nakazumi's blog

文化・歴史・城郭をメインに、時々『気になる事』を記す婆娑羅ブログ!

ネルソン・マンデラ(1918年~2013年) [南アフリカ共和国]

2013年12月06日 | 歴史

  1918年7月18日南アフリカ南東部トランスカイの村でテンブ人の首長の子として生まれる。父親は、王族の相談役を務めていた。国内の出身氏族を示すマンディバの愛称で知られた。1942年にウィトワーテルスランド大学法学部を卒業し、法律事務所に就職。1944年に黒人解放組織、アフリカ民族会議(ANC)に入党。その青年同盟を創設し青年同盟執行委員に就任して反アパルトヘイト運動に取り組む。その後1950年、ANC青年同盟議長に就任する。1952年、友人と南アフリカ初の黒人による法律事務所を設立、同年以後、ANCによる非暴力の反アパルトヘイト(人種隔離)政策闘争を率いた。反アパルトヘイト運動により反逆罪として逮捕され,27年間に渡り刑務所に収容された。刑務所の2畳ほどの独房で過ごしたあいだ、獄中で、白人が話すアフリカーンス語も学び、考え分析しながら戦略を立てた。釈放時には大統領になる準備が出来ていた。釈放後、アフリカ民族会議(ANC)の副議長に就任。その後、議長。デクラークとともにアパルトヘイトを撤廃する方向へと南アフリカを導き1994年に大統領に就任。民族和解・協調政策を進め、経済政策として復興開発計画を実施した。1999年に行われた総選挙を機に政治家を引退した婆娑羅大統領であった。2013年12月5日、ヨハネスブルグの自宅で95歳で死去。国葬は、12月15日に決まった。

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アパルトヘイト* 

  アフリカーンス語で分離、隔離の意味を持つ言葉。特に、南アフリカ共和国は、17世紀から、オランダ、英国の植民地支配を受け、独立後も南アフリカ共和国における白人支配層が、多数を占める非白人(黒人、インド、パキスタン、マレーなどからの非白人アジア系住民やカラードと呼ばれる混血民)を極度に差別する諸関係を規定する人種隔離政策のことである。

■□■西洋の植民地になるとこうなる■□■

https://www.youtube.com/watch?v=cT-3DE6nSZs

■□■日本人が知らないといけないイギリスの残酷植民地政策■□■

https://www.youtube.com/watch?v=FTdRz4dECE