金属中毒

心体お金の健康を中心に。
あなたはあなたの専門家、私は私の専門家。

27 最南端基地

2007-01-03 01:43:05 | 鋼の錬金術師
スカー逮捕の夜、緑陰荘で眠る者はエド一人だった。ラッセルはエドの傍にぴったりと寄り添いエドにおきているどんな小さな変化も見落とすまいと神経を走らせた。エドを起こさないよう小声で弟に指示を与えていく。
寄り添う兄のすがたはエドの崇拝者か母親でもあるかのように弟には見えた。常人の目には手を握っているとしか見えないが錬金術師の目には兄の意識がエドの内側にあることが読み取れた。指示を出す兄の姿が透明に見えてくる。エドの状態を写す鏡として、兄は自分の存在を薄めていくように見える。
 その夜一晩兄は椅子に座ったまますごし、弟はエドの周りで点滴の様子を見ながら過ごした。部屋の外ではブロッシュが6丁の銃と火炎弾で武装した姿でドアを守っている。メイドのエリスすら外を守る警備兵の報告を一晩中受けている。
 どうやらすぐにはこれ以上の襲撃は無いと判断されたのは翌日の9時であった。ラッセルは将軍命令で軍に呼び出され、エドは文句を言いながらも自分で朝食を食べ、ようやくいつもと同じ一日が始まった。
 スカーが正常な精神を失っていることが判明した後、直接戦った3人は将軍から散々いやみを言われた。
ようやく将軍から解放されたと思えば今度は秘書長に呼ばれた。渡されたのは最南端基地での調査命令書であった。

 「植生の調査だと?」
「はい、最南端基地の傍の大密林の調査です」
夜中に帰ったロイの上着にブラシを当てながらラッセルが答える。同じ軍の建物の中にいてもめったに顔を合わすことは無い。
「どういうことだ」
「さぁ、形の上は有用植物の調査ですが」
士官学校のテキストを広げながら答える。今の時期にそんな悠長な命令を下す大総統の目的が読めない。それでも命令には従うしかない。
 数冊のテキストを同時に開いて学科の講義が始まる。ラッセルはあの国錬会議のとき制服組として行動した。あの時点で彼は正式な立場はともかく軍人として周りに認識された。ならば軍人としての最低限の知識は叩き込むべきだとロイは考えた。士官学校3年分の知識を半年以内にマスターさせるのがロイの目算である。だが、本当は学科以上に確かめる必要に迫られていることがある。

(ラッセルは人を殺せるようになるのか?)
軍人として行動させるなら近いうちに解決すべき問題であった。
ロイは思い出さなかった。12歳のときから彼の保護下にいる少年があれほど荒っぽい旅を続けながらもいまだ、人を殺したことが無いことを。

翌日エドにしばらくいなくなることのみ告げて、後を弟に託してラッセルは汽車に乗った。見送るブロッシュは汽車が動く間際まで『くれぐれも食事はきちんと食べること』と繰り返している。今回の命令は国家錬金術師に対するものなので、ブロッシュは留守番である。
この車両に乗っているのは12人。国錬二人と基地に赴任する兵士10人である。
最南端基地はセントラルからはるか遠くにある。建国時は飛び地だったがその後の戦争で領土内に組み入れられた。今アメストリスには飛び地がもう一箇所残っている。それは唯一の海シーサイド村である。

