室町時代の建武4年(1337年)、今川範国が、駿河国の守護に任ぜられ、以後駿河国は今川氏の領土の一つになります。
今川氏全盛期の天文18年(1549年)9代今川義元の時代に、徳川家康は人質として19歳までの12年間,駿府で生活しています。永禄11年(1568年)10代今川氏真は甲斐の武田信玄に攻められて掛川城に落ち、駿府の城下町は焼き払われ、さらに天正10年(1582年)には徳川家康が駿府の武田勢を攻め、再び戦火に遭って駿府の城下町は、ほぼ壊滅したが、駿府を支配した徳川家康は天正13年(1585年)から居城として今川館の位置に,駿府城の築城を始め、天正17年(1589年)に完成させた近世城郭である。
一時、豊臣秀吉の命で徳川家康は駿府を離れるが、豊臣秀吉亡き後、慶長5年(1600年)関ケ原の戦いに勝利し、再び駿河を領有し、駿府城は徳川家康の隠居城として大改修された。三重の水堀をもつ輪郭式平城には六重・七階の天守が建てられた。明治維新の廃城令で、城内の建物はすべて払い下げられたが、平成元年(1989年)復元巽櫓、平成8年(1996年)復元二の丸東御門が完成し、平成24年(2012年)城跡は、「駿府城公園」に名称を変更した。
[所在地:静岡県静岡市葵区駿府城公園1-1]
<アクセス>JR静岡駅から徒歩約15分
▼駿府城の概要
▼駿府城の概略図
▼二の丸巽櫓
▼東御門・高麗門 ▼櫓門南面(正面)
▼東御門(城内より) ▼本丸掘
▼坤櫓
▼徳川家康像(駿府城本丸跡)
▼紅葉山庭園(駿府城公園内)
2017/03/15訪城