俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

人為的な痛み

2016-07-26 09:46:19 | Weblog
 動物にとって痛みとは使用を抑制させるための警鐘だ。より厳密には、自然治癒力が働いて元通りに戻るまで保護せよという指示が痛みとして感じられる。それは数億年に亘る進化の中で培われた仕組みだ。余程のことが無ければ痛みに堪えて酷使すべきではない。痛みという警鐘に素直に従うことが動物としての正しい選択だ。
 自然治癒力による治癒は一貫している。痛みが行動を抑制しその間に自然治癒力が働いて患部が元に戻る。患部に痛みを感じること、患部を極力動かさないこと、自然治癒力が働くこと、この一連の働きはまるで自然治癒力が司令塔になっているかのように統制が取れている。痛みとは「動かすな」という指示だ。切り離された肉体は痛まない。切断箇所だけが痛む。これは切り離された部分が最早自然治癒力の対象外であることの証しでもあるだろう。
 しかし人為が介入するとこの数億年の鉄則が崩される。義足や人工関節を装着した時の痛みには耐えねばならない。自然治癒力が働かない状況において患部を動かさなければ悪化を招く。これは数億年の動物の進化とは異なったルールだ。
 リハビリが辛いのは、痛い箇所を敢えて動かすという、動物としての本能に背く行為を強いるからだ。これは肉体的に辛いだけではなく精神的にも辛く葛藤を招く。リハビリを貫徹するためには敢えて本能にさえ逆らうという強い意思が必要だ。
 痛みを感じると人は本能的・反射的・無意識に動作を止める。このことによって傷んだ箇所が保護される。これは動物として正しい反応ではあるがリハビリにおける痛みには耐えねばならない。どんな賢い獣も治療のための注射に怒るがこれと同様に耐えるべき痛みだ。
 私は今ステントの装着という不自然な状況にいる。食道に金属を装着して飲食物の通路を確保するという異常な状態だ。異常な状態だから痛みや不快を感じる。痛みを感じると私は患部に負担を掛けまいとする。つまり飲食の自粛だ。しかしこの痛みは自然治癒力に基づくものではないから治癒には役立たない。痛みを我慢して栄養摂取に励むことこそ必要だ。
 痛みに対する本能的な恐怖を克服せねばならない。本来の痛みは自然治癒力が働くための警鐘だが人為的な痛みは自然治癒力の管轄外だ。保護しても治癒されない。自然治癒力の管理下にある痛みと人為的な痛みを明確に区別して、人為的な痛みに対しては雄々しく立ち向かわなければ劣化を招く。