夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

箸墓古墳は卑弥呼の墓。学者は正しいか

2009年06月07日 | 文化
 箸墓古墳は卑弥呼の墓である事が濃厚になった。
 これは国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究グルーブの発表。放射性炭素年代測定法で、両者が同一の時期だった事が判明した。卑弥呼の死亡と古墳の築造の時期が一致したのだと言う。
 でも、ずいぶんと乱暴な結論だと思いませんか?
 だって、年代が一致した、だけが理由なんですよ。
 確かに箸墓古墳は全長280メートルの前方後円墳で、大きい。卑弥呼の墓も大きいと史料にはある。だが、同じ時期に死んだ有力者はほかに何人もいるだろう。何でこれが卑弥呼の墓と言えるのか。
 邪馬台国は大和説と九州説とがある。結論はまだ出ていない。頼りにするのが「魏志倭人伝」の簡単な記事しか無いのだから、そこからどうやれば邪馬台国の場所が分かると言うのか。解釈次第で北九州にも大和にも該当してしまうような曖昧な記録に頼る事自体が無理なのではないか。
 宮内庁が陵墓に指定しているために古墳内の発掘は出来ない。宮内庁も馬鹿だが、今はそんな事を言っている時じゃない。もしも発掘が出来たとして、それで卑弥呼の墓だと決定付ける物が発見される可能性はどれほどあるのだろうか。「卑弥呼」と書いた墓碑銘とかそれに類した物があれば別だが。もちろん、「卑弥呼」は中国側の史料による表記だから、別の表記の可能性はあるが、それでも関連性は考えられる。

 今回の研究の成果は「箸墓」の築造年代が判明した、だけで良いのではないのか。何も邪馬台国が大和だったと決まった訳でもない段階で、「卑弥呼の墓、濃厚」は言い過ぎだろう。
 記事は、この研究成果から、邪馬台国の所在地論争に大きな影響を与えそうだ、と書いているが、順序が逆だろう。それに材料が徹底的に不足している。
 卑弥呼の死亡と箸墓の築造年代が一致した。
 卑弥呼は大きな墓を作った。箸墓も大きい。
 たったこれだけで、何が分かると言うのか。
 これだけで、「箸墓=卑弥呼の墓」だと結論付けるためには、
 卑弥呼と同じ頃に死んだ有力者は一人も居ない。
 その頃、箸墓のような墓を作れる有力者は一人も居ない。
 と言う事が絶対的な真実だと証明される必要がある、と私は思う。
 
 でも、いつだって、学者はこうしたいい加減な根拠を積み重ねて勝手な結論をひねりだして来た。「倭の五王=雄略天皇から遡って5人の天皇」「多利思比孤=聖徳太子」もそのいい加減な論理を積み重ねの結果、今では教科書にも載っている史実となってしまっている。
 これって、犯罪捜査で犯人をでっち上げる手法とよく似ていると思いませんか?
 なんだなんだ、法曹界も歴史学会も、みんなおんなじ体質じゃないか。