藤原氏を祖先とする後藤伊勢守基秀は、文応元年(1260年)、先陣武功があって、三重郡采女郷の地頭職となり一族郎党を引き連れて采女の地に移住、采女山(北山)に、標高50~70メートルの三つに分かれた丘陵尾根を利用した放射状連郭の平山城で、主郭には、深井戸を掘って水を得るようにした要害の采女城を築いた。
以来三百有余年、連綿と治政して続いたが、後藤采女正藤勝の時、織田信長の重臣・滝川一益の侵略に遭った。関家・蒲生家に一味して戦ったが、永禄11年(1568年)遂に落城した。
現在、城跡は采女城跡保存会の人々で整備され、本丸には井戸と説明版があり、土塁や空堀の遺構もよく保存されています。さらに、木橋で散策路が整備され歩きやすい見ごたえのある山城です。
【所在地:三重県四日市市采女町字北山】
<アクセス>四日市あすなろう鉄道内部線・内部駅下車徒歩約20分。
*あすなろう鉄道は電車の中で最も線路幅の狭い特殊狭軌線ナローゲージの鉄道。
▼釆女城付近の概略図
▼釆女城の由来
▼釆女城の縄張り図
▼采女城の碑 ▼(采女城の)登城口
▼登城口から谷筋の道を登っていく
▼虎口(一の郭に通じる虎口) ▼虎口(八の郭へ通じる虎口)
▼五の郭
▼一の郭(本丸) ▼一の郭(本丸)の土塁
▼空堀
▼二の郭 ▼物見櫓跡
▼三の郭
2019/03/02 訪城