夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

保育園の環境整備が少子化対策だと勝間和代氏は言うのだが

2009年01月28日 | Weblog
 久しぶりにテレビ朝日の「TVタックル」を見た。森永卓郎氏と勝間和代氏の激論との触れ込みだったからだ。そのごく一部だが、勝間氏は保育園の環境整備をすれば、女性が子供をもっと産んで、もっと働けると言う。女性の能力は非常に高いのだと言うのが根拠になっている。
 でもそうだろうか。少子化対策は必要だ。しかしそれは保育園を整備すれば済むと言う問題ではないだろう。母親が安心して子育てが出来る事が重要なのだ。子供を産まないのは、将来が案じられると言う事もあるだろう。だが、それにも増して、母親が働かなければならない、と言う事情が大きな足枷になっているのではないか。
 家計が苦しいのは様々な理由があるが、大きな理由の一つが、今までよりも家計にカネが掛かる事だ。子供を塾に通わせる費用はもちろんの事、親自身もカネが掛かる。贅沢はしたいし、携帯電話など、あれば便利だが、絶対に必要とは思えない物が無くてはならない物に仕立て上げられていたりする事にもカネが掛かる。夫の給料が上がらない事もある。
 それやこれやで家計が苦しいのは分かる。しかし家庭はカネだけで動くのではない。家族が健康でにこやかに暮らせる事が一番大事なのではないのか。父親が外で働き、母親が家庭を守る。そうした仕組みの中で、子供達は安心して育つ事が出来る。
 夕方、それもかなり暗くなって、買い物から帰る途中、私は数多くの学童保育から帰って行く子供達を見ている。えっ? こんな遅くまで、何で子供は家に帰らないのか。帰らないのではない。帰れないのだ。なぜなら、家に帰っても母親が居ない。

 前に私は自分の愛犬の事を書いた。生まれて一カ月も経たない内にペットショップに売られ、母親から満足に育てられる事の無かった子犬が完全な育ち方をしていない、と書いた。動物でさえそうなのだ。人間ならもっと悲惨な事になるはずだ。
 小学校のテストでは、家庭内での会話が多い家庭ほど、子供の学力が高いとの結果が出ている。子供を育てるのは学校でも塾でもない。ましてや学童保育などではない。家庭なのだ。その家庭を見放して、何が女性の社会進出か。何が保育園の環境整備か。
 私は途中でがっかりして、「TVタックル」を消してしまった。大体、がやがやと騒ぎ過ぎる。司会者達がせっかく良い事を言って方向転換を図っているのに、出演者達がぶちこわす。様々な考えの、色々な性格の人達を出演者にしているから面白いのだろうが、激論をすれば良いと言うものではない。実の無い激論なら何の意味も無い。

 株主への配当を一時的にも無くせ、と言う森永氏の意見に対して、何を馬鹿な、それじゃあ株を買ってくれる人間がいなくなる、と言って怒っていた評論家が居た。前にも書いたが、株主が大企業が飽くなき利益追求をする事を要求している。現在の雇われ経営者は株主の顔色を窺うしか無い。株主に拒否されれば職を失う。
 大体、他人様からの借金で金儲けをしようとの仕組みがおかしい。きれい事だと言われるかも知れないが、企業は世のため人のために立ち上げたのではないのか。松下幸之助氏の伝記では、昔、電灯のソケットからアイロンの電気を取るために、アイロンをかけている間は本が読めないと文句を言っている男の子の声を聞いて、彼は二股ソケットを発明したと言う。それが松下電器のそもそもである。まさに世のため人のためだ。
 それがだんだんと大きくなるにつれ、世のため人のためもあるが、もっと大切なのは自社の利益のため、株主の利益のため、と変わって来た。どの企業も多かれ少なかれ、同じような情況だろう。だから、不況のこの今、一時的にも本来の「世のため人のため」を取り戻し、株主にも同じ気持になってもらおう、と言うのは私は正論だと思う。

 経済評論家にはカネの事だけに目が行って、人間の事を忘れている人が居る。誰とは言わないが、26日の「TVタックル」を見て、つくづくとそう思った。そして私は途中で消してしまったが、こうした番組は出演者の思わぬ本音が見えるから面白く、ためになる。一見もっともらしい、カッコいい論理に騙されてはいけない。何がそうであるかは、見る人の心や学んで来た事、育って来た環境などによって違うから、何とも言えないが、まあ、私はこの頃、少しはそれが分かって来たと思っている。