夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

「○○が発売」はやっぱりおかしい

2010年06月14日 | 言葉
 テレビのCMでも印刷物の広告でも同じだが、「○○が本日発売」などと言っている。本来なら「○○が本日発売される」とか「○○を本日発売」と言うのが正しいはずだ。こうした漢語は名詞でもあり動詞でもあるが、動詞の場合、これは他動詞だろう。自動詞にはならない。だから単に「発売」とあれば、「誰が何を発売する」と言う意味になる。従って「○○」が商品名のはずがない。商品なら、その「○○」が何かを発売するのだ、と言っている事になり、その肝心の発売する物が全く影も形も無いのだからおかしいのである。
 理由は分からなくはない。「○○本日発売」の表現がある。「○○」と「本日」の間にわずかな切れ目があって、「○○」が発売する対象物である事が分かる表現である。「誰が」を明確に言わないのは、言う必要が無いからである。
 そうした微妙な表現を乱暴にも「が」と言う明確に主語を表す場合の多い助詞を使ってしてしまうから、話がおかしくなるのである。
 でもCMはたいていがそのおかしい表現を平気でしている。多分、コピーライターに日本語のきちんとした知識が無いからだろう、と私は思っていた。しかし、そうではない現実を見付けて、まさに驚天動地の心境になった。
 6月11日の読売新聞の夕刊の「語源ハンター」と言うコラムに「感謝感激雨霰」の語源が書かれている。軍用船が敵艦の集中砲火を「雨霰」と浴びて沈没した事件を題材にした琵琶歌の歌詞に「乱射乱撃雨霰」とあるのが有名になり、その語呂合わせで「感謝感激雨霰」になったと言う。大変役に立つ知識である。
 ただ、私はその説明の文章に引っ掛かった。

 軍に輸送船として徴用されていた日本初の近代的大型客船、常陸丸が、沖ノ島付近を航行中にロシア艦隊の集中砲火をまさに雨霰と浴びて撃沈、千人余りの犠牲者を出したのだ。

 これがその文章。「常陸丸が撃沈」とある。「○○が発売」と全く同じである。私は「撃沈された」と続くと思って読んでいたから、「撃沈」で終わっているのを見て、頬杖を突いていた腕を払われたように愕然とした。私は「敵艦を攻撃して撃沈する」の言い方は知っているが、「攻撃された船が撃沈する」と言う言い方を全く知らないのである。あわてて国語辞典を引いた。

・撃沈=名詞・ス他動詞。艦船を砲撃・爆撃・雷撃によって沈めること。
・撃沈=―する。爆撃・砲撃・魚雷などで敵の船をうち沈めること。

 別の二冊の辞書も全く同じ。「撃沈」に「撃沈される」などの意味は無い。上の文章は単なるミスなどではない。普段からそうした言い方をしているから、ごく自然に出て来たのだと思う。執筆者は放送作家、とある。当然にこの原稿も読み直して、これでオーケーとしたはずである。まさか、「沈没する」の被害の大きいのが「撃沈する」だと思ったのではあるまい。
 プロがこうした表現をするから、一般人ならこれで良いのだと思ってしまってもおかしいとは言えない。いや、本当はおかしいと思わなくてはいけないのだが、どうも日本語に対する感性がどんどん衰えて来ているらしい。普段から、きちんとした日本語を使っていない限り、簡単に間違いの方向に行ってしまう。
 執筆者には悪いが、私は、ははあ、放送作家とはそうした程度なのか、と思ってしまう。テレビがどんどん悪い日本語を流し続け、次第に世間はそれに感化されてしまう。テレビで育った人々は、たとえプロであっても、そうしたテレビ用語に洗脳されているから、もうどうしようもない、と言う事になるのだろう。

 私は常にテレビの底の浅さを感じているが、これは放送作家が新聞に書いている文章である。そうであるからには、当然ながら、新聞社の校閲の手が入っている。それなのに見逃されている。つまり、新聞も同じ程度だと言う事なのか。
 先に「沈没する」の被害の大きいのが「撃沈する」だと勘違いしたのか、と書いたが、もしかしたら、本当にそうなのかも知れない。でもそうなら、事はやはり重大だ。その程度の日本語力で言葉が命である仕事をしている事になる。