nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

山中城

2017年03月21日 | 静岡県の城郭・環濠

  戦国時代の末期の永禄年間(1560年代)に、北条氏の本拠地である小田原城を守る箱根十城の山中城は、東海道を城内に取り込んでいた。 土で築かれた城は、障子堀、畝堀などの特殊な空堀を曲輪の周囲に堀り、厳重な防備を誇っていた。豊臣秀吉の小田原評定が始まると、城の防衛をさらに固めるが、天正18年(1690年)豊臣秀次率いる豊臣軍約7万騎の総攻撃を受け、北条軍は約4千騎余で必死の防戦もかいなく鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で城は落とされた。その後、山中城は廃城となり、小田原城も開城し相模北条氏は滅亡する。現在、堀や土塁が良く残っており、屋根を区切る曲輪の造成法、架橋や土橋の配置など箱根山の自然の地形を巧みにとり入れた石を使わない土だけの山城は非常に珍しい。昭和9年(1934年)国の史跡として指定されています。

[所在地:静岡県静岡市三島市]

<アクセス>JR三島駅からバス約30分

山中城の概略図

              ▼本丸と北の丸にかかる架橋

 

  

              ▼畝堀

 

二の丸と西の丸の架橋

 

山中城の碑        ▼西の丸

 

障子堀

 堀底に畝のように堀残しの部分を設ける。1列に並んだものを畝堀、2列以上のものを障子堀という。敵によって堀底を道として利用されないための工夫でもあり、また落ちると、容易にはい上がれないようになっていて、まさに蟻地獄を思わせる

 

宗閑寺と武将の墓の概要

北条方武将の墓            ▼豊臣方武将の墓(一柳直末の墓)

 

2017/03/16 訪城



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