夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「口紅つけても豚は豚」とテレビの見方を考える

2008年09月21日 | Weblog
 テレビはとても分かりにくいと言う事をこれほどはっきと自覚した事は無かった。と言うか、自分のテレビへの取り組み方に対する反省である。
 二三日前、アメリカの新聞に「口紅つけても豚は豚」との記事があった、と朝のニュースショーでやっていた。同時に日本の総裁候補についての話があった。流し見をしていた私は、五人の総裁候補について、アメリカがそう評価したのだと思った。悪いけれど私は手を打って喜んでしまった。テレビのコメンテーターの一人は「五人囃子」だと言っている。雛飾りで主役はもちろん、内裏様。親王飾りだけで済ませている家庭は多い。そして次に三人官女。これは色気があってよろしい。だが五人囃子となると、非常に影が薄い。
 男のくせに私は桃の節句の頃になると、お雛様が欲しくなる。子供は男の子一人だからお雛様には縁が無い。妻は欲しいとは思わないらしい。私が欲しいと言うと、馬鹿にしたように笑うだけだ。そんな私でも五人囃子は要らない。欲しいのは内裏様だけである。

 日本には今、元首として内裏様はいらっしゃるが、政治を司る内裏様が居ない。居ると思えば、衣冠束帯だけ立派で中身はまるで空っぽ。五人囃子が内裏様になりたいと躍起になっているが、そりゃあ無理だ。誰もがそう思っている。でもほかに候補が居ない。悲しいねえ。悲しいなんて言ってられない。日本の将来が危うい。
 マスコミは誰が本命だとか、裏取引がどうのこうの、と書き立てているが、アメリカのようなズバリとした事は言わない。結局五人の中の一人が総理になるしか無いから、豚と言っても詮無き事。
 ただ、日本では絶対にそんな事言えないだろう。豚とはなんだ、と一斉にブーイングの嵐が巻き起こるだろう。でもブーイングのブーも豚だね。
 でも五人の中で口紅をつけるのは一人しかいない。おかしい。アメリカには男性に対しても、こうした言い方がされているんだろうか、とさんざん悩んでしまった。アメリカ俗語辞典にも載っていない。

 それが私のとんでもない誤解だと分かった。「豚に口紅」はオバマ氏がペイリン氏を中傷したのでは、との記事が東京新聞に載っていた。そしてそれは米国の慣用句だ、とある。でも小型の英和辞典にはlipstickにそのような説明は二冊見たが、無い。
 それはそうと、どんどん消えてしまうテレビの映像はしっかりと見ていないと訳が分からなくなる。考えてみると、今までにもこうして誤解した事が何度もあるに違いない。そして誤解と気付かずに今日まで来ているのだろう。怖い事だ。
 だがそれを防ぐ手立てが無い。テレビはみそもくそも一緒にして、細切れで「ごった煮」のような番組にしている。そこにCMがのべつ幕無しに入るから、見ている方はどうしたって集中力を殺がれる。

 五人の候補が豚ではない事は分かった。では五人囃子を何に例えたらいいのだろうか。全く能なしの総理の後継者だ。果たして彼を乗り越えられる総理が出現するのか。大臣に全くふさわしくない太田農水相しか任命出来なかった福田総理と、この五人がどのように違うのか。
 でも私は総理候補として名乗り出る人の勇気に本当に感心してしまう。こんなに滅茶苦茶になってしまっている日本を、建て直す事が出来ると思っているのか。多分、そんな事は毛頭考えていないだろう。単に後継として、少なくとも福田さんよりはましな事をやろう、と言うだけに過ぎないのではないか。
 うーん、やっぱり私は「口紅つけても豚は豚」は五人の総裁候補に対してのアメリカの評価だと誤解したままでいたい。

 話は全く違うが、冒頭の「二三日前」をきちんと読めたでしょうか。これは「23日前」ではない。それなら「二、三日前」と書くのではないか、と思う人もいるはずだ。なぜなら、20を「二〇」と書くからだ。本来は「二十」である。だから「23日前」なら「二十三日前」となり、「二三日前」とは明確に区別が出来る。それが滅茶苦茶になっているから、正しい表記では誤解を生んでしまう。きちんとした政策が無いからこうなる。
 日本は何事においても無為無策なのだ。