夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

無差別殺人事件と我々の責任

2008年06月15日 | Weblog
 秋葉原の無差別殺人事件で、殺人鬼の生い立ちや心理情況をテレビなどで克明に追究している。そしてこんな事が分かったと得意そうに発表している事は、多くの人々が既に感じている事ばかりである。同年代の青年達からのアンケートを発表し、彼等でさえこの殺人鬼に何の同情もしていない、との報告もしているが、それだって、どこまで真実か分からない。
 父親を取材してお詫びの言葉を流していたが、この父親はまるで、息子が盗みでもしたかのような態度で、言葉だけの謝罪を述べた。全くの他人事みたいな態度である。かたわらの母親はへたりこんで、立ち上がれない。その母親にこの息子は暴力をふるっていたと言う。そうした事から、母親は息子に口うるさく注意をして、その度に殴られていたのだろうと、私は想像した。母親は愛情から注意をした。それに引き替え、父親は多分、何も言わなかったのではないか。父親には息子に対する愛情が微塵も無かった。だから、事件を知っても、この父親は淡々と、他人の出来事を語るような口調で話す事が出来るのだ。

 携帯での異常とも言える克明な書き込み。それがこの殺人鬼にはごく自然に出来、しかもそれしか手段が無かった。何でもメールで済ませてしまう。そこには肉声でのやりとりがまるで無い。だから感情も伝わらない。絵文字で笑ったり、泣いたり、怒ったりしたって、気持など伝わらない事を彼等は知らない。
 こうした世の中を作ったのは我々大人である。パソコンもインターネットも非常に有用な物だ。だが、手段を目的と間違えてしまった馬鹿な大人が大勢いる。パソコンもインターネットも単なる通信手段にしか過ぎないのに、それが最終目的になってしまっている。パソコンなんて、原理的にもそうだが、0と1しか無い。イエスかノーの世界なのである。言い替えれば黒か白。途中にある無限とも言える灰色の色調はパソコンの世界には無いのである。だからどうしたって、短絡的な考え方しか出来ない。

 短絡的な考え方の代表を、私流の理解の仕方で御紹介する。
 「……ということがある」などの言い方で、「と言う事がある」などと書く事は絶対と言えるほどに無い。「いう」「こと」は仮名書きだと多くの人々が信じているからである。では、その理由は。
 ほとんどの辞書が「いう」や「こと」に実質的な意味が無いか薄いから、と考えている。ここで注意したいのは、「意味が無いか薄い」である。「無い」と「薄い」は全く違う。「無い」は「有るか無いか」で0か1である。しかし「薄い」は「薄いか濃いか」で、薄さの程度が強くなれば限りなく「無い」に近づき、程度が弱くなれば限りなく「有る」に近づく。しかしここで大事なのは、「薄い」には無限の段階が存在すると言う事実である。「薄い」と「濃い」の中間なら一体、「有る」のか「無い」のか。
 辞書が、つまりは国語学者が「無いか薄い」などと人を馬鹿にした事を言うのは、これらの「言う」「事」に意味があるとすると、とても複雑で難しい事になるからなのだ。「言う」も「事」も使われている情況に応じて様々な意味を持っている。それは決して「無いか薄い」などと言って片付けられるような曖昧で、いい加減な事ではないのである。けれども、我々は、そうした複雑な事、曖昧な事に首を突っ込みたくないから、考えないように、まるで意味がほとんど無いかのような振りをしているに過ぎないのだ。

 日本の超一流とも言える国語学者が揃いも揃って、こんないい加減な考え方しかしていない。お疑いなら、様々な国語辞典をとっくりとお調べ下さい。多くの出版物はマスコミも含めて、すべてこうした意見に従って、何の考えもなく、唯々諾々と言うままになっている。そんな人々が今の世の中を冷静に見詰める事が出来るだろうか。批判をする事が出来るだろうか。
 テレビは相変わらず一日中素っ頓狂な番組を放送している。それで十分に金儲けが出来ている。新聞だって、分からないようないい加減な記事を平気で書いている。誰も彼もきちんと自分の頭で、心で考える事をしていない。
 その上、対話がどんどん減っている。買い物は店の人と全く話をしなくても出来る。大手スーパーでは、客が自分で精算出来るレジさえある。銀行は窓口での対応ではなく、ATM利用を勧める。手数料がその方が安いって? 何をふざけた事を。そのように自分でしておいて、何でも機械任せにしようとしているのではないか。
 そして残された人間は、機械の代用のような役割しか持っていない。これでは対話なんてしようと思う人はいなくなる。周囲に熱い血を持った人間が居ないのである。

 この話は言い足りないので、また続きを書きます。

1 コメント

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犯人の父親を追求せよ (凡打)
2008-06-16 04:49:45
あの父親にはまったくムカつく。エリートらしいから、どのような姿を見せればいいかも知っているはずだ。なのに、あんな態度しかとれない。つまり、あれはあいつの本当の姿なのだ。犯人の心理とか生い立ちの追求などよりも、あいつの心の追求のほうが急務だろう。あんなのがほかにもたくさんいて、それぞれに何人もの子供をもっているなら、おかしな子供が育ってしまう危険性は高いのだから。
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