 実のところ今回の命令はご都合主義そのものであった。三件の別々の命令を一度に行う形である。兵士の赴任、これは定期的なものだが少し早められた。植生調査、これを今行うべきだとは誰も思わなかった。そして、アームストロング新基地司令の赴任である。しかし、赴任後3日目の日に現地の副司令が新司令官になることがすでに決定している。アームストロングは少佐として赴任し、中佐として司令官の任に就きセントラルに戻り大佐昇進後、以前どおり大総統付き武官になることが内示されている。いわば生者に二階級特進無しの原則を乗り越えるための裏技である。原因は最南端基地がど田舎で月に5回しか汽車が無い事にもあった。
 汽車は丸一日走り続けた。終着駅で降りたのは軍服姿の12人だけであった。これから車でさらに3時間かかる。もはやアームストロング以外はため息しかでなかった。
 3台の車に分かれて基地に向かう。基地に近づくたびに異様なまでの暑さである。南に来ているのだから暖かいのは当たり前だがハンカチを絞れるほどの暑さは異常である。
「この辺り、本来は温帯気候のはずなのですがどういうわけか基地と大密林の周囲だけ熱帯並みの気候が一年中続いています。地熱の影響や地形的に熱がこもるとか言われていますが原因は不明のままです」
迎えの兵がガイドさながらに説明する。
「うむ、ん?」
ずっと気になっていた隣の若者の様子を見る。これだけの暑さなのに汗がまったく出ていない。
軍帽を深くかぶり視線を上げようともしない。
昨日の汽車で、ほとんど眠れなかったようだから眠っているのかもしれない。
がたん
大きな石でもあったのか車が揺れた。
ラッセルがその勢いのままに前のめりになりかけた。ぶつからないうちにアームストロングが受け止めた。考えることもなくそのままひざに乗せる。
(軍服のせいか?)
最初に会ったときより細くなった気がする。
ラッセルが小さく何かを言った。よく聞いてみると父親を呼んでいる。
「…父さん、助けて…くるしい、痛い…。」
「いかないで、かえってきて…待っていたのに…」
「…いやあ!こわい!いやだ、たすけて、…」
「とうさん!いやだ!」
起こしてやるべきかと揺さぶりかけたアームストロングの手を細い指がすがるようにつかむ。
全身を硬直させ2秒後、脱力した。バックシートから落ちかける身体を急いで抱きとめる。
(父親の夢か、それにしてはあまりよい夢では無いようだな)
あの豆術師のようにこの子供も父親に不快の念を持っているのだろうか。
運転手がミラー越しにこっちを見ている。最後の叫びは声が大きかったから聞こえたのだろう。
「気にするな。夢でも見たようだ」
言外に黙っていてやれと伝える。
運転手が無言でうなずいた。


 基地について副司令の出迎えを受ける。翌朝からは3日間アームストロングがここの司令官となるわけだが、全員が形式的なものと知っているのですでに副司令を司令官と呼んでいる。ここにいる間はアームストロングには休暇のようなものだ。
 翌朝は南方特有の激しい雨音で目を覚ました。
道が氾濫する川の状態になっているため雨天時の調査は不可能である。
雨で湿気が増えたためか暑さが肌に張り付くようだ。いつもきっちりと胸元をとめているラッセルもさすがに第一ボタンだけはずす。
無風状態である。この雨で電気線が切れたといって扇風機すら使えない。セントラルが冬だっただけにこの暑さはなおこたえる。
「はー、暑い」
言うつもりは無かったが思わず口に出てしまった。ラッセルは普段言っても仕方の無い不満を口にするほうではない。むしろ言うべきことさえ体内に貯め込む傾向がある。その彼が何気なく漏らした言葉をアームストロングが拾った。
「ここの気候は異常だからな。慣れないと辛いだろう」
彼の視線の先では連れてきた兵士たちがスルメ状態でのびている。
まさか聞かれているとは思わなかったラッセルはあわてて第一ボタンを留めなおす。さすがにプロは違う。完全に気配を感じなかった。
「脱いでしまっていいのだぞ」
アームストロングが気を使う必要など無いと指摘する。
見渡せば軍服をきっちり着込んでいるのはラッセル一人である。基地司令さえも麻のシャツ一枚である。
「はい」
返答はしたが脱ごうとはしない。軍服を着ているときはわからないだろうが、このところ体重が落ちてしまっている。上着を脱ぐと貧弱な体型を見られそうな気がする。
「外に行ければ気分も変わるのだが」
雨は滝を思わす勢いで降り続いている。
「ふむ、どうせ暑いなら」
ラッセルはいやな予感がした。ブロッシュが言っていた。
『アームストロング少佐はいい人なのですが、どうも体力がありすぎて他の人とリズムが合わないところがあるので』
「ラッセル、下で組み手でもしようではないか。動けば気分も変わるだろう」
言い終えるとラッセルの返答も聞かず襟をつかんで引っ張っていく。
なるほどこういう所がリズムの合わないところなのかとラッセルは思う。それにファーストネームで呼んでいいと言った覚えは無い。
(いい人なんだけど、この人の側にいると)
自分が子供のように感じられるのが不愉快である。
最初に会ったとき頭をなぜられたのが影響しているのだろうかと思うが、では彼を嫌いかといえば嫌いではない。
(まぁいいか、動けば気分も変わるだろ)
「中佐、手を離していただけますか。自分で降りますから」
「おぉすまん、つい癖になっておる」
いったい誰のときについた癖だと突っ込みたくなるのをラッセルは抑えた。
佐官二人がトレーニングルームに下りていくのを見て何人かの兵士が付いてきた。

