金属中毒

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29 父の痕跡

2007-01-03 01:47:58 | 鋼の錬金術師
29 父の痕跡

セントラルに戻って最初に起きたことは車の中でブロッシュに散々怒られたことだった。わずか5日間の出張のうちにラッセルは驚くほど痩せてしまった。
「少しトラブルがあったから」
いつものように研究に夢中で食べるのを忘れたわけではないと言い訳する。
「何があったのです」
ブロッシュの視線は鋭い。嘘は効きそうにない。それにずっと国家錬金術師に付いている彼は普通の人にしては術に詳しい。
「むこうで、背中に練成陣が出た。それが熱を持っていたから少し疲れたんだ」
ブロッシュの返事が聞こえるまで5秒かかった。
「…あまり、聞かない話ですね」
「中佐は聞いたことも無いと言ってた」
返答とともにラッセルはバックシートに横になった。軍までわずかの距離だが少しでも休みたかった。
「寝ないでくださいよ。すぐ近くですから」
「うん…わかって…」
返事は半分夢の中である。
ラッセルが目を覚まして大総統室に報告に行くまでには2時間が必要だった。

正式の軍人でもないのに不在時にまでサインすべき書類がたまるのはどうしてだろうと、訊きたくなるほど書類がたまっている。それでもブロッシュがサイン無しでいけるものだけでも処理していたのでまだ少ないうちなのだ。
「そういえばあれは判りました?」
出張前にラッセルはブロッシュに個人的な調べ物を頼んでいた。
「結構手間取りましたよ。みんな口が堅くて」
ブロッシュがA3の封筒に入った資料を渡す。
「ありがとう」
にっこりされて礼を言われたときブロッシュは唖然とした。
「どうしたんですか」
「いや、なんだか素直だから」
「珍しいですか」
「珍しいね」
あっさり返事をされてしまいこんどはラッセルが落ち込んだ。
(俺、普段そんなに素直に見えないのか)
コトン
机の上にコーヒーカップが置かれた。
薄めのコーヒーにミルクがもう入っている。
「ミルクはいらない」
「胃の悪いときにストレートはだめです」
あっさり決め付けられてしまった。
「少佐、と違った大佐のとこに行きますから残りもサインしてください。
資料を見るのは後にしてくださいよ」
ドアを閉めながらブロッシュは言い残した。さすがである。言われたときラッセルの手は封筒にかかっていた。
「なんだか、お守りされているみたいだな」
一人の気安さにつぶやいた。
正直なところミルク入りのコーヒーは苦手だった。味がにごる気がするのだ。
ブロッシュさんがいない間に処分してしまおうと立ち上がったところで強烈な嘔吐感があがってきた。洗面所まではもたなかった。両手を床に着き四つん這いの状態で吐いた。だがろくに水分も取っていない体からは出せるものがない。赤黒く変色した血がわずかに落ちる。
(副作用か)
何とか一息つくと練成で分解した。
ブロッシュに知られると医者だ、検査だとうるさい。そんな暇はない。軍需工場の研究所を独占して夜間に続けている赤い石の合成、そしてエドの治療、それだけでもラッセルの時間は足りないほどなのだ。その上にエドの安全を守るためとはいえ軍人としての行動まで求められている。正直なところこのごろ息切れしかけていた。
ため息をついて立ち上がろうとしたところで感覚が鈍くなっているのに気づく。エドの気配を感じる。
(エド、心配しなくていい。すぐ治してやるから)
エドワードに神経障害が現れ始めていた。

緑陰荘ではその朝エドが不機嫌になっていた。オートメールが動かなくなったのだ。すぐにウインリィが飛んできてくれたが彼女らしくもなく原因はわからないという。朝食時に何度もスプーンを取り落とした。本を読もうとしたらページがめくれなかった。
そしてなによりもラッセルが帰ってこない。
不安と苛立ち、こういうときフレッチャーでは話し相手にならなかった。エドの目にはフレッチャーは弟と同じに見えていた。弟に自分の不安を悟られたくないとの思いはフレッチャーに対してもあった。
「エドワードさん、言わないとわかりませんよ」
今朝から機嫌の悪いエドの脇でフレッチャーがため息混じりに言う。自分はそんなに信頼できないだろうか。たしかに兄のように特殊な練成を使うわけではないし、年下の自分にエドが不安感を持つのもわからなくはない。しかし、こと治癒に関しては兄よりも自分のほうが上の部分もあるとひそかに自負しているのだが。

