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夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

明確な表現は表記ではなく、文章ですべきである

2009年02月06日 | Weblog
 メールマガジンの質問に「中黒と点の使い方」に対する疑問があった。使い分けが明確とは言えない。その一つとして、中黒には同格を表す使い方もある。「東京都知事・石原慎太郎氏」のような使い方である。これを「東京都知事、石原慎太郎氏」とは出来ない。二者の並記と勘違いをする。
 だが、並記する場合には中黒でも点でも同じに使える。そして、漢数字での表記には中黒は使えない。「三十か四十」と表記する場合、以前は「三四十」だった。しかし「十」を使わない表記では「三四〇」となり、それは「三百四十」になる。そこで「三、四〇」となり、そこから「三、四十」の表記が生まれている。そうは言っても「三、四〇」は認められてはいない。
 もちろん、「三・四十」にも「三・四〇」にも出来ない。特に「三・四〇」では小数点と間違える。
 多くの人は使い分けられると考えているようだが、私はそうは思わない。単なる記号でしかも似たような記号で明確な意味分けをするのは難しいし、危険である。
 「小・中学校」と「小、中学校」で、どちらが正しいかなどと言う議論をしているが、どちらでも正しく意味が伝わらなければおかしい。中黒と点で意味が違うのなら、それは文章自体で分かる必要がある。中黒や点で明確に、などと言うのはとんでもないと思う。

 似たような事で、どの表記が一番スマートなのか、との質問もあった。
1 私は、りんごやみかん、スイカ、いちごが好きだ。
2 私は、りんご、みかん、スイカやいちごが好きだ。
3 私は、りんご、みかん、スイカ、いちごが好きだ。

 日本語としては普通は1である。しかし3も通用する。ただ、2は駄目だ。これは英語などの言い方で、andが一番最後に来る。その影響でか、「と」を最後にする人がいるが、間違いだ。それにこの言い方なら「りんご、みかん、スイカ」と「いちご」を対比している事にもなる。
 そしてここでは「や」である事が重要な鍵を握っている。「や」であって、「と」ではない。「や」は「及び」の意味と「または」の意味がある。しかし私はどちらかと言えば、「及び」よりは「または」の意味が強いと感じている。「及び」なら明確に「と」と言うべきだと思っている。
 そうした感覚で上記の例文を見る。
 1は「または」だから、挙がっている果物は好きな物の一例とも考えられる。
 2が駄目なのは先述した。
 3は明確に「または」ではなく、「及び」である。そしてこの場合に、「や」と比較して考える必要がある。質問は「どれが一番スマートか」なのだから。「及び」だから、好きなのは「りんご、みかん、スイカ、いちご」であって、それだけが好きだ、と言っている事にもなる。

 私の答は以上のようになるが、ただ、一つ問題がある。「一番スマートか」との疑問だが、これらはすべてスマートな表記とは言えない。なぜなら、「スイカ」の表記がスマートとは言えないからだ。何故にこれのみ片仮名書きにしているのか。片仮名書きはまるで意味が無い。果物名などを片仮名書きにする傾向があるが、漢字が使えず、文章の中に埋没してしまう事を恐れる処置に過ぎない。漢字なら、林檎、蜜柑、西瓜、苺になり、特に林檎は難しい。
 しかしながら、そうは言っても平仮名ではまさに、文章中に埋没してしまう。で、安易に片仮名書きとなるのだが、こうした事を含めて、もっと根本的に考える必要がある。そうしないと、日本語は表記も含めて、どんどん貧しくなってしまう。

 「や」を使っている事で、上記の文章は曖昧になってしまった。だから「スマート」では判定が付かない結果となる。質問者の意図が分かりにくいのだが、もしかしたら、「と」を使って文章を作るべきだったのではないか、と私は考えている。意図が分からず言うのは無礼になるが、案外と、質問者はそこまできちんと考えずに質問をしているのではないかと思われる。
 中黒と点の使い分けと同様、文章全体で意味を明確にしようと言う気持が欠けている。この二つの質問で共通しているのは、質問者が本当にどのような意味で捉えているのかが曖昧である事だ。それに「一番スマートな表記」などがあるはずが無い。もちろん「一番カッコ良い表記」なども無い。あるのは「一番明確な表記」だけである。
 そして繰り返しになるが、表記で明確さを求めるのではなく、文章全体で明確さを求めるべきなのである。そうした事が徹底されていないから、新聞記事などにも、とかく分かりにくい文章が登場するのである。