千艸の小部屋

四季折々の自然、生活の思いを、時には詩や創作を織り交ぜながら綴りたい。

ポイのナンシー

2011年07月20日 | 日記


 子猫の画像はかわいい。
 毛糸玉にじゃれて遊んで、毛糸を引っ張ると本気になって追いかけてくる。

 白い子猫だったナンシーは、成長とともに、頭、背中、手足がベージュ色に変化してくる、首の前、お腹、手足の一部分だけが真っ白なままで、ベージュ色の部分も薄い縞々が入ってきた。しっぽはベージュに焦げ茶の縞々。
 黒猫のシドを優位に常に気配りをする子。ナンシーがお姉さんだったに違いない。シドはやんちゃな甘えん坊で、私を独占したがった。ナンシーは一歩も二歩も下がって遠慮し、あるいはすごすごとどこかに立ち去る。

 夫婦で自営していたので、猫たちの食事は一日二回と決めた。
 仕事場を町はずれに持っていた頃、ナンシーは家の外階段の手すりで私を待っていた。車の走行音がかなり先から分かるようで、そわそわと落ち着かなくなり、車庫に入ってくると手すりからすとんと降りる。ナンシーただいま。人には分からなくても、ナンシーとは気持ちが通じ合えて、猫語が分かったような気になる。
 シドよりもナンシーの方が人間語をいち早く理解したようだ。
 夫に何か訴えているナンシー。夫は理解できないので、お母さんのところに行って聞いてごらん、と言った。ナンシーはパッとそこを離れて、トイレの前でじっと待つ。
 幼児が、母親のいるトイレの前で待つのと同じだ。シドにじゃまされない限り、私を追いかける。しっぽを絡ませる。頬をすり寄せてくる。シドさえいなければ炬燵の膝に座る。そして、しっぽをしゃぶる。しゃぶるという動作は後年まで続いた。
 私の膝で、前足を使ってもみもみする。これはシドも同じだ。赤ん坊が母の乳房を求めるのと同じ行為だと思う。

 ある時、洗面台の下に髪を結わえるゴムを落とした。そのゴムにじゃれる。
 髪に結わえるゴムをねだる。遊ぶ。そうこうしている間に,太めのカラーゴムを三つ編みに編んで輪にして与えた。
 夫のそばにいき、私はこんなことも出来るのよと、自慢げにゴム遊びをしてみせる。
 ある時夫が遠くに投げてやった。すかさずナンシーは走り、ゴムをくわえて夫の前にポトンと落とす。
 これがそもそもの始まり。ナンシーはポイが得意な猫となった。ポイを持っておいで、と言えば探して口にくわえてくる。ポイ遊びをしたい時、寝ころんでいようものなら頭髪を引っ掻く。知らんふりをしていると、顔まで引っ掻こうとする。
 時々どころか、しょっちゅうポイが行方不明になる。どれだけの数のゴムを編んであげたか。外までくわえて遊びに出る。

 その当時猫に関する知識や認識が浅く、四ヶ月でナンシーとシドが成猫になるとは思いもしなかった。そして妊娠。あわてて、猫の本を買いあさった。いかに無知だったか思い知らされた。去勢や避妊もさせないで、野放し状態で猫と生活する人たちがいる。捨てるのも、病気も苦にしていない。動物と暮らすことは責任も伴うのだ。
 ナンシーの出産の話は、またいつか。

 高齢の母がいる。
 平成19年から、新設なった介護付老人ホームで、介護の世話を受けてきた。
 胃ろうの手術をしたのが、二年半前。入退院を繰り返し、現在入院中。いまだ生命力を持ち続ける。今週あたり退院の話があったのだが、発熱があったため伸びたようだ。新薬による解熱剤。それが発疹というアレルギー反応をもたらした。速、投与中止。発疹は消えたがこの猛暑。病床にある母も楽ではないと思うが、目を開けてみつめるだけで言葉を発しなくなっている。

 海の日の十八日、駐車場に車を止めないで周辺を一回りした。




 イタリアンレストラン「フォレストイン」

 開店したころ、友人と何度か行った。
 屋根のひさしぐらいだった若木が、すっかり大きくなってグリーンカーテンの役目をこなしている。
 近年出かけたときは休店日だった。
 ピザがおいしいと聞いた。開店時何を食べたかさっぱり覚えていない。
 今度、友人たちと行ってみようかな。

 放射能の問題がクローズアップされて、どう乗り切っていけばいいのか迷うところである。
 あわてず、さわがず、できるだけ心おだやかに。汚染されてしまったものを食べたり、飲んだりしても摂取したものは仕方がない。これから先、人間は五年間で調整できると言うし、子供も、来年から二年間で取り戻せるように、健康に留意した生活をすることが大切だと思う。
 ごまかしや偽りがあってはならない。