(ほう、さすがにマスタング殿の直弟子だ。無駄が無い)
兵士達の見る中、佐官二人が最初のかまえをとってからすでに1分である。
ラッセルは少しずつ位置を変え、逆にアームストロングはまったく動かない。
(まいったな、どこに打ち込んでもあっさり受け止められそうだ)
周りの兵士の視線も気になる。まったく相手にもならなかったと噂でもされては今後の情報収集に差し支える。
(しかたない、最初から飛ばすか)
派手に打ち込んで見せるほうがいいと考えを決めた。
まずは定石どおりに左手で打ち込んだ。
避けられるのは予測のうちだったが相手は避けなかった。代わりに打ち込んだ手をそのままに柔らかく握られた。
(この!)
張り倒されたほうがまだ腹立ちは少なかっただろう。
(馬鹿にしやがって!)
ラッセルの動きが変わった。
マスタングの教えた攻守ともに備わった構えはすでに無い。代わりにゼランドール市時代に使った喧嘩の動きが戻ってくる。
(ん、動きが変わったな。攻撃は鋭いが守りは考えていない。よほど自信が無ければこの攻撃は使えまい。確実に倒せるつもりか?)
打ち込まれる拳は鋭いがアームストロングはわずかの動きで受け流した。彼の足は最初の位置から動いていない。
(ちっくしょう。あたってるのに)
手応えはあるのに相手のダメージは皆無に見える。一番悪いパターンである。このまま攻撃しても自分のほうがスタミナ切れするのは目に見えている。
アームストロングと視線が絡んだ。
(こう派手に打ってばかりでは体力が心配だが)
彼の視線の中に自分に対する保護者意識のようなものを見たとき、ラッセルは切れた。
2メートルほどの距離をとる。そのまま一気に跳んで足蹴りに出た。
(まずい)アームストロングが舌打ちする。
今までのようによければラッセルに怪我をさせそうだ。しかし、まともに受けては多少面倒である。
(やむを得ん)
大きく右の拳を振るった。拳圧でラッセルはあっさりと飛ばされた。攻撃だけに絞っていたために受身を取れない。
ラッセルが軍服を脱いでいなかったのは幸いだった。
3メートルも床をこすりようやく止まる。軍服の生地の厚さがラッセルの肌を摩擦による火傷から守った。
アームストロングの立ち位置は50センチほど動いた。
「すげぇ!」
見ていた兵士たちが思わず拍手した。こんな辺境の基地で、セントラルでもなかなかないような勝負を見られたのだ。
ラッセルが起き上がった。怪我は無いようだ。
(エドワード・エルリックなら熱くなって体力の限度まで打ち込んでくるだろうが、この子はどうだ?)
勝負には止める頃合もある。この子はそれを読めるだろうか?
ラッセルがにっこり笑った。納得したような顔をしている。
(さすがに豪腕。強い人だ)
額にかかった金の髪を払う。
「ご指導ありがとうございます」
彼は涼やかな声で右手を差し出した。

