俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

善と善

2016-07-06 09:46:47 | Weblog
 善と善がしばしば対立する。これを誤解して善と悪の対立と見なすべきではない。
 善と善の対立が人体を健康な状態に保つ。交感神経と副交感神経はどちらも善でありどちらかを悪と考えるべきではない。両者は補完関係にあり両者のバランスが保たれて初めて人は健康になれる。どちらかが強過ぎることは有害だ。
 高血圧も低血圧も良くない。血圧は高過ぎず低過ぎずが理想でありその状態が保たれるように調整される。平均値より多少高い程度の血圧は決して病的な状態ではなかろう。多分その人にとっての適正値だろう。背の高い人の血圧は平均よりも高いだろう。それは標準以上に高い位置にある脳に充分な血流を届けるためだ。太目の人の血圧が高くなるのは全身に充分な血液を巡らせるために必要だからだろう。
 コレステロールが不可欠であることが証明されるとそれまでコレステロール有害説を唱えていた人々は善玉コレステロールと悪玉コレステロールという馬鹿げた区別をすることによって言い逃れを図ろうとした。コレステロールに善玉も悪玉も無かろう。善玉と悪玉は表裏一体だ。これは動脈を善玉、静脈を悪玉と呼ぶような愚行だろう。
 善と悪の対立ではなく善と善の補完によって良い状態が保たれる。他人を信じることも疑うこともどちらも善だ。片方だけを善と見なすべきではない。一所懸命働くことも休養することもどちらも善だ。ワーカホリックも怠け者も良くない。補完し合う善のバランスこそ大切だ。
 トップダウンもボトムアップも有効な戦略だ。その組織が置かれた状態や構成員の能力の違いによって最適なバランスが決まる。
 個人と社会も対立しない。元々群居動物である人類は群を離れて生きることはできないが、蟻や蜂のような社会性動物とは違って社会に奉仕する歯車に徹することなどできない。快不快の感覚はあくまで個人に帰属し、個人的な快不快の感覚は軽視できないほど重要だ。
 ゾロアスター(ドイツ語読みすれば「ツァラトゥストラ」)は世界を善と悪の対立と見なしたが善と悪は滅多に対立しない。多くは善と善の対立であり、たまに優と劣の対立がある。善を補完する善は悪ではない。
 世界を善と善の対立であることを理解すれば全然違った世界観が生まれる。野党は与党を否定するためではなく与党を補完する勢力であるべきだ。資本家と労働者は対立せず協力する。競争相手は排除し合うのではなく競争を通じてお互いを高める。男と女はお互いの違いを非難し合うのではなくそれぞれの特性として尊重し合う。
 善と対立するものを悪と見なすのは幼稚な世界観だ。善は善に補完されて初めて独り立ちできる。異なる善によって補完されない善はひ弱で脆い。