 ラッセルが帰ったのは夕方遅くであった。
「お帰り…!」
兄の出張はたった5日だった。こんなに急にやせるものだろうか。
「エドに神経系の障害が出ているはずだ。確認しろ」
ただいまの声もない。兄の口から出るのはエドのことである。
「それで、オートメールが不調になったんだね」
納得できた。生身の神経とつながっているオートメールは使用者の体調に左右される。
「わかっているなら対策だ。まず神経外部からの浄化をそれから投薬はべオ系のレンゾーム5mg、それから・・・」
兄の言葉は10分間も続いた。すべて指示である。
「兄さん、帰ったときはほかに言うことがない?」
「何だ?急がない話は後にしろ。エドを見てくる」

エドの部屋へと急ぎ足になる兄の後姿。
(あの時とは違うけどここに来てから兄さんの顔をまともに見ていない気がする)
兄はいつも忙しく走ってばかりいる。
今兄はエドの部屋にいる。二人が特に内密の話をしているわけではないのはわかっている。それでも弟はその部屋に入りたくなかった。
「手が動きにくくなった」
エドは不機嫌な声で言った。
「だろうな」
「てめぇ、わかってるなら何とかしろ」
エドは自分が無理やわがままを言っているとは思わない。今まで何があってもラッセルはいつもわかっていてくれたし何とかしてくれた。
「遅くなって悪かった。なにしろど田舎だから、汽車が無いんだ」
話しながらエドの肌に手を触れる。火花のような感覚がある。
「少し寝ていろ。その間に何とかする」
はだけさせたエドの胸に眠りの陣を打った。
すうっと眠りだしたエドを見ながら手早く注射する。薬嫌いのエドは眠らせるのが一番早い対策だ。
「フレッチャー何してるんだ。入れ」
ドアの外にいる弟を呼ぶ。
「何で入ってこないんだ?」
「別に」
弟は言わなくても兄にわかって欲しかった。
だが兄はそれ以上気にしていないようだ。
治癒の陣をエドの肌に描き兄弟は同時に発動した。彼らは気が付いてないが複数の術師が同一の陣を同時発動するなど錬金術史上初めてのケースである。
「兄さん」
「何だ?」
兄はもう次の治癒陣を描き出している。
「お帰り」
「・・・?さっきも聞いた気がするが?」
「そうだよ」
どうしてこの兄は何もわからないのか、弟は兄の胸をつかんでやりたくなる。
だが、実際に弟のしたことは兄の描いた陣を途中から続けることだった。疲れていたらしい兄が立ちくらみを起こしたので後を続けたのである。
「後はやっとくから休んで。寝てないんでしょう」
「悪い、頼む」
ようやくそれだけ答えると兄はA3サイズの封筒を持って立ち上がった。
よほど大切なものが入っているのか兄はそれを手元から離そうとしない。

『ナッシュ・トリンガムに関する報告書』
軍第3研究所に所属。ドクターマルコーの下に配属。
研究テーマ『生体と練成陣の共生』『陣による生体への補完』
『人体への協調練成』
第5研究所に配属。
マルコーと同時期に逃亡。
以下に当時第3研究所にいた人々のデータが書かれている。
第3研究所時代のレポートもある。
不思議に残っているのは第3研究所時代のデータばかりである。
第5研究所時代に何かがあったのだろう。
それでも数日でここまで調べてくれたブロッシュには感謝しなくてはなるまい。
そして何よりもラッセルの父であることはわかっていながらあえて他の書類と同じ形式で書いてくれた気遣いがありがたかった。肝心な赤い石のデータはわからなかったが冷静にある事実を受け取ることができた。
父の研究テーマ。『生体と練成陣の共生』
つまりそれは。
「俺は父さんの実験体だったのか」
乾いた声が事実を確認した。

30 竜王

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