肩を並べて、とは無理だがシャワー室に向かう。ドアを開けて、ラッセルはあの黒い化け物に遭遇したような気分になった。この基地のシャワー室は個室になっていないのだ。つまり完全に見えてしまうのだ。
どうしていいかわからなくて足が止まる。
しかし、アームストロングのほうは気づいた様子も無い。さっさと服を脱ぎ始めている。
(…気にするほうがおかしいのか?)
昔のことわざにローマではローマ人のようにというのがある。ここではここのやり方にあわすべきだろう。
それでもアームストロングから離れた背中合わせの位置を選んだ。
シャワーをひねると水というより湯が出てくる。
一気に全身の汗を流す。

(熱い、この妙な感じは何だ)
背中に異常なほどの熱さがある。
このところ夜になると痛んでいる位置と同じであった。それを自力で調べた限りでは筋肉にも骨にも神経にも異常は無かった。考えられるのはリバウンドか精神面である。結局R-18で一時的にせよ収まったのだから精神面だったのだろう。しかし、昼間にこんな異常が出たのは始めてである。
急いでシャワーを止める。部屋に戻ったほうがよさそうである。タオルハンガーに手を伸ばす。だがあせったせいか手元が狂った。
カシャン
タオルがハンガーごと落ちた。
アームストロングが振り返り、シャワーを止めた。
「失礼、中佐先に出ます」
平静を装った。しかしアームストロングはだまされてくれなかった。
「ラッセル疲れたのか?」
そう言いながらタオルもかけずにこっちに近づいてくる。
人の裸など患者で見慣れているはずなのにラッセルは心音が急に大きくなるのを感じた。
「顔色が悪いな。気分が悪いのか?」
「たいしたこと無いですから」
口の中が渇くのはきっと暑さのせいに違いない。
「うっ」
思わず抑えきれず声に出た。激しくなった心臓の動きに合わせて背の痛みがきつくなった。
「さっき打ったところが痛むのか?」
心配げなアームストロングの視線が背中を確認しようとする。
(受身無しでぶつけたからな。どこか痛めたのかも、ん、これは?)
(彫り物、刺青か?この子供が刺青など?)
アームストロングの目にはラッセルの背中一面に朱色の(傷跡にも見える色である)線で描かれた練成陣が映っていた。
(熱い、痛い、)
ラッセルが考えるられるのはそれだけである。
アームストロングの大きな手が朱色の線に触れた。
(いやこれは練成で作られた物だ。なんと人体と融合しているのか!)
話にすら聞いたことが無い。
「ラッセル、この背中の練成陣はどうやって作ったのだ」
「え、?」
一瞬痛みから意識が離れた。
「練成陣?」
「知らぬのか?背中一面におしろい彫りのような朱色の線で、だがこれは練成で作られたものだ。この痕跡なら5年は経っていようが」
「知りません。そんな物が背にあったなんて。5年前」
5年前なら父といたころだ。怯えて逃げ惑っていたころ。では、背中に練成陣を作ったのは父なのだろう。(だが、いつの間に?何のために?)
「父さん…」
つぶやくように呼んだ。
「細かい部分ははっきりせぬが、太陽に月そしてこれは生命樹だな。連鎖、エネルギー、強力なエネルギー回路のようにも見えるが、いやそれにしてはつながりが途切れている。これはエネルギーを貯めるための陣か?」
錬金術師は興味のあることには子供と変わらないような反応を示すときがある。二人ともここがどこで自分達がどういう姿でいるのかうっかり忘れていた。特にラッセルは背の痛みと発熱にも神経を取られていた。
トレーニングを終えた兵士たちがどやどやとシャワーを浴びに来たことなど気づく余裕が無かった。まして二人の佐官の姿を見た兵士たちが、「し、失礼しました!」と叫んで出て行ったことなど意識の端にもかからなかった。

28 父の遺産

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