俗物哲学者の独白

学校に一生引きこもることを避けるためにサラリーマンになった自称俗物哲学者の随筆。

入退院

2016-07-20 09:11:28 | Weblog
 今日(20日)の午後から4回目の入院をする。中止になった11日から9日遅れだ。癌に冒された私の体は不安定だ。特に嘔吐と発熱は突然起こり曖昧なままに治癒するからさっぱり予想できない。
 医師は食道近辺の菌を退治するために1週間程度入院して絶食することを勧めたが私は拒絶した。無菌室にでも入らない限り菌やウィルスを根絶できる筈が無い。そんな無駄な医療紛い行為のために残り少ない私の貴重な1週間を浪費したくない。「ステントの下に菌が入っても構わないから、放射線治療の効果で癌細胞が小さくなっている内に装着してほしい」と申し入れて説得してしまった。我ながら我儘な患者だと思う。
 早ければ22日(金)の退院の予定だが、私は断固22日の退院を強行しようと考えている。私が入院する病院は土・日が休診日なので、金曜日に退院できなければ月曜日まで待たされる。金曜日に「仮退院」をした上で月曜日には外来で診断を受けるなどの条件を提示してゴリ押ししようと考えている。最悪でも土曜日の午前中には退院したい。

共感性

2016-07-20 08:49:54 | Weblog
 サディズムやいじめによる快感は私にとって最も理解し難い感覚だ。他人が苦しむことがなぜ快感になるのか分からない。ドラマで拷問のシーンがあっても不快になる。しかしそんなシーンが放映されるのはそれを悦ぶ人がいるからだろう。
 その感覚を理解したくてマルキ・ド・サドの主要著作「悪徳の栄え」や「美徳の不幸」などを読んでみたが全く共感できず、不快や不潔という印象だけが残った。こんな不快なだけの本は「ロリコン」の語源となったウラジーミル・ナポコフの「ロリータ」以外には殆んど思い当たらない。
 もしかしたら正の共感性を持つ人と負の共感性を持つ人の2種類に大別できるのではないだろうか。サディズムやいじめなどに悦びを感じる、負の共感性を持つ人ならきっと犯罪性向も高いのではないだろうか。これは意外と役に立つ尺度かも知れない。動物をいじめる子供はきっと残酷な大人になるだろう。
 「喜びを共にすること・・・我々を噛む蛇は我々に苦痛を与えたと思って喜ぶ。最も下等な動物も他人の苦痛を想像することができる。しかし他人の喜びを想像して喜ぶということは最高の動物の最高の特権であり、その中でも最も選り抜きの模範的な者にのみなし得る。・・・従ってこれは1つの稀な人間精神だ。だから喜びを共にすることを否定した哲学者もいたほどだ。」(ニーチェ「人間的、余りに人間的」「様々な意見と箴言」62)
 以前に「共歓」という記事でも引用した、私の好きな言葉だが、もしかしたら他人を苦しめることに悦びを感じる人と他人の苦しみに同情して不快を感じる人に大別できるのではないだろうか。勿論、大半の人はその中間のグレーゾーンに位置する。しかし黒と白に位置する人同士であればお互いに理解し合うことは殆んど不可能だろう。
 なぜこんな単純と思える事実が認められないのだろうか。これが差別に繋がるからだろうか。善人と悪人が明確に区別できるならこれほど便利な分類は無い。「悪人」に属する人々がこの視点を「差別」として否定しているのではないだろうか。充分に研究されていないからこの違いがどの程度先天的なものかよく分からないが、これを「差別」として否定することは倫理学史上最大かつ根本的な誤りだったのではないだろうか。これは差別ではなく必要な区別だろう。