌らしい人間像が手に取るように見えているではありませんか。
 通行人がやたらと手を出せないのは分かる。しかし心肺停止の人もいたり、うめいている人だっている現場を遠巻きにしているだけならまだしも、カメラのシャッターを押していると言うその心底が不気味である。それこそ、他人の不幸は蜜の味、を地で行くような光景である。
 どう考えたらよいのだろうか、ではなく、そうした人々をまずは指弾すべきである。人間の心を持たない獣だと。現場に居合わせた人でなければ撮れない貴重な映像もあるだろう、と言うが、私には貴重な映像があるとはとても思えない。ねえ、教えてくれませんか? どのような写真が貴重な映像なのですか。その映像はどのような役に立つのですか。
 死者が生き返るはずも無いし、重傷の程度が軽くなる訳でも無い。救助の仕方の反省が出来る訳でも無い。役立つと言えば、殺人鬼の罪状を確定する事だけしか私には思い至らない。だから、教えて下さいと言うのである。
 殺人鬼の罪状は明々白々である。証拠写真も何も要らない。写真や目撃者の証言が無いと罪状が明確にならない、とでも言うなら、写真も無く、目撃者の証言も食い違っていたりしたら、この殺人鬼の罪状が確定出来ないとでも言うのだろうか。

 なにか、根本的な事がずれているような気がしてならない。