あきらめないで
なげださないで
あきらめないで
まえをむいて
私はなにもできないけれど
そっと
あなたに手をさしのべる
あきらめないで
なげださないで
いのちの無惨さに
こころをすくめて
はいあがることも忘れてしまいそうだけど
あきらめないで
なげださないで
人は生きるために生まれてきたのです
むじょうな現実に
こころをおきざりにしたまま
からだは粉々になりそうだったけど
気がついたのです
あなたの背に
そっと 手をふれようとしている自分に
あきらめないで
なげださないで
あしたを信じて 生きてほしいのです
2011・3・22 azumi
3月11日の朝、ブログを立ち上げたいと考えていた。線香花火のような、かすかな心の動揺。今年の目標だったのに、まだうろついている。
午後になって風をはらんだ吹雪となる。
母の病室で、雪の乱舞する様を見ていた。
針金を吊しただけの、洗濯物のハンガーが揺れだした。
何が起こったのか、ガタガタ、揺れはいっそう強くなる。
まさか、地震?
診療所内にどよめきが起きて、騒ぎは強まる。
母は、安堵したような表情のまま眠っている。
そばのホールに飛び出した。
地震、地震が起きたみたいです。詳細は分かりません。介護士がテレビ画面を見ながら説明していた。
あちこち揺れているテレビ局内部を映しているだけで、詳しい情報は入ってこなかった。
東北で地震、季節はずれの吹雪、何かを連鎖するようで落ち着けなくなる。
携帯も家電もつながらない。
夕方、吹雪く中を家まで歩く。
携帯メールが鳴る。
池袋のデパートにいる。マネキンがあっちこっち移動している。悲鳴をあげている人もいる。電気はストップ。家には帰れそうもない。妹からだった。
吹雪く中を返信。自宅にも送信しておいた。
自宅に帰って、テレビ画面に驚愕した。この世のものとは思われない映像があった。
自宅へのメールは、二時間後に届いた。
妹は、板橋の娘宅まで歩き、深夜になって夫の迎えの車で所沢まで。渋滞で、夜が明けた頃自宅にたどりついた。
上の詩は、ようやく心を取り戻し、じっとしていられなくなった頃書いた。
被災地で頑張っている方々に、声もかけてあげることもできないでいた私。
時を同じくして、家族の不幸にうちのめされながら、日々奮闘している友人への心のメッセージも重ねた。
じりじりと暑い中、蝉が鳴いている。
入退院を繰り返す母。6月29日からの入院だったが、退院も近い。生命力のある母。話をすることもなくなり、胃ろうで生きつづける母に、命の火を消さないでくれるのは神なのだろうか。
山に出かけ、自然と対話したくなった私がいる。