千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

豪雨のあとに

2011年07月29日 | 日記

  

 昨日は断続的な豪雨が続いた。
 めざめてから、雨が一休みしたことなどなかった。
 夕方からはいっそう激しく、一時間単位の強雨。
 高床式の玄関からベランダを覗くと、プランターの上部まで雨水がたまっていた。アイスプラント、今年も咲かないアマリリス、三鉢の水を捨てた。筋力がないのに、こういうとき馬鹿力が出る。
 雨音だけが激しく、早めの夕食を済ませて、歯磨きと洗顔をしていた時だった。雷も鳴らないのに突然の停電。
 私は平然と洗顔をし、夫一人で騒いでいる。ランプ式の懐中電灯を探している。ないぞ、どこにやった?いつものところにあるでしょう。ないよ。あっ、そうだ、孫がいたずらしたので物置にしまったのだった。じゃ、物置にあるはず。
 私は暗闇で、石けんの泡を落としている最中。眼を開けたら、暖簾越しの台所に灯りが点ったところだった。
 いざという時のため、所定の位置に置いておくこと。暗黙のうちのルールが破れると、こういうことになる。
 中越地震の教訓で、古毛布と軽い掛け布団を大きなビニールに包んで、何年か持ち出せるようにしていたのに、喉元過ぎれば怖さ寒さも忘れてしまうのだ。

 二人生活。味気なくもあるが、私たちは、言葉のない夫婦ではない。
 私は、夫の心の内部には介入しない。夫も探るようなことはない。
 お互いを人間として認め合い、許容し合うことが大切だと思っている。
 つまらない喧嘩をして、砂を噛むような日々を過ごす時代は、とっくに通り過ぎたように思う。
 自分の考えを強要することもいらない。結局は人間は一人になる。一人になったとき、自分自身の土台がどこにあったのか、明確にしておくことも大切だ。

 私は、ふわ~っと夢うつつでいることがある。
 現実の自分でもなく、過去や未来の自分でもない。
 何だか不可思議な自分、ではある。


    花

花がここに咲いている
やさしい花だ
君は本当のやさしさって知っているかい
すぐには答えられないだろう
本当のやさしさって
何なのだろう
模索している君が
すでにやさしい人なのだ
人間が本来
人間としてあるべき
やさしさって
どんな思いの中から
生まれてくるのか
すでに知っているだろうから
                      (azumi)

 朝の一品。
 トマトのチーズ焼き。
 豪雨で八割れした中玉トマト、とろけるチーズ、バジル、塩、粗挽き胡椒、オリーブオイル。




 ウォーキング途中の川。
 昨日の水位は、草がなぎ倒されている位置まで上昇した。




 豪雨にたたかれた川土手のコスモス。



 昨日からの豪雨で、土砂崩れ、建物損壊、床下、床上浸水などがあったことを知った。被害が拡大しないことを願っている。