nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

備中高松城

2017年09月20日 | 岡山県の城郭・環濠

  備中高松城は、備中守護代の家臣石川久式が、足守川の自然堤防を曲輪とし、それを取り巻く沼地を堀として利用した平城である。石垣を用いず土だけで永禄年間(1558年~1570年)に築城した。

 城の中心は、最も高地にあり約50mの方形をした本丸。本丸の南東方向に、本丸よりわずかに低い二の丸があり、さらにその南東に三の丸があった。これらの三つの曲輪を家中屋敷が置かれた外曲輪が抱え込むような縄張りであった。

[所在地:岡山県岡山市高松]

<アクセス>JR備中高松駅から徒歩約10分

備中高松城の概要 

 

本丸の概要

               清水宗治首塚

二の丸の概要

三の丸の概要

2017/09/18 訪城

備中高松城の戦い  天正10年(1582年)

織田信長の中国攻めで、羽柴秀吉軍(約2万騎)、備中宇喜多軍(約1万騎)が、清水宗治が守る備中高松城(城兵約3000騎)を、黒田官兵衛の策で、羽柴秀吉備中高松城を水攻めにする。毛利方の小早川隆景、吉川元春の援軍約5万騎が高松へ到着し、両軍が対峙する。本能寺の凶報で高梁川以東の割譲と城主清水宗治の切腹で和議成立。