俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

ステント

2016-07-23 16:50:26 | Weblog
 20日(水)にステントの装着を終えて昨日(22日)退院した。食道に金属製のパイプを付けることによって飲食物の通路を確保すると共に肺への流出を防ぐという一石二鳥の「工事」なのだから理に適っているが体にとっては不快だ。気のせいもあるだろうが一日中鈍痛を覚える。痛みは本能的に警告と判定されて行動を抑制するがこんな痛みには慣れなければならない。同程度の痛みが続けば体がそれに慣れるものだから、ある程度食べられるようになるために最も必要なことは時間と経験だろう。痛みに慣れてただの鈍痛と感じるようにしてしまえば恐怖心が消える。
 ステントの装着は外科医ではなく内科医の仕事だ。胃カメラの延長と位置付けられているのだろうが、メスを使わないとは言え、外科手術と比べて余りにも不潔な環境で行われることに少なからず驚いた。
 ステント装着は治療ではない。ただの延命策だ。治療不可能な患者に対する対症療法であり、事故を起こした原発に対する石棺のようなものだ。
 批判を受けて福島第一原発に関して「石棺」という言葉が削除されたが、チェルノブイリ原発の跡地は正に石棺によって覆われている。原発の残骸には手を付けられないから放置され周囲をコンクリートで固めることによって放射線が漏れることを少しでも減らそうとしている。棺の中の遺体には手を出さない。ステントも石棺のようなものであり、癌細胞の増殖を放置する。治療効果ゼロの延命策だ。
 ステントの耐久性について尋ねてみたところ何年持つか分からないとのことだ。それはステントより先に患者の寿命が尽きるからだ。1年程度と覚悟する必要があるようだ。
 人工物で機能を補完した私は広い意味ではサイボーグだろう。一時期、人間の高機能化を狙ってサイボーグの研究が進められたが今では内装よりも外装の研究が進められてている。漫画で言えばサイボーグ009よりもマジンガーZのほうが現実的だったということだろう。筋力強化スーツの実用化が進められる一方で人体改造は最小限に抑えられている。内部から改造するよりも外部から補強するほうが実用的・合理的・人道的だからだろう。漫画の「テラフォーマーズ」のような遺伝子組み換えによる改造人間はSFの世界に留まるようだ。
 その一方でパラリンピックとサイボーグの関係が難しくなりつつある。ヒレの付いた義足や義手の装着は水泳選手に認められないが、バネの付いた義足が現時点では求められている。短距離走のピストリウス選手や走り幅跳びのレーム選手の記録は健常者と同レベル以上だ。もしドクター中松が発明したピョンピョン靴の装着が認められたら跳躍関連競技はサイボーグの天下になる。これらはボクシングで義手が認められないのと同様、競技に使うべきではあるまい。パラリンピックは傷害を克服した人々のための場であり、ここでサイボーグ化などの最新技術を競うべきではなかろう。