夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

コカコーラの「可口可楽」は中国語で何と読む?

2008年09月10日 | Weblog
 東京新聞で「現代社会と外来語」の連載が始まった。 
 今はすべてカタカナ語だが、先人達は頭が良かった。「型録」(カタログ)など、とても元が英語だったとは思えない。新聞のカタログの英語はcatalogueだが、これは米語のcatalogではなく英語だ。なぜ英語なのか、と不審に思った。それにこの英語の綴りもちょっと臭い。そこでフランス語の辞書を見た。
 catalogueである。そしてその動詞はcataloguerだ。これはカタロゲと発音する。「…の目録を作成する」「…を目録に記載する」の意味である。
 多分、フランス語から英語に入ったのだろうと思う。執筆者が米語ではなく英語で示してくれたから調べる事が出来た。でも出来れば、英語及びフランス語と書いておいて欲しかった。
 カンは「缶」だが、この漢字は俗字だと読んだ記憶がある。漢和辞典の『角川新字源』では「蓋が付いて腹部がふくらんだ土器の形にかたどり、これを部首にして、腹部のふくらんだ土器の種類・状態などを示す字が出来ている。常用漢字では罐の音・意味に用いる」と説明している。
 部首は多くの場合、意味を表し、つくりが音を表す。「缶」の正字は「罐」である。この字のつくりの部分の発音は「カン」である。そして肝心の「缶」の音は「フ」である。
 従って「罐」は元々は土器であり、『常用字解』には「土器の瓶(かめ)などをいう字であった」とある。それを英語の「カン」に当てたのは果たして正しかったのだろうか。更には、「缶」は本来の発音は「フ」なのである。まあ、日本語として日本の漢字として「缶=かん」が成立しているなら致し方が無いが。
 だが、『新字源』では、国字、つまり日本独自の使い方の漢字として、次のように説明している。
 1 金属、特にブリキ製の入れ物。英語canの音訳。「缶詰」
 2 かま。「汽缶」
 3 金属製の湯わかし。「薬缶」(やかん)

 辞書の1、2、3などの順は、原義→派生語を表している。つまり英語canの音訳に「缶」を使った事から「汽缶」「薬缶」の使い方が出来たと考えられる。
 こうした事を考えるのには、実は『新字源』よりも『新釈漢和』(明治書院)の方がずっと分かり易く、親切で正確である。
 きちんと「缶=ふ」であると示し、もとは「罐」と「缶」とは別字であるが、常用漢字では「缶」を「罐」の新字体として用いる、と説明している。
 常用漢字は、漢字を正しく使いたいと思う場合に足をすくわれる事がある。きちんと考えられない人をその制定者に指名してしまうからで、使命(指名)の意図を完全に踏みにじっている。

 さて、執筆者は中国ではカタカナが無いが、絶妙な訳語があると、次の例を出している。
 可口可楽=クコクラ
 百事可楽=パイシクラ
 博客=ボグ
 保齢=パオリン
 それぞれ、コカコーラ、ペプシコーラ、ブログ、ボウリングである。「可口可楽」はよく知られているが、改めてこれらを見て、「可口可楽=コカコーラ」なら素晴らしいが、「クコクラ」では、なんじゃこれ、である。中国語では絶対に「コカコーラ」とは読めないが、日本人ならカタカナの「コカコーラ」を通して、「可口可楽=コカコーラ」が可能になる。だから、絶妙とは言えないと思うのだが。本当に中国では「「可口可楽」を何と読んでいるのだろうか。
 執筆者(関西学院大学教授)は「このような工夫は日本語においても漢字力の維持のために忘れたくない」と言う。正論である。ただ、「このような工夫」が前述のように「工夫」と言えるのか、との疑問が私にはある。それはそうと、執筆者が提案している「ブログ=文録・部録」などはいいヒントだと思う。
 定着している「金平糖」は記事の通り「コンフェイト」だが、この菓子はあの「つの」が特色で、それは何度も何度も砂糖液を掛けて自然に成長させて作る。それは「平」の文字ではまるで感じが出ない。三冊の小型辞書は「金米糖」も挙げており、『新明解国語辞典』は「金米糖」だけである。私は「平」よりは「米」の方がまだ良いと思う。執筆者はなぜ「金平糖」しか挙げていないのだろう。「きんぴらごぼう」とも関係無さそうだし。
 全体に、ちょっとばかり考えが不足しているような気もするが、杞憂である事を祈ります。